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愛媛FC奮闘中(Bmount)

2005-10-13 23:59:59 | サッカー(J3以下・外国・他カテゴリ)
愛媛FCに関するものでいい記事がありました。
◇下部リーグから地道に活動、サポーターの力が成功のカギ
「あのチームがついにここまできた。もう少しだ」。昨年11月、大塚製薬との最後の四国ダービー。県総合運動公園陸上競技場に集まった入場者は、チーム結成後初めて1万人を超えた。この年愛媛FCは結局Jリーグに上がることはできなかったが00年のJFL昇格の前から応援し続けているサポーターにとって忘れらない一戦になった。「スタジアムに集まった人たちを見て、手ごたえを感じました」と振り返る。
 愛媛FCは1970年に教職員チーム「松山サッカークラブ」として発足。87年に四国リーグに昇格すると98年からは3連覇を達成。01年からJFLに戦いの場を移した。企業チームとして発展してきた徳島ヴォルティスとは出発点が異なり、下部リーグから地道に活動を続け、少しずつ実力をつけてきた。
 このサポーターは98年ごろに愛媛FCユースの試合を見たのがきっかけで、応援するようになった。当時、チームはまだ四国リーグに所属していた。プロ契約をしている選手はいなかったが、監督や選手が現状に満足せず、さらに上を目指していることを知り、バックアップしていこうと決めた。「愛媛にもJFL、Jリーグを目指している選手たちがいるんだ」。松本さんは大観衆の中で選手を応援する日を想像した。チームの知名度は今とは比較にならないほど低かった。観客席に10人しか客がいないことも。試合は四国各地であったが、松本さんたちは応援旗や太鼓をそろえ、応援に走り回った。チームが法人化される前は活動費は選手たち自身が支払っていた。01年にサポーター組織「アランチーノ」を結成し、募金活動で活動費を集めた。ほかにも会報を発行したり、試合日をメールで会員に送ったりと現在の事務局の仕事をボランティアで引き受け、チームを支えてきた。黎明(れいめい)期を知るだけに、鈴木チェアマンがJリーグ昇格に対し「限りなくマルに近い」とまで言ったことは感慨深い。
 亀井文雄・社長は「チームを発展させ続けるためには地域に密着させる以外は考えられない」と将来のチーム像を描く。大企業をスポンサーに持つチームの方が経営的には楽だ。だがチームを愛する県民に支えられながら強くなってきた愛媛FCは別の強みがあるといえる。今回も松本さんたちはJリーグ加盟を請願する署名活動に立ち上がった。サポーターの力が成功のカギを握ることは間違いなさそうだ。
という事で、結構ジ~ンとくる話ですね。やはり成功への原動力はサポーターであり、県民ということですか。そういえば、キャラの応募たくさん来ているようですよ・・・
コメント (4)
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