田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

失敗とは云えないのだが 妥協 

2010年12月08日 | 日記

12月8日(水)  夜半の雪  曇りがちな一日 風が冷たい

昨日の予想とおり、朝は雪景色だ。陽の光がない景色は一層寒さを感じさせた。

雪と云ってもほんの僅か 薄く粉を叩いた程度に見えるが、緑の色濃い吉祥草の葉の上も白く雪がのっている。この草は冬には枯れないのだろうか?確か春には遅霜で葉の先が黄色く変色した記憶がある。草花も花の咲くときだけ愛でては申し訳ない、この緑の葉がどのように変化するのを観察しなければいけない。 

昼過ぎに公民館へいく出がけに東を見ると雲が流れて浅間山が見えた。頂上の雪は昨日までに溶けていたが、これで二回目の冠雪となる。あと一回冠雪を繰り返すと里では本格的な雪が降ると云うが、今年はどのようになるのだろう。 

家に戻ると届けられた荷物を開けた。中からはガラスのミキシングボールが出てきたが、カタログの写真とは少し様子が違う。間口よりも深さがあるように思っていたがこの手の物は難しい。今まで使っていた物は30年近くに昔の話だが、後輩たちから贈られたガラスのミキシングボールがある。これは優れもので計量もできるし、ミキシングをするときに持ち手が着いているので使いやすいものだ。

 

最近はMが使っているが、ブレンダーの刃がぶつかったのかカップの縁が欠けている。これはガラスなのでそのときの状況ではケーキの種にガラス片が混入したのではないか? 

オーブンの故障が直ったことで再びMの菓子作りが活発になっている。修理の夜からテストだと云って記憶にある焼き物のレシピを片っ端から焼いている。しかも、ガラスのミキシングボールを買い換えたと云うことは聞かない。試食係としてはガラス片が混入したケーキをテストするのはイヤだと云うわけで、ネットに飛びついた。 

 

致命傷となる傷はもう1カ所注ぎ口にある。ネットでいろいろ捜しがカラフルの物や、ステンレスのもの等、今までの使いやすさからはイマイチ不満がある。しかし、急を要し妥協ということで購入をクリックした。

使い安さは明らかだが、これ以上の危険は避けてもらいたい。ネットでの失敗はコレッキリにしたいのだが ・ ・ ・ 妥協という失敗は再び ・ ・ ・ 

 

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焚き火という 人の原点のような心地

2010年12月07日 | 日記

12月7日(火)   曇り   寒い   冷たい風  夕方には氷雨

朝からのどんよりした厚い雲に覆われた一日、気温は昼になっても上がっていないように感じる。

余りにも寒いので昼飯は車の中で済ませた。いつもなら燦々と降り注ぐ太陽の温かさの中で至福の時を過ごせるのだが、うどんの入ったドンブリを持って焚き火の傍に座り込んだ。座るときは煙の流れる反対側に陣取ったが、直ぐに煙が俺に向かって来る。木株を足で転がしながら煙をよけて移動する。ドコに移動しても同じように俺が煙に追われ、たまらずにプラターズの歌を口ずさみながら、トラックの中へ逃げ込んだ。

焚き火をするのも久しぶり、外気は寒暖計では3度を指していた。朝からマキ割をしても身体は暖まらない。太い木を切った後の短い丸太が残されたままなので、これを割ってストーブの燃料にする。短いマキは家に運び込むのが大変だと云われる。確かに、普通の長さの3分の1位だと一本の3倍はかかるのは理解が出来る。さりとて、これを放置したままでは大量のマキが朽ちていってはもったいない。 

割っていくと中には菌に冒されてグズグズになったもの、虫(クガタ)が木の中に卵を産み、その幼虫が穴を広げていくなど、そのような病菌にやられた木はマキにはできない。

作業はだいぶ進んだが、最後に残るのは一昨年の12月に運び込んだリンゴの木だ。軽トラ3倍分くらいだろうか、すっかり乾燥しているので直ぐにマキとして使える。これを今月中にマキにしなくてはならない。

午後3時を過ぎると雨がぽつぽつ落ちだした。割った薪が雨に当たらないように下屋に運び込むのだが、短いマキは積むことが出来ないのが難儀だ。大きな段ボールにでも入れておくしかないだのだが ・ ・ ・ 

4時半には暗くなり最後の仕事は、焚き火に水を掛けて消すことになる。しっかりと水を掛けないと直ぐに乾いて風が吹けば再び赤くなって燃え出す。満杯に水を入れたバケツ持ち上げるとコシや腕。体中がキシム。 

        

全ての作業を終えたときはすっかり暗くなっていた。雨も相変わらずに少しだが降っているが明日の朝は雪を見ることになるのだろう。

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2010年12月06日 | 日記

12月6日(月) 晴れ  強い霜  快晴   温かい 一日

昨夜は俺たちよりも相当若い20代の客人が来て、楽しい晩飯のときを過ごした。20代後半と云っても、話題に事欠かない彼ら、酒の話から政治の話、田舎の暮らしかたなど遅くまでも盛り上がった。

昼前に小諸市の千曲ビューラインのOさん宅にむかった。アップダウンの続く道で両側は 畑になっている。この地域は水利が悪く田は低いところにしか出来ないので、この界隈は蕎麦とジャガイモが多いという。夏頃の景色は北海道に似ていると云われているところだ。

 Oさん宅では『東信州田舎暮らしネットワーク』の役員会が開かれた。秋の行事のアンケート結果や、今年の収支報告など事務的な作業を済ませた後はOさんの蕎麦打ちの技が披露された。

蕎麦は細くしかも、コシがあり旨い。昼時のこともあり、男性5人が揃った席ではガンガン茹であげられた蕎麦が運ばれてくる。蕎麦の写真を写すことも忘れ満腹状態になってしまった。持ち寄った漬け物やデザートで3時までゆっくりと話し込んだ。田舎に住まう心がけとか集落の役員のことなど地域ごとで異なる習慣が学べた。

4時前には我が家へ戻ったが、俺の部屋に入ると、Salaの椅子をArgoが陣取っている。このところArgoが高いところを狙ってSalaとバトルを繰り返していたが、 真逆、Salaが自分の椅子を明け渡し、Argoのベッドで寝るとは思わなかった。Salaは丸くなってベッドに入っているがギチギチの状態だ。Argoは目を開けて上目遣いに俺を見るが直ぐにネタふりをしている。

SalaはArgoの倍以上の体型なのに ・ ・ ・ 

どう言う関係なのだろうか?

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師走 それなりの行事のはじまり

2010年12月05日 | 日記

12月4日(土) 雨上がり  霧    晴れ  温かな一日

昨日は一日中温かく、雨が降っても雪になる気配は無かった。浅間山も雪が溶けてまた、夏の姿を見える可と思っていた。

東の窓の障子を開けると朝陽に照らされた浅間は手前の前掛山まで雪を被っている。うっすらととは云え、今年初めてで浅間山から西北へ連なる山々も皆雪を被っていた。 

午前中はいろいろ片付け物などしていると既に1時が過ぎてしまった。1時半から町の老人福祉センターで講演会がある。『人権を守る町民大会』この町民大会と云うのはいろいろな分野で啓発事業が行われ、それぞれ学習会が年数回行われた集大成となっている。

 

講師は 中野 佐世子さん NHKの手話ニュースを担当し、今では手話通訳士としている方だ。1時30分に始まると云うことできっかりに会場に入ると既に始まっていた? ハンディーを持った人の側から世間を見たことを話をしていく。俺的に納得したのは、以前から手話は何故世界共通が出来ないか?と言うことだった。彼女の話で、手話はそれぞれの生活週間から動作を形にしていると云う。『ご飯を食べるのに、日本では片手に茶碗・もう一方の手に箸 となるが、世界では箸を使う文化は20%、フォークとナイフも20% 残るの60% は手で食べるという』こう言う話を聞くと、手話の語源を調べたくなった。話を聞いているとスンスン引き込まれる。カレンダーの休日色・赤昔と違って朱色になっているのは色弱に対することだとか、何気ない普段の生活環境でも色と形で表されたことがノーマライゼーションにつながっていると言う。講演の最後に彼女の著書紹介があり、早速調べてみるとカラフルな楽しそうな本が並んでいた。久しぶりにためになる講演だったが来場者が少ないのは少々残念と思う。

       

夕方からはたてしなエコ・クラブの今年の活動を顧みる決起大会が開かれた。何を決起するかは兎も角、地産地消を大前提とした持ち寄り料理に舌鼓を打つ。信州でとれる農産物は種々沢山あるが、ここではヒエやアワなど雑穀の話題で盛り上がる。

並べられたものは蕎麦寿司、手前米に大根や小松菜を入れた混ぜご飯、リンゴのカンテ寄せ、ショウガの佃煮、豆類がサマザマに加工されでている。全てを口に入れられることはとうてい無理なこと、せめてメモを取りながら食味を確認すればよかた。

一年間の活動を振り返り様々な話題が繰り返される。このクラブの仲間は心底エコ的なヤツばかりだ。

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世間様には申しわけないが 不安定な天候で虹を見る

2010年12月03日 | 日記

12月3日(金)  濃霧   雨・晴・雨の繰り返し 夕方には 雷が鳴る

 朝には雨は降っていなかったが濃霧で始まった。不安定な気流なのか霧が流れては再び濃くなり集落を飲み込む。

やがて雨が降り出したと思ったら、強い風が吹き出した。 

 風と雨でガラスに沢山の水滴が付き、それを通して見る景色はいつもより一段と美しく見えた。白樺もムラサキシキブも落葉する木の葉は全て散ってしまい。裏山の木が放つ葉が風に流され、小鳥のように集団で南東に飛んでいくのが見えた。

     

激しく雨が吹き付けていたかと思うと急に陽射しがでた。昼前なのに太陽は真南を越えて、虹を北東の東よりに薄く表した。流れる雲に太陽の光線が遮断されると虹も消え、再び濃くなる。我が家は西と北に山があるので強い風が直接当たることはない。虹を見るのは久しぶりだが荒れ模様の強い風には被害が出ないことを願う。 

昼過ぎに二日前に頼んだナショナルの技術者から電話が入った。近くまできていているが道が分からないと云う。田舎の道、ナビでも「圏外です」と表示される。電話で案内をしながら数分で車が見えるところまで来た。

家に入るときには再び雨が激しく降り出している。当の修理は温度センサーだろうと云いながら、ビルトインオーブンを引っ張り出して分解を始めた。この手の機種はスコブル手間がかかると云いながらも手際よく裏側の基盤が見えるところまで部品を外した。テスターでコンデンサー(らしき物)をチェックしながら、小さなパーツを交換した。現状ではこのセンサーしか思い当たらないと云う。再び閉じられて元の場所に納められた。この間約二時間くらいだろうか?長野から修理に来ているという東京ではあまり問題にしなかった出張費が結構費用がかさむが、これも好きこのんで移り住んだこと納得しなくてはならない。

夕方にはもう一件修理を頼んでいた業者から電話が入った。これはキッチンの扉のスライド式丁番が壊れたのを直すことだった。てっきりヤマハの技術者が来るのかと思っていたが、地元上田からだと云う。丁番を交換するかと思ったら、交換した古いパーツがあるからこれでも良いかと云う。新品の丁番は思いの外高額だと言う。使える物はなるべく使いましょうとエコ度の高い業者なのには驚いた。ものの30分程度で一年以上のイライラが解消できたことは素晴らしい。

外は雨が止んでいるようだが相変わらず風が強い。Argoは我が家に来たときに入っていたケージに時々入る。

故郷のように落ち着くのだろうか。

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極楽トンボ 目から ☆ がでる 病院でのことだが 

2010年12月02日 | 日記

12月2日(木)   晴    薄い雲が広がる   温かい一日

午後1時15分に受付を済ませておいてください。遅れると検査が出来なくなりますから早めに来てください。

何度も念を押されて予約をしたのは10月の末のことだった。右目の白内障と緑内障の手術をして一年が経つ。視野が狭くなること=緑内障が進行していることで視野が狭まるのは治ることはないと云う。やがては視野がなくなるということを今は分かっているが、2年前に説明を聞いたときには眼球を真横から切り取った図を見せられて説明を受けた。説明に使われた図の通りに緑内障が進行すると視野が狭くなり最後は視野が逆さになって徐々に広がっていくように書いてあった。そのことを質問してから眼科では“こいつはオカシナ ニンゲン”と思われてるらしい。

この視野検査は経験している方は同じ思いだと思うが、心理テストをやられているようでスコブル自信をなくす。暗くした中でボールの中に浮かぶ光を見たらスイッチを押す。単純な検査だが、数秒間光が見えなくなると不安になる。何処かに出ているかと上や下をのぞき込むように眼球を動かすと、検査官は『メヲオヨガセナイデクダサイ』と間髪を入れずに声がかかる。声がかかると、ドコで見てるの?なんて考え出すと検査に対する集中力は飛んでしまう。

今日は二回もダメダシがでた。検査は後が使えている?そんなことを心配し出すと余計に集中力がなくなるが、見えたと思うとスイッチを握る指が動いてしまう。光が見つかったと思うと残像まで感じてここでも指が動く、俺的にはでたらめな検査だと思って検査官に“モウイッカイ?”っと聞くと彼女は何もなかったように“ダイジョウブデスヨ”と云った。何が大丈夫なのか分からないが聞き返す勇気は湧いてこなかった。

一通りの検査を終えて待ち合いで待つことになったが、目がだいぶ疲れた。目を閉じてジットしていると瞼全体に☆がピカピカ点滅している。遠くの方で俺の名前が聞こえるように思ったが ・ ・ ・ 受付に名前を呼んだか聞きに行くと、内科に行ってました?って聞かれた。検査では相当神経を使ったようだ。

直ぐに診察が有るというので中待ち合いに入り、診察を受ける。眼圧右10:左12と大変良い結果だ。視野の検査も前回に比べ左+1右は+-0 とこれまた上々結果だと俺的に診断をした。医者はそこそこの数値だから薬を右目の分増やしておきましょう。何となく目をパチパチするようだが、メデタシということで解放された。

家に戻ると長野のKさんから荷物が届いている。開けてみるとパンだ。数種類のパンが二つずつ入っている。素晴らしい配慮ではないだろうか?

そう言えば俺は68年前の今日生まれたことになる。あの頃の平均寿命は50才位だったのだろうか?アノ頃の社会情勢からすれば平均年齢はもっと低く、多くの若い人が戦争で命を落としていったのだろう。苦労して育ててくれた親は既にいない ・ ・ ・

早速 ぱくりと行きたいところだが ・ ・ ・ 先ずは感謝を伝えよう。

 

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久しぶりに裏山へ向かう

2010年12月01日 | 日記

12月1日(水) 晴  穏やかな 一日

裏山へ向かうのは久しぶりになる。あまりの天気良さに誘われて坂道を登ったが、未だに右足の外側に痛みを感じる。ゆっくりと歩きできるだけ靴底の内側だけであるくようにするが、忍びの者でもない俺にはそれほど長くは続けられない。それにしても10月の半ばのことなのに完治しないということは加齢が影響しているのだろうか。               

        

向きを替えると登ってきた道は右、直進はすぐに左へ曲がり長門町へ向かう大内道となっている。斜め右、僅かにさがり道祖神を右に見て進む道はかつての堰が流れていた道、地域では堰掛台(センゲダイ)と呼んでいる。 

堰掛台を進むと左手の方でカサカサ・ブンっと羽音と共に小さな鳥が飛び立った。近づいて観ると、ヘクソカズラの実だと思うが霜で黒くなり完熟してかたまっていた。

更に奥へ行こうと思ったときに、Mが朝早く出かけるということを思い出した。庭に戻ると足下ではハルジオンだろうか?濃いピンクの花弁?に未だ低い太陽の光線が当たっていた。 

庭を斜めに突っ切って家に向かうところで、シュウメイギクの冬花が姿を見せている。こうなるとピンクと白を見極めることも不可能になってしまった。霜に遭う毎に白い綿毛を表す。庭に花のない季節にはそれなりに風情がある。俺的な話だがフユバナと言っている。

 家に入ると、Mは案の定既に出かけていた。俺がカギを持たないで家を出たことを承知していたようで施錠してなかった。前から言われていたキッチンの扉の具合が悪いこと、それと今は書棚としてる食器棚の扉が落ちてしまうこと、この二つの点検をしてみた。両方ともYAMAHAの製品だが食器棚は20数年前になるが、吉祥寺にYAMAHA家具店が開店して知り合いが店長になっていると云うことで義理買いしたものだ。もう一つは信州に移り住んだときに入れたシステムキッチン、どちらも原因はスライド式丁番の不具合に因る。これは以前にも数回俺が微調整した物だったので、プラスのドライバーで調整を試みたが手が着けられない。

      

        《上が食器戸棚 下がステムキッチン》

10時頃になってINAXの修理技術の人がやってきた。前にも来た方で場所もスムーズに来れたと云う。トイレにマットを敷き直ぐに分解をして交換パーツはこれですと教えてくれた。あとはメンテナンスも同時にヤルと云うことでお任せしたが、途中でパーツの不具合が見つかったととかで出かけていき、直ぐに戻り、全てが終わった。

昼過ぎにはMが戻ったが、Argoの散髪に行ってきたと云う。1ヶ月に1回のカットだが、連れて行ってカットの間待っていると云う、少々溺愛のようだが、平和の条件のようにも思えるのは何故だろうか?

 留守番をしていたSalaはArgoのスッキリした体型に一瞬戸惑ったようだが、ひとしきり大暴れしたあとは二人とも電池を外されたように、しばしベッドの中でお休み。

 

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