知り合いが多くなったら自分の噂の量も増えるのはある意味当然
俺はまだ誰かに噂されるほどの知り合いがいないのであれですけど
周りの人の噂はちょいちょい聞きます
噂の種類によるけど、結局自分でその人に合って喋らんと分からん
勿論直ぐに分かることばっかじゃないから、ある程度長い付き合いをしてから
「噂通りの人だな」って思うか「あれはただの噂だったな」
って自分で判断すればいい
現に俺は噂であまり良くない事を聞いた人と知り合ったけど
その噂は「間違っちゃいないかもしれないけど、それが全てじゃない」
という結論に達した事がある
自分がその人をどこまで信じてどこまで許容できるかなんて
他人から聞いた情報だけで決めるのは有り得ない、絶対的な間違い
「噂と全然違うじゃん」って思うこともあるし
俺は人は皆ある意味で多重人格だと思います
だって、嫌いな人と好きな人に同じ態度取る人間なんて絶対おらんし
だからある特定の人との関係上での自分というのが少なからず存在する
そういうの含めていくと、他人から聞いた他人の情報はある無意味で
自分にとって全くの無駄な情報の場合があるよね
これも噂の種類によりますが
俺は噂だけじゃなく、仕入れた情報はたとえどんなに信頼し、信用している人のものでも丸呑みはしない
まず一度咀嚼します、どれだけ飲み込むかはそこで決める
全部飲み込むか、全部吐き出すかなんて極端なことをしなくてもいい、1割とか5割とかでもいい
つまり大切なのは、他人から得た情報をまず100%真実として受け止めるのはよせということ
ただ、やりすぎると今度は他人を信じれなくなるので、そこはバランスを取らなければならない
人間関係とかどれだけ頭が良くても悩みは永遠に尽きないんですよ、答えもないし
なのに問題だけはどんどん増えていく
ああ、人間ってなんてめんどくさい問題を抱えてる生き物なんだ
でも、だから俺はそんな人間が好き
悩みは敵じゃないんです、友達なんです
敵とうまく付き合うことは難しくても、友達だったら簡単ですよね
俺は、悩みが無ければ他人との信頼もまた生まれないと思います
それでも時として悩みは自分の心を刺す時がある
難しいよね
俺はまだ誰かに噂されるほどの知り合いがいないのであれですけど
周りの人の噂はちょいちょい聞きます
噂の種類によるけど、結局自分でその人に合って喋らんと分からん
勿論直ぐに分かることばっかじゃないから、ある程度長い付き合いをしてから
「噂通りの人だな」って思うか「あれはただの噂だったな」
って自分で判断すればいい
現に俺は噂であまり良くない事を聞いた人と知り合ったけど
その噂は「間違っちゃいないかもしれないけど、それが全てじゃない」
という結論に達した事がある
自分がその人をどこまで信じてどこまで許容できるかなんて
他人から聞いた情報だけで決めるのは有り得ない、絶対的な間違い
「噂と全然違うじゃん」って思うこともあるし
俺は人は皆ある意味で多重人格だと思います
だって、嫌いな人と好きな人に同じ態度取る人間なんて絶対おらんし
だからある特定の人との関係上での自分というのが少なからず存在する
そういうの含めていくと、他人から聞いた他人の情報はある無意味で
自分にとって全くの無駄な情報の場合があるよね
これも噂の種類によりますが
俺は噂だけじゃなく、仕入れた情報はたとえどんなに信頼し、信用している人のものでも丸呑みはしない
まず一度咀嚼します、どれだけ飲み込むかはそこで決める
全部飲み込むか、全部吐き出すかなんて極端なことをしなくてもいい、1割とか5割とかでもいい
つまり大切なのは、他人から得た情報をまず100%真実として受け止めるのはよせということ
ただ、やりすぎると今度は他人を信じれなくなるので、そこはバランスを取らなければならない
人間関係とかどれだけ頭が良くても悩みは永遠に尽きないんですよ、答えもないし
なのに問題だけはどんどん増えていく
ああ、人間ってなんてめんどくさい問題を抱えてる生き物なんだ
でも、だから俺はそんな人間が好き
悩みは敵じゃないんです、友達なんです
敵とうまく付き合うことは難しくても、友達だったら簡単ですよね
俺は、悩みが無ければ他人との信頼もまた生まれないと思います
それでも時として悩みは自分の心を刺す時がある
難しいよね