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ひろしま遊歩100選ガイドツアー(新井口~五日市・山側)コースに参加する~!  2

2017-03-12 13:16:35 | ひろしま遊歩100選ガイドツアー
  お昼休憩の「鈴が台第三公園」です。

  


 お弁当中も、アメリカフウの木の上に居た「ひよどり」です。
 近寄ってくるスズメを追っ払っていました。
 (アメリカフウはモミジハフウともいうそうです)

 


 
 




  午後からも 12:45 早目の出発です。

 ◎ 合掌院
  聖観音・水子地蔵・親鸞上人像 山灯籠
  祈平和の碑・「和」(森戸辰男書)
 (個人が設営されているそうです)

 


 


 


 ◎ 塩釜神社
  ご祭神 :塩椎神
  塩釜神社は塩椎神が祀られている。
  「塩」は「潮」のことで、潮流を司る神、航海の神などと言われている。
  昔は少し右奥にあり、人々が谷川の清水で喉をうるおし、老木の木陰で休んだ。

 


 


  説明板の「昭和29年頃の井口村です

 


 ◎ 街道松
  西国街道は交通路の要衝で、街道には両側におよそ3間(約5,4m)に一本の間隔で
  街道松が植えられた。
  井口に最期まで残っていた一本の街道松は、昭和58年(1983)道路拡幅により伐採
  された。
  その松の切り株が「まつのき薬局」に記念として保存展示されている。

 


 


 


 (今でも展示の松から松脂が出るそうです)

 
 ◎ 水準点
  一等水準点 第1673号

 


 


 ◎ 餓鬼の首地蔵
  昔は小山の険しいのを「がき」といわれ、現在の井口四丁目の西端の山が出っ張った突端に10m位のお椀を伏せたような小山があり、首に見立て「餓鬼の首」と名付けたらしい。
  ある時、舟が暴風雨に遭い船頭が亡くなり、その家族が山に洞穴を掘り、お地蔵さんを祀り供養した。
  その場所が餓鬼の首と言われていたので「餓鬼の首地蔵」と呼ばれ、海の安全を祈願した
  
 


 


 


 説明板の江戸時代の藩の絵師「岡眠山」の「都志見往来諸勝図」に残されています。

 

 民家の「さくらんぼ」とみられる桜が咲いて居りました。

 


 ◎ 八幡橋
  八幡川は二級河川
  もともと現在の位置より約1km西にあったが江戸時代に現在の位置に変わった。
  八幡橋の親柱と説明板。
  昭和46年(1971)、全国に先駆けて水鳥の捕獲を禁止した結果、3000羽を超える水鳥が集まり水鳥の飛来地として広く知られるようになった。

 
 


 


 ※ 午後14時、五日市駅で解散でした。
 風も無く暑くも無く絶好の散策日和でした。
 只、午前の「龍神山」は結構険しい山登りでした、頂上の「サイレン」はお昼休憩の時に
 正午を知らせる音を実際に聞きましたが、下山の時の山道は獣道みたいで大変でした。
 滑る人が多発しましたが、楽しい散策でした。
 9600歩、5,6kmのスマホの歩数計です。
 皆さんお疲れ様でした! 
    END

 おまけ
 帰路の「新白島アストラムライン駅」では何か「イベント」が行われていました。
 「アストラムくん」?も一役かっていたようです。