ひろしま歴史散策くらぶ7月定例会講演会に参加
27-7/16日 広島市中央公民館 10:00~12:00 約20名参加
テーマ
近世社会と広島藩領
~ ④ 幕政と身分の関係 ~
講師 = 佐々木卓也 さん
ひろしま歴史街道散策くらぶ定例会は、散策会を7月~9月までお休みしますので
講演会の様子をまとめてみたいと思います。
1、
身分制度とは何
士農工商
儒教において社会の主要な構成要素(官吏、農民、職人、商人)をさす概念で、「四民」ともいう。
日本では、近代になり江戸時代の身分制度を意味すると捉えられるようになったが、1990年代
ごろから実証的研究が進み誤った認識であることが理解されるようになった。
概要・歴史
「士農工商」(四民)は、古代中国から用いられた言葉で紀元前1000年ころには既にみられる
「民」の 職業は4種類に大別される。
「老若男女」のようにあらゆる職業の民、つまり「民全体」または、「みんな」と言った意味で使われる。
1990年代になると近世史の研究が進み士農工商という身分制度や上下関係は存在しなかった。
2000年代には、「士農工商」の記述は教科書から外されるようになった。
士とは知識人や官吏などを意味し、農業、工業、商業の各職業を並べて「民全体」を意味する四字熟語 になっていった。
宮本武蔵「五輪書」(1645年) 地乃巻「凡そ人の世を渡ること、士農工商とて四つの道成」
(五輪 = 空、風、火、水、地 )
2、
士農工商と社会
兵農分離
徒士や足軽の多くが武装した農民から発生したものであるため、「士」と「農」の違いはかなり曖昧
なものであった。
その転換期は戦国時代後期である。
兵農分離政策は江戸時代に強化され、職業は世襲制となった。江戸時代中期になると貨幣経済や産業 の発達により商人が政治経済の大きな影響力を持ち、大名貸のように武士が経済的に商人に依存する
ようになった。
このため商人には町人でありながら扶持米や士分など武士身分並の待遇が与えられた。
これに類する立場として医師の存在があげられる。
「武家諸法度」によって上級武士以外に自由に乗ることが許されなかった鹿篭の利用を僧侶と医師に
関しては例外として認められていた。
3、
慶安御触書とは
幕府法令
第3代将軍徳川家光期の慶安2年(1649)に、江戸幕府が農民統制のため発令された幕法とされ
ている文書である。
百姓にたいして贅沢を戒め、農業など家業に精を出すように求めた内容で、32箇条と奥書から成り立つ。
4、
寺請制度と庶民
宗教統制
檀家制度や寺檀制度とも呼ばれるが、その目的において邪宗門とされたキリスト教や布施派の意見や締め出しを狙った制度であった。
宗門人別改帳など住民調査の一端も担った。寺請制度はその状況に上手く合う形で、宗門制度として社会へ定着していった。
各戸には仏壇がおかれ、法要の際には僧侶を招くという習慣が定まり、寺院に一定の信徒と収入を保障される形となった。
※ 講演を聞くのは久しぶりでしたが、話が難しくて眠くなりそうで大変でした。