goo自由日記

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国宝「不動院」にて

2017-03-20 15:49:20 | 近ブラ
 今日のウオーキングは足を伸ばして「不動院」までカワセミを探しに出かけました。
 途中の民家の「さくらんぼ」です。
 「つぐみ」も撮影できました。

 


 


 


 大芝水門の上流の太田川の中州では今でも工事が進んでいます。
 中州の上ではコサギが相変わらず、集まって居ります。


 


 


 不動院駅前の「バス停」付近の「カープ女子」?がポーズをしてくれました。
 
 


 ユキヤナギでしょうか?

 


 


 国宝「不動院」到着です。
 不動院 → 本尊;薬師如来
 一説にいれば、前身は足利尊氏が諸国に建立した安国寺(1345年頃)の一つで、安芸安国寺とも呼ばれた由緒ある寺院であった。
 銀山城主武田氏菩提寺として栄えたが、武田氏滅亡後、は衰退。
 毛利氏の時代となり、毛利輝元の使僧であり豊臣秀吉の側近として活躍した政僧「恵瓊」が住職となり伽藍を復興拡充、現代に遺る文化財を造営した。
 慶長5年(1600)関ヶ原の戦で恵瓊は刑死、広島城主毛利輝元も萩に移封となり、慶長6年(1601)福島正則が広島城主として入城、正則の祈祷師有珍を迎えて住職とし、宗派も臨済宗から真言宗に改め、不動明王を本尊とし、不動院と称するようになった。
  元和5年(1619)福島正則は信州に移封され、広島城主として浅野長晟が入城し、
  以後浅野氏の庇護のもとで寺は守られてきた。

 


 
  


 


 金堂は「国宝」昭和33年2月に指定。

 


 


 池の周りを本日の目的の「カワセミ」を待ち受けて探しましたが・・・

 


 


 


 居るのは「亀」くらいです。
 付近の「彼岸桜」に「ひよどり」が来ました。

 


 諦めて、上段の墓地の方を巡ってきました。

 秀吉の遺髪の碑、武田刑部(銀山城主)、僧「恵瓊」、福島正則の墓前に・・・

 


 


 


 


 下段の墓地には墓参りの家族も沢山おられます。
 
 境内を回って見ることに・・・

 
 

 
 「椿侘助」は咲いています。

 


 
 


 ボケ、マンサク?


 


 


 シキギ?

 


 


 サンシュユ? に、枝垂れ梅。

 


 


 
 カワセミを諦めていると椿の花に「ひよどり」が来ました。

 


 


 一時間もアチコチしたようです。
 カワセミにも会えずに「延命地蔵」さんにお参りして退散しました。

 


 民家の「レンギョウ」でしょうか?

 


 おまけ
 畑の「蕗のとう」「つくし」が春の陽を受けて伸びやかに成長しています。

 


 


 約、2時間の近ぶらでしたが、花名が分からないのが多かったです。