goo自由日記

いろんな出来事を載せています見てくださいね!

国宝「不動院」で

2017-12-02 20:29:12 | 探訪
 今日の朝は「年賀状」に取り掛かりようやく裏面のデザインができました。

 午後はお天気も良く、思い立って「不動院」へ行ってきました。
 
 大芝水門を過ぎて太田川まで来ると、「ヒドリガモ」と思われるかもが居ました。
 4羽いました。
 水中に首を突っ込んで「餌」を食べているのでしょうか。

 


 


 


 


 


 


 思わぬ「かも」に出会えて感動です。
 感動も治まらぬまもなく、草むらに「ジョウビタキ」が居るのに気が付きました。
 手が震えてデジカメが揺れます。

 


 嬉しい出会いでしたがブレブレです。


  「不動院」では見学者も多数来ていました。

  「楼門」から入ります。

 


 


 


 


 


 


 「金堂」は国宝です。
 「楼門」「鍾楼堂」は重要文化財です。
 モミジは見ごろを過ぎていましたが、所どころに紅葉を見ました。

  「不動明王像」も紅葉に守られています。

 


 境内に萌える「もみじ」です。

 


 


 
 


 「ホトトギス」 「万両」も足元に・・・

 


 


 「 放生池」に回って見ました。
 以前「カワセミ」を見たことの有る池です。
 今日は何もいません。

 


 「墓地」の方へ行って見ました。
 紅葉がまだここは見ごろです。

 


 


 


 


 


 変わった洋墓もあります。

 野鳥の鳴き声もしきりにしていましたので、池に戻り暫く待つことに・・・

 「つつじ」「るすばん柿」も池の周囲に有ります。

 


 


 


 池に浮かんだ「もみじ」の葉を見たり、15分位は見学者も居なくなった池で静かに待ちました。

 「いよどり」かと思われる鳥が来てくれました。


 


 


 


 


 裸木に暫く止っていましたが、飛び立っていきました。
 待った甲斐がありました。
 目的が達成されて良かったです。
 池で待つのに日当たりの良い場所に居ましたが冷えました。
 思いがけずに野鳥にあえて良かったです。


 

早稲田神社を訪ねて・・・

2016-08-25 16:03:07 | 探訪
 約2時間家を空ける必要に迫られて、思いついて牛田「早稲田神社」を訪ねました。
 (バルサンを炊く必要があったのです、2時間は家に入れません)

 8時半に家を出て、途中の以前あった「はらみちお」さん宅の前を通りかかりました。
 はらみちおさん宅は、アトリエ共々取り壊されて、「アトリエ平田」なる家が建設工事中でした。(驚)
 裏のピカドン竹やぶは現存していました。

 

 


 9時前に、早稲田神社に到着しました。
 以前、街歩きで2度ほど来ていますが、単独では初めての訪問でした。

 


 


 


 早稲田神社
  ご祭神 : 足中彦命・帯中津日子命   仲哀天皇
        品陀和気命         応神天皇
        息長帯日子命        神功皇后
  永正8年3月、造成工事中に、7~8000年前の縄文早期の遺跡がみつかり多数の工器
  破片、石やじり等の石器を発掘しました。

 ご神木
  
 


 


 本殿、

 


 


 


 狛犬
 参勤交代に参加した連中が勤務者の安全遂行を祈り、天保11年、天狗面を添えて寄進されたもの。

 


 
 


 絵馬

 


 若かえる

 


 


 ”目に見えぬ神の心に通うこそ
    人の心の誠なりける
  心だに誠の道にかないなば
    神の恵みはいよいますらん ”

 牛田弥生文化時代墳墓 
  通称早稲田山にあるこの墳墓は、昭和32年9月、早稲田神社再建工事中発見されました。
  表土の地下15mのところから小貝塚が出土し、その下層から円筒形墳墓が見つかりました。
  そこから、座った状態で葬られた弥生時代中期末(今から1900年前)の成人男性の人骨が発見されました。

 

   


 


 


 祖霊神
  古墳埋葬者の霊・氏子の先祖の霊を祀る

 


 


 郷土資料館には石器類の展示があります。

 帰路は裏参道をおりました。

 


 


 参道から牛田サンベルモ(商業施設)への通りは「縄文通り」でした。

 


 サンベルモへ立ち寄りました。
 水分補給の
、小休憩しました。 サンベルモの前の牛田で唯一「たんぼ」があるんですが、おじさんが、稲の中の草取りをされておりましたが、トンボがスイスイと飛びかっておりました。
 上手い具合に止まってくれました。
 シオカラトンボでしょうか?

 


 


 ※ 旧市内では、最も古い時期から人が住んでいた広島人故郷の地でもあり、牛田の歴史の
   始まり場所でもある事が分かりました。
   すっかり汗をかきましたが丁度2時間、歴史に触れる探訪でした。


ふたたびの宮(長井伊勢社)を訪ねて・・・

2016-03-27 19:21:13 | 探訪
 昨日の、可部線延伸パレードに早く着きましたので、テレビの中継とかで紹介されている
 「ふたたびの宮(長井伊勢社)」を訪ねてみました。
 集合場所から、しだれ柳の木が見えておりましたので、すぐわかりました。

 「ふたたびの宮(長井伊勢社)」
  ご祭神 : 天照大神 (アマテラスオオミカミ)
   地神 : 豊受大神 (トヨウケオオカミ)
  天照大神と伝えられる木像をご神体としてお祭りし、宝永2年(1705)前後の創設。
  お伊勢参りの出立詣と帰省を報告するお宮とし、300年以上前から本地域の氏神様として、厚い信仰に守られてきた。
  平成23年、可部線(可部駅北西)の後活を祈願するとともにふたたびの願いが叶うお宮  として、地域活性化を願い、「ふたたびのお宮」と称し、木製額を掲げました。
  (由来説明板より)

 


 


 


 


 神主さんは、可部線利用促進同盟会の会長さんで頑張っておられます。


 

久保山神社を訪ねて

2016-01-26 17:14:00 | 探訪
 古市へ行きましたので、古市駅から大銀杏の木が街並みの向うに見える「久保山神社」を訪ねました。
 アストラムライン古市駅から2~3分の距離です。
 銀杏を目安に行きます。

 途中の民家の「ろうばい」です。
 良い香りがしています。

 


  久保山神社は古市の街並の中にあります。
  
 
 


 


 久保山神社(古市町誌より抜粋)
 ご祭新:大山祇命   大巳貴命(大国の主命)
 境内地 恵比須神社 (際神 :事代主命)
 
 古市久保山にある、境内に聳える3本のおお銀杏は亭々として数百年の歴史を眺めて、もの言わぬ老樹には世々の跡を問うすべもない。
 この宮は古来の地方武士の崇敬厚く、往古より神田等も多くあったが福島正則が藩主であった慶長年中にこれら神田を没収したという。
 後、天保5年(1834)7月古市大火災の時、宮殿、悉く灰燼となり、神器、宝物、古書類皆鳥有も帰し、あたう。
 由緒ある古社も絶望の有様となったというが、後、また同社を再興し今日に至っている。

 

 
 
 


 福島の家紋入りの手水鉢

 


 昭和9年の火災100年記念碑

 


 大正2年の狛犬

 
 


 ご神木の3本の大銀杏の一つ。

 


 丁度ひよどりと思われる小鳥。(スマホではこれが限界)

 


 社殿の「絵馬」も多くあります。

 


 


 


  大銀杏の気根?

 


 ご神木のおみくじ? (お正月にはあったのか今日は見当たらず)

 


 久保山神社を後にして、旧街道(雲石街道)に出ました。
 古い土蔵があります、古民家はお食事処になっています。
 土蔵の姿を残して美容サロンになっているのもありました。

 

 


 寒風の中、以前来たことのある記憶の中の久保山神社でした。
古市はその昔、麻の加工が盛んだったと聞いておりましたので、その名残が何処かに残っているかと思ったのですが…
 

被爆首なし羅漢さん

2016-01-12 19:54:27 | 探訪
 先月の「牛田ニュース」に掲載されていた「被爆首なし羅漢さん」を見かけました。
 今日の朝、歯医者に急遽行くはめになり牛田光明寺の前を通りました。
 道端に光明寺(浄土真宗)の狭い境内に鎮座されてる羅漢さんを見かけたのです。
 首なしとなっていますが手作り風の首もちゃんとついています。
 説明板を見ると手作りで直したとあります。
 ちゃんとお参りしました。

 


 
 
 


 


 説明板より・・・

 この「被爆首なし羅漢さん」は昭和20年(1945)8月6日にアメリカ軍により広島に落とされた世界で初めての原子爆弾にによって、白島町付近で被爆し爆風で顔が壊れてしまいましたが、牛田町の人が持ち帰り壊れた顔を手作りで直しました。
 羅漢さんは、被爆して70年間は「被爆顔なし地蔵さん」として牛田旭の牛田浄水場用地に安置されていましたが、坂道での参拝が困難な方が多くなってきたことを機会に、平成27年12月11日に光明寺の碓井眞行住職のお計らいにより、ここに移設しました。
 その折に、お地蔵さんと思われていた石像に払子(ほっす)=儀式に使う仏具の浮彫が施されていることで、名を、お地蔵さんではなく事実にそって「被爆首なし羅漢さん」と改めました。
 被爆地ヒロシマの歴史に「今、尚、立ち続ける証言」として、核兵器廃絶を祈願し、世界に平和が訪れる日を願うべき、今日も人々を見守り続けています。
           平成27年12月12日
           「被爆首なし羅漢さん」管理者
                 広島光明学院理事長   碓井法明
  

神田神社(福田)を探訪・・・

2015-12-26 19:15:48 | 探訪
 福田の妹の家を久しぶりに訪ねましたので(この前は留守でした)。
 目の前に見える木の宗山かと思える山裾に建立されてる神社を訪ねました。

 


 


 妹の団地の所から10分とかからない場所です。

 


 鳥居を見ると「神田神社」でした。

 


 


 階段上の門柱は細工が施してあり由緒ありそうです。

 


 


 拝殿では2名の方が掃除をされておりましたので、「お参りして良いですか}とお伺いをしてお参りしました。
 神田神社ですが「説明板」を見ると(旧福田八幡宮)となっております。

 ご祭神:品蛇和気命(ほんだわけのみこと)応神天皇(第15代天皇)
     玉依毘売命 (神武天皇の母君)
     息長帯毘売命 (神功皇后)
 お旅所 若宮神社 (福田2丁目)
  文明十年(1478)宇佐八幡宮より勧請。
  当村の宮原城主 ・宮原兵衛が武田信玄に従い甲斐の国に出陣するある夜、常に崇敬する氏神の霊夢を蒙り
  戦勝を得た。
  芸藩通志によれば、慶長四年(1599)毛利輝元公より社領二反五畝の寄献とあり。
  社殿については元禄一四年(1701)八月に社殿が建て替えられ、大正一三年(1924)一〇月に幣殿、拝殿が建て替えられた。

 


 


 


 手水鉢には盃状穴は無いようでした。

 


 掃除の方達はまだ本殿に掃除機を掛けたりされていました。

 約10年位前に亡き母と一度お参りしたことのある神社でしたが・・・。
 (余り、全然と言っていい程覚えていませんでした)

 帰ってくると、妹の家の玄関前の「松の木」が選定も終わってお正月を待っているかのように見えました。

 

清水谷神社in温品

2015-02-13 19:23:09 | 探訪
 広報ひろしまの市民と市政の「ひがし」区版に出ていた「清水谷神社」を訪ねました。
 先ず、温品公民館を訪ね、清水谷神社の場所を教えて頂きました。
 親切にも、外へ出て貰って教えてもらって難なく行くことができました。




  公民館のすぐ裏にあるお寺にも行くことに。
  
  ◎ 正光寺  浄土真宗 (本願寺派)

   掲示板の文字。
   ” 人は生まれによって尊からず
          その人の行いによって 尊し ”







  正光寺は門が閉まっていて境内は見ることができませんでした。


  ◎ 水害碑
   大正15年(1926)9月、大雨により、川が氾濫し、家屋の流出は100棟、田畑の流出は約50町歩(約50㌶)、4人が亡くなりました。
   この水害を風化させないために、昭和5年(1930)9月に「水害碑」が建立されました。




  ◎ 八幡橋

  温品川(府中大川)に架かる橋。





  ◎ 府中大川 

   平成13年(2001)ころから、地元のグループ「ぬくしな桜の会」や、地元住民が流域の清掃と草刈りを始め、清流が復活し、同19年(2007)年から、ホタルの姿が見られるようになりました。




  ◎ 清水谷神社

   言い伝えによれば、昔、神功皇后が九州に行かれる際に立ち寄られた。
   当時、当地の大旦那の夢枕に白髭の老人が現れ「この清水で病を治せば、長生きできるだろう」とのお告げがあり、大旦那はこの地に社を建て、京都の石清水八幡宮から祭神を迎えて祀られたと言われています。

  






   境内では保育園の園児たちが体操教室で頑張っていましたが、ちゃんと賽銭を投入してお参りしました。
   本殿内の絵馬も時代を感じました。




  境内のやぶ椿がひっそりと咲いています。





  ◎  白地岩
   神社設営の「保育園」のスタッフの方に丁度参観日だった保育園でしたが、広報で見た「神功皇后が立ち寄られた岩」を案内していただきました。
   神社の裏手の少し急勾配の上でした、西方向と、東方向と案内していただきました。

  
   現在の清水谷神社の上にある8畳ほどの広さの四角い岩である「白地岩」に神功皇后が滞在され、そばを流れている清水でお米を洗い、家臣たちと過ごされたそうです。










  清水の滝の水は、8月6日の平和記念式典の時に献水されています。
  保育園のスタッフによれば毎年「水質検査」もされているそうです。




  
   神社設営の保育園のためか、公民館でも「保育園で聞いてみたら」と言われていましたが、参観日にも関わらずに親切に案内をしていただきありがとうございました。
   


  ※  以上、約1時間の探索でしたが、神社はどこでも感じるのですが、この清水谷神社は特に「神聖な神域」を感じました。
   厳かな気分になったものです。