ひろしま歴史街道散策くらぶ(5月定例会)に参加!
平成28年5/19(木) 13:30 アストラムライン長楽寺駅 集合 19名参加
散策会 「
古代山陽道と安地区散策」
散策経路
長楽寺~光明寺~鶏頭原薬師堂~銀山橋~正伝寺~恵比寿神社~安公民館~上安駅
案内人 :佐々木卓也 指南役
長楽寺地区は、北側の荒谷山、南側の武田山・火山に挟まれ、その間に流れる安川に沿って広がる町です。
明治22年(1889)、当時の沼田郡中須、大町、相田、上安、高取、長楽寺の6つの村が合併し安村が誕生。
昭和48年(1973、広島市に合併、昭和55年(1980)の政令指定市郡市移行を受けて、現在の安佐南区の一部となっています。
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富士川游先生顕彰碑
日本医学史の研究によって恩賜賞を得、日本医学史学会を創設した富士蚊川游氏の碑。
医学と文学の両博士号を取得していた(当時は、森鴎外と2人だけ)。
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長楽寺跡
長楽寺観音堂
延喜5年(905)に真言宗として開かれ、戦国時代には武田氏や、毛利氏の祈祷所として繁栄した。
かっては壮大な寺院であったが、慶長6年(1601)福島氏が広島城主の時、寺領を没収され衰退、廃寺となった。
後に観音堂が建立され33年毎に本尊観世音菩薩像を拝むことができる御開帳が行われてきた。
最近では平成14年(2002)がこの33年目に当たり、お堂の修復も行われた。
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新宮神社
かっては神仏習合によって長楽寺内に合祀されていたが、長楽寺が廃寺となった後、亨保元年(1716)に現在の場所に社殿が移つされた。
境内の「イチイガシ」、「イヌマキ」は広島市の「天然記念物」指定されている。
● 途中の白い花、「うつぎ」の花。
● 古代山陽道
古代山陽道は都から諸国に延びる官道(今でいう1級国道)で、大化2年(646)に駅制が定められて以降、朝廷が唐の制度を見習って整備したものであり、その大路としての山陽道がありました。
安芸の国の道は、峠越えや川渡りなど難所続きだったと言われ、道幅は極めて狭く、馬が通る程度の道幅であったと推定されています。
安佐南区内では、戸坂から川を渡って東野付近から相田、安を通り、現在のアストラムライン沿いに大塚・石内方面へ抜けたと考えられます。
● 仁王門の跡
仁王門の跡地が記録に残るが、門の伽藍は仁王尊とともに厳島神社に移譲されたと伝わっている。
荒谷山登山道の途中に、不動院、鐘楼(奥院)がある。
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道標 → 不動道 是より18丁
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常夜燈・灰状穴 (詳細不明)
古道 → 3尺足らずの古道を重点的に歩いています。
(先生曰く、かなり良く残っている、そうです)
右に「火山」「左に「武田山」の見ながら・・・
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下田屋敷跡
地元では「どうどう神様」とも呼ばれている。
江戸時代に繁栄した下田家があった場所。
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光明寺 → 浄土真宗
弘安2年(1279)に真言宗福光寺第28世慈教が夜珠(やす)の庄(荒谷山)に円妙院を建立したのが始まりです。
真言宗の霊場として200年にわたって栄えて来たが、寛正元年(1460)第13世性空 が蓮如を師事し真宗に改めた。
戦時中、兵器の材料として軍に供出された釣鐘は、幸い溶かされずに、戦後、変換されたものである。
境内の外を取り巻く「石垣」は江戸時代のものです。
少し休んで、又、散策します。
続きます・・・