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いろんな出来事を載せています見てくださいね!

ひろしま歴史街道散策くらぶ(4月定例会)に参加!2

2018-04-20 19:47:45 | ひろしま歴史街道散策くらぶ
  途中中断しましたので続きます

  元安橋東詰よりひろしま本通りが続きますが、
  元安橋のそばにはオープンカフェがあり、観光客が大勢休憩しています。
  特に外国人が目立ちます。

  ひろしま本通り入り口には珍しいスクランブル交差点があります。

 


 交差点の北奥には「爆心地」の島内科があります。
 原爆ドームが爆心地と思われがちですが、原爆ドームより東に160mの島内科の上空、500m
 で原子爆弾がさく裂したのです。

 


 


  ひろしま本通り入り口から577mの現在の本通り(西国街道)が続きます。

 


 道路には旧町名の銘板がはめ込まれています。 
 全部で9枚ありますが設置年は聞き逃しましたが当時で、1枚15万円掛かったそうです。

 


 



 現在の大手町1丁目には「本陣」であった後される「県民文化センター」(鯉城会館)
 があり、いろんなイベント等、特に毎週水曜日には「広島神楽」の公演が行われています。

 


 ひろしま本通りを進むと「真鍋御門」があり、本通りでも旧家にされている多山本店、赤松薬局
 が戦前の姿を残しています。

 



 


 



  


 解体がうわさされてる「国際ホテル」の屋上展望台も見えていますが見納めでしょうか?

 


 
 


 


 


 
「平田屋川」があったこの付近でひろしま本通りはおしまいです。
 平田屋川の跡は埋められて現在の「並木通り」です。

 


 
ここで終点です。
 老舗の「とらや」があったところは、「H&M」「パルコ」があります。


 



 


 


 


 
パルコ前から北方向へ「金座街」が続きます。

 


 
途中「中の棚」へ立ち寄ります。
 中の棚橋が元あったそうで、地下にその痕跡があるそうです。



 


 
「中の棚稲荷大明神」にお参りします。

 
 


 
中の棚の歴史も古く、あちこちに説明版が設置されています。


 


 


 
八丁堀へ戻り、「えびす通り」西国街道を行きます。
 毛利元就のご先祖が祀られている「胡子神社」です。



 



 


 


 


 
「流川通り」です。
 夜の流川を歩く人は昼の流れ川はよう歩かんと言われるそうです。



 


 
東に向かって「仏壇通り」があり、現在は7軒の仏壇やが営業されているそうです。


 


 「
堀川通り」です。
  「西国街道」のステッカーが貼られています。


 




  


 「
中央通り」に出ると野外彫刻が被爆の惨状を残しています。


 


 
「うらぶくろ通りを横目で見て、「鉄砲屋町通り」を通り、市民交流プラザに戻ってきました。



 


 


 
午後16;00
 予定より30分早くの解散場所到着です。
 今日は城下町、福島正則が整備した「西国街道」を歩きました。
 案内役の佐々木先生の説明も参加者が多くてあまり聞けませんでしたが、いつも歩いている本通り
 八丁堀方面、改めて見る中心街ですが、先生談によると本通りが西国街道だったのを知らない人がかなり多いそうです。
 9000歩、約6km、2時間半の散策会でした。
 途中休憩がありませんでしたので、好天気過ぎて暑く、足がとってもだるくなりました。(汗)
 皆さん、お疲れさまでした。     -END-

      

ひろしま歴史街道散策くらぶ(4月定例会)に参加! 1

2018-04-20 11:45:50 | ひろしま歴史街道散策くらぶ
  ひろしま歴史歴史街道散策くらぶに参加!
  平成30年4/19日(木) 13:30 市民交流プラザ南棟集合 約40名参加。

     ~散策会 「広島城と西国街道」~ 
  

 
  散策経路 
  里程元標~広島本通り~中の棚~胡子神社~市民交流プラザ解散

  案内人 佐々木卓也 指南役

  午前の講演会「͡͡古を歩く「ひろしま歴史街道トリップ」への誘い、フォーラムがあり、
  参加者が多いです。

 集合場所の「市民交流プラザ」を出発です。
 交流プラザは袋町小学校の一部だったようです。
 
 


 「広島城下大絵図」を見ながら西国街道を歩きます。
 袋町(元西魚屋町)通り
 
  




  南に向かって「元西堂川」の跡。

 


 元安川沿いに出ました。
 「原爆慰霊碑」があります。

 



 

 





 いろいろ説明をされますが参加者が多くてあまり聞けませんでした。

 かき船「かなわ」があります。



 


 
「元保橋」の説明を聞きます。


 



 



 
 


 
元安橋の元は毛利元就の元、安は元家康の康を使っていたとか?
 ちょうど「たらい船」の遊覧船が通過していきました。


 


元安橋の東詰に「里程元標」があります。


 


 




ひろしま歴史街道散策くらぶ(30-1月)に参加!

2018-01-19 19:37:45 | ひろしま歴史街道散策くらぶ
 ひろしま歴史街道散策くらぶ(30-1月)に参加する~!
 平成30-1/18(木) 13:30 JR古市橋駅集合  17名参加。

 散策会  「出雲石見街道と旧沼田郡南郊」
 散策経路  
 
 ~古市橋跡~恵美須神社~安神社~勝想寺~安芸津彦神社~熊野神社~
 投石(いぼ)地蔵~蓮光寺~

 
 案内人  佐々木卓也 指南役

  JR古市橋駅に集合し、古代出雲石見街道を散策しました。
   

 


 古市橋駅は「旧安川」が埋め立てられて橋も川も今はありません。
 古代「出雲石見街道」通称「武田通り」を歩きます。

 


 「出雲街道=可部方面・長楽寺方面」の分かれ道です。
 画像の「道標」は現在は、安神社に有ります。

 
 


 


 街道筋の旧家の「鏝絵」の家です

 


 「まちや」も沢山ありました。

 


 ◎ 安神社    
  ご祭神 : 須佐之男命
  始めは現在の祇園中学校付近の松尾山にあり、出雲の国から須佐之男命の神を勧請し、
  祇園社として祀られました。
  正安元年(1299)の祭礼日に、厳島神社の平員家は銀山城を攻め、その時に社殿は
  焼かれました、
  当社の御旅所の現在地に御神体が移され、危うく難を逃れ、武田、毛利、福島
  浅野の各氏により崇拝されました。
  
 



 「狛犬」は200年の歴史がありひび割れていましたが、シンボルはありました。

 


 


 「拝殿」で先生が「祝詞」を挙げて本年の会の発展を祈念しました。

 


 


 「祇園坊柿」の発祥の地として2世の苗木が植樹されています。

 


 「本殿」は「伊勢神宮」を移築されているそうです。(?)
神域を感じる隠れたパワーースポットです。

 


 境内の古木「クスノキ」は歴史を感じます。
 「ムクドリ」らしき野鳥も居ました。

 


 


 「武田通り」を歩きます。

 


 ◎ 安芸津彦神社
   ご才神 :安芸津彦神 安芸津姫神
  元、青原にあり、当地の地名は「帆立」と言い、厳島神社の所有する北部山県郡内の
  荘園の倉敷地として、その積出港として中世より栄えました。
  武田氏の庇護の下で祭神は16で安芸の国内の主要神で、明治5年(1872)には
  現在の社名となり、熊野、安の諸社と繫がります。

 


 


 


 「下祇園駅」で少休憩です。

 


 ◎ 熊野神社
   ご才神 ; 伊邪那岐の命・伊邪那美の命で
         和歌山県の熊野速玉大社の御分霊を祀っています。
   天文年間(1532~1555)で、16代銀山城主の武田光和の創建と思われる
   

 


 


 


  「被爆建物」
  「石燈籠」には「灰状穴」があります。

 


 「旧毛利通り」を行きます。
 (出雲石見街道の東の裏道です)

 


 


 民家の「ロウバイ」が咲いています。

 


 「大下家」福屋の社長宅。

 


 ◎ 勝想寺 → 浄土真宗本願寺派
  永禄元年(1558)に僧無庵により開基され、元禄7年(1694)に勝想寺
  となりました。
  境内墓地には「八木用水」の生みの親の桑原卯之助の墓があります。
  熊野神社に行く街道筋に、呉服商として栄えた桑原家の旧家があり、当時の賑わいを
  連想させます。

 


  


 「本堂」に上がらせて頂きました。

 


 


 「桑原卯之助」の墓所。
 
 


 ◎ 恵美須神社
   ご才神 :事代主命
   安神社の摂社で通商の守護神となっています。

 


 これより「福島通り」江戸時代の出雲石見街道、真っすぐに伸びています。

 


 


 八木用水を開いた「桑原卯之助」の子孫宅。

 


 街道の旧家、「鏝絵の家」→ 大正時代?
 「被爆」?かと思える窓。

 


 


 ◎ いぼ地蔵
  昔、武田光和が武田山から石を投げたら地蔵となったと言われる。
  一説には神社の力石ともいわれています。
  ここにある松の葉で人に出来たイボを突いたところ、それが取れ綺麗になり信仰が
  生まれました。
 
 
 


 ◎ 栗原貞子邸 → 「うましめんかな」で有名な原爆詩人
 
 


 ◎ 蓮光寺 → 浄土真宗本願寺派
  創建は、弘安6年(1283)で、初めは天台宗で、明応5年(1496)浄土真宗
  に改宗され、慶長4年(1599)からは蓮光寺と称した。
  元は寺町にあり寛永7年(1630)現在地に移設されました。
  その際に記念に植えられた松が「蓮華松」で、県内でも有数の名木として知られる。
  昭和29年(1954)にn広島県指定の天然記念物となりました。

 


 


 「本堂」に上がらせて頂きお参りしました。

 


 
 



 ※ 蓮光寺にお参りし、最終解散場所の「安芸長束駅」に 到着しました。
 お天気も良く、よく歩きました。
 「武田通り」「毛利通り」「福島通り」と祇園の町をぐるぐる回った様に思えました。
 歴史散策くらぶの「テーマ」である「歩けば歴史が見えてくる」 旧街道の散策でした。

 午後、16;35 10500歩、6kmの今日のスマホの歩数計です。
 足が疲れましたが、皆さんお疲れ様でした。 

                       -END-

ひろしま歴史街道散策くらぶ(12月定例会)に参加!

2017-12-22 16:24:30 | ひろしま歴史街道散策くらぶ
  ひろしま歴史街道散策くらぶに参加!
  平成29年12/21日(木)13:30 JR山陽本線寺家駅集合 15名参加
 
     「古代山陽道と賀茂郡」

  散策経路   
   ~ 群八幡神~~御建神社~安芸国分寺~本陣 ~  
  案内人  佐々木卓也 指南役
 
  ひろしま歴史街道散くらぶの散策会は6ケ月振りの参加でした。
  古代山陽道を歩きます。

 JR寺家駅   → 2017年3月4日開業の新駅

 


 ◎ 綿林神社 (ゆうりんじんじゃ)
  木綿神社の祠は”ゆうりんさん”の名で親しまれています。
  古代(1300年位前)の賀茂郡は木綿群など9群がありました。
  寺家には、夕作りの地名があったので、木綿郡の一部と考えれれています。
  この祠は木綿郡の時代から続いていると考えれれます。

 
 


 


 古代山陽道を歩きます。

 


 ◎ 龍王山昭玄寺 → 浄土真宗本願寺派
  ご本尊 : 阿弥陀如来
  宝暦13年(1763)蓮成という僧が開基したと伝えられる。
  明治以降は中寺とされていたが昭和22年(1947)昭玄寺と改称された。
  梵鐘は韓国式鐘 → 天女2体が舞う装飾性豊かなもの。

 


 
  


 


 古代山陽道を歩きます。

 


 ◎ 群八幡神社
  (トイレに行き説明を聞き逃しました)

 


 


 


   (静かな神聖な空間でした)

 ◎ 賽の神 → 地蔵菩薩像(石仏)
  賽の神のいわれは古事記の神話にあるとされ、道行く人を守る神。
 平安時代になると、地蔵菩薩が庶民を救う神として道の傍に立つようになりました。
 賽の神にお地蔵さんを祀る形式が普及しました。
 
 


 
   



  (この辺りが寺家と東西條の分岐になります)

 この辺は、古池が沢山ありました。
 少し残っています。
 水鳥が居ました。
 「カワウかね~」
 というと参加者の一人が「おおばん」だと教えてくれました。
 
 
 


 


 ◎ 大日堂 → 石仏
  ご本尊 : 大日如来像(石仏)
  文明9年(1471)  ・ 再建 享和2年(1801)

 


 


 古代山陽道を歩きます。(雰囲気あり)

 


 ◎ 諏訪神社
  ご才神 : 建南方命 = 諏訪祭神
        邑陀和気命 = 応神天皇
        八幡神
  信州諏訪明神と宇佐八幡の際神を勧請した。
  和同4年(711)勧請。

 


    


 


 


 


  古代山陽道を歩きます。

 


 ◎ 旦過寺跡
  豊臣秀吉が九州へ出兵の際に宿泊している。
 
 
  


 


 ◎ 御建神社
  ご才神 : 須佐之男命・ 事代主命 市杵島命等
  慶雲2年(706)諸国に疫病が流行したため、須佐之男命に祈り疫病が止んだ
  ことから人々が社を建て祀ったのが当社の起こりと伝えられる。

 


 


 


 ◎ 教善寺 → 浄土真宗本願寺派
  室町時代の開基。
  境内に経堂、鐘楼、親鸞像、
  本堂に上がり、お参りしました。
 
 


 


 


 ◎ 賀茂鶴酒造 → 四日市跡

 


 


  (見学舎で試飲、試水とお土産をゲット)

 ◎ 本陣(御茶屋)跡
  江戸時代、参勤交代の制度により四日市に御茶屋と呼ばれる広島藩の本陣が置かれ、
  大名や幕府要人が宿泊した。
  (広島藩、領内最大規模)
  明治になると賀茂郡役所、その後、賀茂地方事務所として使われてきた。
  現在の門は当時の御門を再現したもの。

 


  
 


 『井戸の神」→ お地蔵さん

 


 「龍王山から湧き出る清水が多くあります」

 


 「西条のマンホールの蓋」

 


 ※ 最終地の西条駅に戻ってきました、ここで今日の散策は終了です。
 午後16:45 皆さんよく歩きました。 
 コースの国分寺跡には今回はいけませんでしたので、又、いずれ西条のコースを
 催行すると案内の先生が約束されて解散でした。
 10360歩、7,5kmのスマホの歩数計です。
 皆さんお疲れ様でした。

 


 西条駅から16:58発の岩国行きで帰路に・・・・

             ー END -

ひろしま歴史街道散策くらぶ(古代山陽道・雲石街道)に参加する~!  2

2017-05-19 22:36:50 | ひろしま歴史街道散策くらぶ
  続きます、
  
 ◎ 安川緑道
  安川緑道は、安川の付け替えによって廃川となった旧安川の河川敷を利用した緑道である
  中須から廃川敷のうち、武田山橋(祇園1丁目付近)までの約3,1kmの区間が緑道として整備されている。
  帆掛船の形をしたトイレもあるようです。

 


 


 ● 旧安川に架かっていた橋の痕跡があります。

 


 「ニハセキショウ」が咲いています。

 



 ◎ 可部軽便鉄道跡
  JR可部線の前身となった軽便鉄道の線路敷跡です。
  明治44年(1911)に横川~可部間で開通した、山陽鉄道(現JR山陽本線)などより軌道幅の小さい規格の鉄道で、馬力も小さく急な上がり坂では乗客 が列車をおりて後押ししたこともあったそうです。

 


  ◎ 久保山神社
   ご祭神 : 大山津見神 大穴牟遲神
  天文年間(1736~)に建築したものと考えられる庄屋格の家の跡、
  「芸藩通志」「中筋古市村絵図」で山王として記録がある。

  3本の大銀杏が特徴的、浅野藩の家紋の入った手水舎が奉納されている。

 

 


 


 


 (拝殿では、皆さんの家内安全を祈願して先生がノリトをあげてくださいました)

 ◎ 雲石街道 → 蔵や木造家屋の残る旧雲石街道

 


 


 ◎ 石畳
 麻造りが盛んだった明治から大正にかけて、古市の町には煮扱屋と呼ばれる麻の繊維工場が50軒ほどあった。
  この石畳を降りたところが古川の河原だったころは、ここで麻の繊維を干したと言われている。

 


 


 石垣の側の「どくだみ」です。

 


 ◎ 中古市一里塚跡 → 道路元標から、2里に当たる。

 


 (丁度バス停に当たり、皆で説明を聞いていたら、バスが来て止りり乗客と間違えられるハプニングもありました)

 ◎ 浄宗寺 
  天正年間(1573~1591)僧浄具が開基し、当時は天台宗だった
  元禄4年(1691)5月に時の住持寿礼(県史では寿福と記載)が改宗して真宗となる
  明治35年(1902)に、旧国道に面した現在の地に移って来た。

 


 


 


  ◎ 薬師寺分詞
  国道183号古市交差点の東側に薬師寺の分詞が置かれ、地蔵尊が安置されている。

 


  


 ◎ 八木用水
  江戸時代中期に開削された延長約16kmの農業用水路。
  南下安の大工卯之助が中心となって工事を行った。

 


 ◎ 古市橋駅
  古市橋 安川に架けられた橋で軽便鉄道がこの橋の北側部分を利用していた。
  古市橋今昔の説明板。

 


 


 ※ 午後4:45 ここで今日の散策会は終了です。
 一部、前回回った所もありましたが、好天気で暑かったです。
 古代山陽道(推測)と思われる安川通り、雲石街道と歩きました。

 「歩けば歴史が見えてくる」
 あさみなみ散策マップを見ながら、先生のガイドを聞きながら、楽しかったです。
 10800歩、6,3kmのマホの歩数計です。
  皆さんお疲れ様でした。
  END 

  おまけ
  JR可部線で16:58発で「新白島」まで帰りました。
  ホームで「マツダスタジアム」へカープの応援に行く家族です。
  (撮影許可を取っています)
  因みに当日のカープは対DeNA 9対2で勝利です!

 
 

ひろしま歴史街道散策くらぶ(古代山陽道・雲石街道)に参加する~!  1

2017-05-19 09:09:55 | ひろしま歴史街道散策くらぶ
 ひろしま歴史街道散策くらぶ(5月定例会)に参加。
 平成29年5/18日(木) 古市公民館 13:00 集合 26名参加

 
  散策会  「古代山陽道・出雲石見街道

  散策ルート

  古市公民館~安川通り~麦田八幡神社~大町橋~安川~中須稲生神社~安川緑道~
  久保山神社~石畳~古市一里塚跡~浄宗寺~八木用水~古市薬師堂分詞~可部軽便鉄道跡  ~古市橋跡~JR古市橋駅


  案内役  佐々木卓也 指南役


 13:00、今回は古市公民館からの出発です。
 古市公民館利用者の参加もあります。
 古代山陽道と思われる(推測)安川通りを麦田八幡神社へと約20分位歩きます。

 


 
    


 地元の大富豪の屋敷も多々ある中、田んぼだった周辺も開発されて景観が随分と変化していると案内役の先生が言われていました。

 ◎ 麦田八幡神社
  この村に居住していた安芸国守護武田氏縁の麦田氏が、天文年間(1532~1554)
  に社殿を造営し、これを麦山神社と名づけて同家の氏神としたのが始まりとされる
  武田氏滅亡後、麦田家も又滅びたため、広く郷土の産土社として祭ってきたと伝えられている。
  境内には縁結び地蔵とお助け地蔵がある。

 




 


 


 


 安川歩道の古代山陽道を歩く。

 


 ◎ 安川歩道のクスノキ
  クスノキはヤナギ、竹、エノキ、ケヤキなどと共に水害防備林に用いられた樹種である。
  安川歩道橋の近くに立つクスノキの大木は、昭和3年(1928)の御大典(昭和天皇の即位儀礼)を記念して植樹されたものと伝えられる。

 


 民家の「キウイ」の花が咲いています。

 


 ◎ 中須稲生神社
  創建の年月は不明だが、社伝によると奈良時代(710~794)以前からの社殿とされている。
  ご祭神:宇賀之魂神  
  文化2年(1805)に社殿を再建し、明治33年(1900)これを改築したとの記録
  があり現在のモノは昭和20年(1945)に焼失し、そのご再建されたものである。
  境内には恵比寿神社もある。

 

  


 


 拝殿の「絵馬」の「那須与一の扇の的」「天岩戸の鈿女の命」は親近感があります。

 


 


 ◎安川緑道のデザインマンホール
  安川緑道はがかって川であり、そこに橋が架かっていたことを忍ばせる石柱が立っています。
  デザインのマンホールの蓋が、平成19年に設置されたもので、安川緑道の新しい見どころとなっています。

 山之上橋、今津橋、酒屋橋、庁舎前橋、武田山橋・・・
 (オブジェであり、マンホールとしては機能してない様です)
 





 


 


 


 ここで、午後3時、スーパー「万惣」店でトイレ休憩です。

  続きます・・・

ひろしま歴史街道散策くらぶ(4月定例会)に参加する~!  2

2017-04-22 08:53:45 | ひろしま歴史街道散策くらぶ
 13:30東野公民館を出発です。
 公民館では、「古代山陽道 安佐南区散策マップ」の冊子を皆さん、頂きました。

 ◎ 東野国民学校跡(門柱)
  国民学校当時の門柱が保存されている。

 


◎ 善教寺
  もとは禅宗で彼岸院と称したが、長亭2年(1488)僧教円の時に真宗に改宗、
  前宮山を号し、善教寺と称した。
  広島超専院の末寺である。
  

 


 


 本堂の廊下に吊ってある梵鐘は、元禄5年(1692)藤原宗久という鋳物師の作。
 戦時中の供出を免れたこの鐘には,二体の天女とその鐘を取り巻く唐草模様が浮彫で施されている。

 


 ● 古代山陽道を歩きます。
  (東原地域)

 


 東原から太田川を川舟で渡った街道です。(太田川西側)

 


 東原西側から、太田川対岸の「戸坂」側(中山峠に続く)を見ます。

 


 ● 民家の藤棚の「藤の花」です。

 


 ◎ 安芸大橋 
  太田川に架かる 安芸大橋は 全長 364m。
  1968年(昭和43年)3月完成。
  この地区の「ランドマーク」的な扱いで両岸の河川敷にはゴルフ場がある。

 


 ゴルフ場の川下に、アストラムラインの高架橋、祇園水門の向うに見えるかすかな「山影」
 は「宮島」の勇姿です。


 
  


 


 


 ◎ 千足渡し場跡
  戦後初期に至るまで渡し船が交通手段で、千足渡し、樋口渡しの渡船場があった。
  昭和27年に安芸大橋が千足橋し付近に架橋し、渡船は廃止になった。

 


 ◎ 戸坂公民館
  最終地の戸坂公民館まで古代山陽道を中山峠を
  「戸坂入道なる坊さんが、坂を上るときプップッとおならが出たので、戸坂と言う、
  または戸坂入道の戸坂城に因み戸坂になった」と笑い話ならぬ伝承を聞きながら歩きました

 



  戸坂公民館前に有る、「札場の石」碑です。
  
  「札場の石表示碑」
  戦国時代、戸坂入道道海という武士が茶摺山(牛田山)に居城していた。
  辻番所の休石として、行き来の人の肩荷を休めたのがこの石である。

 


 ※ 戸坂公民館、16:40到着です。
  ここで解散になりました。
  古代山陽道を曇り日和でしたが、以前は田んぼばかりだったが、すっかり住宅地に変貌
  していると言う地区を歩きました。
  9200歩、5,3kmのスマホの歩数計です。
  古代山陽道は、2代広島城主、福島正則氏の時に「広島城下」に西国街道がルートが変更  され 戸坂村は街道筋から外されることになった。 
   歩けば歴史が見えてくる・・・
  楽しい散策でした、皆さんお疲れ様でした。
   END

  (今日の画像はデジカメが故障して、スマホの画像です、少し画像が暗くなりました)   
     

ひろしま歴史街道散策くらぶ(4月定例会)に参加する~!  1

2017-04-21 11:12:30 | ひろしま歴史街道散策くらぶ
 ひろしま歴史街道散策くらぶに参加する!
 平成29ー4/20(木) アストラム古市駅 13:30 集合 16名参加

  コース  古市駅~戸坂公民館

  散策経路 

  久保山神社~古川~才ノ木神社~川内用水~東野公民館~善教寺~古代山陽道~
  千足渡し~戸坂公民館
 
  案内人  佐々木卓也 指南役

  今から1300年以上も前の飛鳥時代に当時の朝廷か造った七つの官道の一つ
  「山陽道(古代山陽道)」が、ここ広島市安佐南区を通っていました。
  古代山陽道は、官都(朝廷所在地)と大陸・半島よの玄関口である大宰府を結ぶ第一の
  官道でした。
  東野・川内ルートを歩きました。

 ◎ 久保山神社
  ご祭神:大山津見神 ・大穴牟遲神
  天保5年(1834)に古市地区の大火ですべてを焼失したが、再建されている。
  昭和9年(1934)に鎮火100年を記念した「鎮火百年大祭記念碑」が立っている
  3本の大銀杏が特徴。
  境内の浅野家の家紋が入った手水鉢が奉納され厚く崇拝されたことが推測される。

 

  


 
 


 


 


 ● 旧雲石街道
  雲石街道は、現在の中区堺町で西国街道から別れ、出雲へ至る出雲路が一部残っている
  かっては街道筋に商店や娯楽施設がが立ち並び、大いににぎわった、いまも歴史を感じ
  させる木造の建物や蔵が一部残っている。

 


  古市の街には麻造りが盛んだった明治から大正にかけて、麻の繊維工場が50件ほどあった。
  古川では繊維の「けば」をそぎ落す作業が行われており、旧街道から古川へ通じる石畳み
  や蔵が残っている。
  古川の河原だったころは、麻の繊維を干したと言われている。

   水準点。

 


 ● 古川
  古川は良好な環境が保たれており、カワセミ、マガモ、アオサギなど20種もの水鳥が
  飛来する空間である。



 
 ◎ 才ノ木神社
  ご祭神 :誉田別尊
  
  文政3年(1820)の古文献に記録が残っている「芸藩通誌」には「八幡宮」と記されている。
  明治4年(1871)に現社名に改修された。
  この神社を厚く崇拝し祈願所としたのが「川の内警護衆」と呼ばれた水軍の将「福島大和守」である。
  現在の本殿は昭和6年(1931)に改修、拝殿は42年(1909)に増改築された
   
 
 


 


 


 


 ご神木は「さいかちの木」と思われ、才ノ木神社の由来になったと思われる。
 ご神木のパワーを頂きました。
 (根っこでもいいからと触ってきました)

 ◎ 川の内用水
  太田川と古川に囲まれた温井、中調子、中筋、東野、東原の五地区を北から南へ貫通する
  用水路です。
  改修工事がなされていますが、経緯等についての記録は発見されていません。

  


 古代山陽道を巡ります。
 途中の「豪氏」の邸宅です。


 


 


 ● どんこの石垣
  この辺りでは、丸い大きめの河原石を「とんこ石」と呼びます。
  角張った山の石が入手しにくいため、仕方なくとんこ石で石垣を築いてきました。
  
 

 


 


 ◎ 東野公民館
  東野公民館にトイレ休憩に立ち寄りました。

 

 昭和35年頃の東野地区の画像と。現在の画像です。

 


 


 この画像に当たる地区を「キタンショウ」= 「北の庄」と呼ばれていました。
 (現在の 古市、中筋、東野、小田、矢口です)

  約、30分の休憩をし、15;30出発しました。

   続きます・・・

ひろしま歴史街道散策くらぶ(定例会3月)に参加する!  2

2017-03-17 19:19:35 | ひろしま歴史街道散策くらぶ
 仁保旧道を本浦へ歩きます。
 民家の「さくらんぼ」でしょうか?
 咲いていますが、隣の赤い花は??

 


 


 ◎ 本浦説教所  
  浄土真宗、安芸門徒がお寺が無い頃から説教所でお話を聞いていました。

 


 ◎ 半べえ庭園
  半べえ庭園は有料です。
  門から見えるだけの、スポットを撮影です。
  四季折々、美しい庭が楽しめる、5月のつつじの時期は 特にお薦め。
  名称はかっての当主の金井半兵衛に由来する。

 


 


 ◎ 邇保姫神社
  黄金山一帯(旧仁保島)に氏子を持つ神社。
  神功皇后がこの地を訪れた時の故事により仁和元年(885)合祀。
  平成23年(2011)再建。


  


 


 彫刻の素晴らしい灯籠を見、、64段の階段を上ると真新しい本殿。
 「なかなか落ちない葉」と言われる「椎の木」の葉。
 
 


 本殿に参拝し、家内安全、交通安全と健康を祈念しました。

 


 

 
 ご神木は「くすのき」、階段の下の、つわぶきの花後の「綿毛」は初めて見ました。

 


 


 南本浦も埋立で新開地です。
 道路わきの電柱は「木製電柱」でした。

 


  


 ◎ 道標
  右広島駅・的場通 南通
  左大河・・・・・等 読めたり読めなかったり?

 


 東雲界隈、民家の「もくれん」の花を見ながらひたすら歩きます。

 


 


 私立「比治山学園」を左に、大学病院を右に見ながら、西霞町を行きます。

 


 


  旭町通りに出ました。

 「元宇品線跡」です。

 


 


 この辺りは出汐3丁目、「中電工業」をはじめ、中電コンサルタント 、中電プラント等
 私が現役時代に勤めた関連企業が集中しています。

 


 


 極めつけは新広島テレビ「TSS」があります。

 


 


 ※ 皆実町1丁目のバス停(南区役所前)に、午後16:45到着です。
 邇保姫神社からは旧道路をひたすら1時間歩きました。
 すっかり足が疲れてだるかったですが、今日の散策は終了です。
 13000歩、7,5kmのスマホの歩数計です。
 皆さんよく歩きました。お疲れさまです。
   END   

  おまけ
  バスで乗り換えの中央通りの街路樹の「もくれん」の花です。

 


 

 

ひろしま歴史街道散策くらぶ(定例会3月)に参加する!  1

2017-03-17 09:47:00 | ひろしま歴史街道散策くらぶ
 ひろしま歴史街道散策くらぶ(定例会3月)に参加。
 平成29-3/16(木) JR向洋駅  13:30 集合 18名参加

 散策会  「広島城東部」(向洋~出汐)

 散策経路 
 六角堂~渕崎~西福寺~竈神社~仁保公民館~本浦~半べえ庭園~邇保姫神社~道標
 ~南区役所


 案内人   佐々木卓也 指南役

  向洋駅 出発です、駅前の「すずらん通り」も開発が進んで工事中が目立ちます。

 


 ◎ 六角堂
  明治後期、製造業を営んでいた黒田弥吉郎氏が、朝鮮半島から仏像を持ち帰り安置。
  灯台でもあった。

 


 向洋から南区渕崎に長い橋「仁保橋」を渡ります。
 猿猴川(市内で一番東を流れる)を見て、橋上から「黄金山」を見上げて・・・

 


 


 


 昔、黄金山はかって広島湾に浮かぶ島でした。
 仁保島と呼ばれ、周りは、海で、七つの浦があり、向洋、、渕崎、仁保、本浦、日宇那、
 楠那、丹那がありました。

 古民家の「裏門」が残っています。

 


 ◎ 西福寺
 伊能忠敬も立ち寄った由緒ある寺院。
 浄土真宗本願寺派
 亨保3年(1718)再建されたと伝えられる。

 寺の石垣は「切り込み剥ぎ」と言う立派なもの。

 


 
 


 


 


 親鸞聖人像、鬼瓦の展示、


 


 


 明治天皇ゆかりの庭園も素晴らしい。(周遊庭園)

 


 


 「フクジュソウ」はまだつぼみでした。

 


 ◎ 竈神社
  亨保7年(1722)この地の繁栄を祈念して勧請したとある。
  仁保の街並みを見下ろせる。
  101段の階段、被爆建物。

 


 


 


 保存樹の「モッコク」が2本。
 指定番号 NO 2.

 


 市街に「廃屋」を見る。

 


 続いて、閉店の元「スーパー跡」は哀れを誘う。


 


 ◎ 旧小学校跡
  旧仁保小学校があった。

 


 


 ◎ 長屋門
  格式がある武士の屋敷の門とされていたが、明治以降はお金持ちのお屋敷にもみられる。

 


 蔵の立ち並ぶ道
 黄金山を取り巻く旧道には今も数十軒土蔵が残っている。

 


 仁保旧道  → かってバスが通っていた。

 


 


 ◎ 保存樹のクロマツ、アカマツ
  広島市保存樹
  アカマツ NO、30  クロマツ NO,29

 


 


 


 仁保旧道を本浦へ歩きます。
 長くなりますので続きます。

  続きます・・・