2024年5月31日(金)
一年に一度ぐらいは空海さまのお墓へとお参りしたいものです。
一生に一度ぐらいは空海さまのお墓へとお参りしていただければ・・と、思う私です。
昨年も行きましたが、この機会にどうぞお参りくださいませ。
2024年5月31日(金)
一年に一度ぐらいは空海さまのお墓へとお参りしたいものです。
一生に一度ぐらいは空海さまのお墓へとお参りしていただければ・・と、思う私です。
昨年も行きましたが、この機会にどうぞお参りくださいませ。
2022年11月26日(土)
石上面に印されている筋の方角は、見事に山口にある空海さまの墓の方角を教えています。
ここで下の台にお供えして手を合わせれば、空海さまに手を合わせるように石は設置されています。
見事です!
下の両面薬師本堂の前にある平たく大きな石は、下の写真の方角から石の左直線の方角を見ると高野山弘法大師廟を見事に教えています。
2022年11月23日(水)
2022年11月20日(日)岡山県倉敷市水江にある亀石を発見しました。
その亀石から山口県にある空海さまの墓までと比叡山延暦寺の横川中堂までの距離は、共に200.7㎞で全く同距離です。
又、下の図形のように、亀石から空海さまの墓までと、亀島までの距離もほぼ同距離です。差は360mです。
これらは偶然であろう筈がありません。
そして・・、壷瓶山から空海さまの墓までと、円仁の横川中堂までの距離も同距離と言って差し支えない距離です。
空海さまの亡骸を山口へと移し替えた首謀者は、円仁なのでした。
・・と言うことで今日は、急きょ米子市の「壷瓶山」の調査です。
今日は全国的に雨模様の天気ですが、響きと私の理解とが共鳴しているのであれば一瞬でもコアロッドは使えると思って・・。
2022年9月21日(水)
台風14号は、17日未明に芦北を通って北上し、18日午後9時頃、空海さまのお墓を巻き込んで出雲の方に向いた。
ちょうどそのころ、佐伯市蒲江で最大瞬間風速は、50・4メートル(18日午後9時14分)を記録したとのニュース。
そして台風は鼻高山へと到達して向きをやや南下させた。
この台風は、意思を持っていたと私に思えて仕方ありません。
・・というのは、空海さまの石室の配置は、通路の位置からしてコンパスグラスで110度方向から入って290度方向に意味を持たしています。
290度方向には対馬のハナタカ山。そして台風が教えた鼻高山。
これはもう偶然ではありえない話です。
それで私は、鼻高山とハナタカ山とを結んで、いつも通り空海コードから重要拠点を割り出す作業を行いますが、その時、最大瞬間風速50.4メートルのニュースが目に入りました。
その場所こそ空海コードで浮かび上がった二等辺三角形を描く「佐伯市」でした。
空海さまを預かり育てた佐伯氏の存在を台風は私に教えたようです。
「佐伯の方々、鼻が高いでしょう」と空海さま。・・じゃなくて、「佐伯に育てられてハナガタカイでしょう」と佐伯氏。
んん~~ん、どちらでしょう。・・どちらとも正解のように思われます。
その時代、部族としての佐伯氏は、少なくとも西日本全土を支配していたような形跡があります。もちろん海外との交易も牛耳っていたことでしょう。
台風14号が空海さまの墓を通る二日前に初めて地表からは見えない地下の石室の向きを知り得た訳ですから、私の動きと台風14号は間違いなく連動しています。
しかも芦北を通って空海さまの墓を通過して出雲の鼻高山まで行って、そこから進路を変えたのですから・・。そして最大瞬間風速50.4メートルのニュース。
そしてもう一つ・・、墓掃除にきていた人の中に、「私の旧姓は、佐伯です」という女性の方が居られて、「世が世であれば、御姫様ですね」と私は話していました。
今までの話は黄色い三角形の話でした。
これからはブルーの三角形です。
地表面で祈る先は今までとは真逆で、徳島県海陽町穴喰浦にある二子島です。
空海さまの墓と二子島と、もう一点で2:1:√3の直角三角形になる地点を求めるとそこに、空海さまの父である吉備真備が創建した廣峯神社が在るのは偶然とは私には思えません。
「空海は双子で生まれました」と私は教えられていましたから・・ここにもその証明です。
んん~~ん、あまりにも不思議な話です。地底の石室の状態と台風の意思など目には見えませんが、間違いなく意思をもった何者かと連動して動いていると私は確信できます。
空洞と黄金を探査できるコアロッドは、空海コードが教える古代天皇たちの埋め墓に正確に今まで反応を示してきましたが、意思をもった何者かは新たな世を創造しだしたように私には感じられます。
新たなステージは、霊性を高める努力を惜しまない人だけに特別な台本をあたえるように思えてなりません・・。
2022年8月17日(水)
そろそろ五冊目の本の原稿をまとめなくてはなりません。
山口へと人の流れを作らなければ空海さまから大変なお叱りを受けるようになります。
急がねば・・あれから5年半も経ってしまいました。
大本の御神体山の南に隣接する真言宗の正暦寺から、イエス・キリストの陵墓を通ってその延長線上にかわいい魚のコンターラインをした山が「真魚の墓だ。
先人たちは魚やウサギを造って楽しみながら仕事をしていましたね
2017年2月11日(土)建国記念日に遥照山両面薬師へと行った。
2017年2月12日(日)やっと望海山の空海の墓へと墓参した。
2022年8月15日(月)
空海の墓は、山口県周南市大字湯野にある望海山(616m)にあります。
可愛い可愛い魚のコンターラインを描いていて、東を向けて造営されています。
東には、真魚ちゃんのお母さんの墓と妹の墓がコンパスグラスで74度の方角に在ります。ほぼこの方向に父である吉備真備の墓も在ります。
お母さんの墓は兵庫県ですが、空海さまの墓との間には、一切遮る山がありません。マオちゃんの墓とお母さんの墓とは光通信ができます。
お母さんの墓に上られた岩元さん、この話をどう思われますでしょうか。 これは凄い!計画です。
そしてそのお母さんの墓の先に御祖母さん(孝謙天皇)の墓もあります。一度ほどの違いですから、同じ目線の先に、父母、妹、お祖母さんが眠っている様相です。
そして、6度南へ視線を下げると、祖母にあたる光明皇后の墓と、光明皇后の生母である橘三千代の墓もあります。
もう6度南へ視線を下げると、空海さまの娘の墓(島)とその生母である橘嘉智子の墓があります。
マオちゃんのお魚さんは、いつもご先祖様方の墓を見つめるように造営されていま~~す。
マオちゃん、グッジョブ!
2022年7月31日(日)
今日7月31日は、私が空海さまに教えらてた空海さまの命日です。1187年前の話だと・・。
でも・・、空海の御霊は間違いなく生き続けています。
今も続いている・・、私の12年間の体験からハッキリとそう言えます。
空海さまの墓が山口だと教えられて、うっすら雪化粧の道を「もうすぐ会える、もうすぐ・・」と上って行ったのも今思い出すと感動のシーンでした。
空海は兄妹の双子で生まれ、今日も兵庫県宍粟市にあるお母さまと妹の墓に、内藤さんのガイドでお参りに上られる母子がおられます。
最近、光明皇后は空海さまの曽祖母であり姉妹の双子で生まれと教えられました。
光明皇后の墓と光明皇后の地下神殿の場所も教えられ行きましたが、妹さんのお墓には未だ行けていません。
その前に、できるだけ祖父母になる孝謙天皇と道鏡さまのお墓参りに私は行かなければなりません。
それと・・、空海さまには娘さんもいました・・とのことです。
お墓は瀬戸内に浮かぶ島ですが、お墓のコンターラインは母親の墓のコンターラインと同じ形状をしています。
蘇我入鹿の生れ変りだと言う空海さまが今も生き続けて何を成就させたいかは、蘇我入鹿の亡骸を生野の地下神殿に祀ることである。
それが「かごめの唄」なのである。