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発音しにくい令和・中国排斥・でも万葉集は漢字で書かれている

2019年04月01日 | 天皇

今日は令和について色々書いてきました。本来、このブログは「日本史ブログ」です。政治的なことは書いてきませんでした。

でも令和の出典に関して、「しきりと漢籍排斥」が言われるのは、なんというか「滑稽」で「狭量の極み」という気がして、また少し書きたくなりました。でも「政治のことは書きたくない」のが本音で、「狭隘なナショナリズムと戦おう」なんて「戦意」は私にはありません。

元号は中国では紀元前から使っています。今は使っていません。日本では645年の「大化」が最初の元号です。つまり「元号そのものが中国由来」なのです。「漢籍排斥」に何の意味があるのでしょうか。しかも令和の出典である「万葉集」は「漢字で書かれている」のです。万葉仮名です。全部漢字です。「ひらがな」も「カタカナ」もなかったからです。

漢文ではないのです。まだ漢文を書く力を持った者は少なく、漢字の「音」を利用して書いています。時代が下ると、和製漢文で和歌を記すことが可能となったようです。「変体漢文」と言われます。わたしは詳しくはありません。

私が書いた「日本では大化が最初」も間違いです。「日本」という国名は成立していません。「倭国」です。「ワコク」か「ヤマト」と読みます。「日本」も「天皇」も、使用は早くて7世紀後半からです。これは「日本」で検索すればすぐわかることです。「天皇」で検索すれば、最初にこの「文字を使った」のが7世紀後半の天武天皇か持統天皇だとすぐに分かります。

天武天皇以前の大王は「天皇」と呼ばれてもいなかったし、「日本」という国号も使用されていませんでした。

なお天皇という号は13世紀で廃れ、再び使用されるのは19世紀初頭です。これは「光格天皇」で検索すれば分かります。

さて漢字・漢文について、

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。これは「土佐日記」です。女性が書いてはいません。紀貫之です。でも女性だと嘘をついています。なぜなら「かな」は主に女性が使うものだったからです。では男はどうやって日記をつけていたのか。漢文です。役所の公式文書も漢文です。土佐日記は10世紀の作品。この頃になると、男性は「漢文をつかいこなして」いたわけです。女性でも紫式部などは「漢文をつかいこなした」と言われています。

時代下って戦国武士にとっても漢文は重要でした。家康は大変な読書家で中国の「孫子」「論語」などを読んでいました。日本製の「吾妻鏡」なども「変則的な漢文」で書かれています。ちなみに家康は本当に読書好きで、やがて1万冊を集めた日本一の図書館を作ります。

私は「漢文が大切だ」なんて言ってるわけではありません。日本文化と漢文は「切り離せない」と言っているのです。「科挙」を採用しなかったおかげで、極端な中国化は起きませんでしたが、江戸時代に至っても、漢文は「基本的な教養」だったのです。

ここで韓国の「漢字排斥」に触れます。韓国は「科挙」を採用し、ずっと中国文化の深い影響のもとに政治を運営してきました。15世紀に国王世宗が「ハングルを発明」します。表音文字で日本で言えば「かたかな」です。でもやはり政治の公的場では「漢文」が主流でした。1910年まで。

ところがナショナリズムが台頭し、「中国文化を排除せよ」とばかりに漢字排斥・当然のことながら漢籍排斥(令和におけるような)が唱えられます。朴正煕(逮捕された朴大統領のおやじ)は、1970年に漢字廃止宣言を発表、普通教育での漢字教育を全廃してしまいます。「使用禁止」ではないのです。でも漢字を教えません。だからどんどん読めなくなります。漢字排斥が「文化破壊だった」と気がついた韓国は、今、漢字教育を復活させようともがいていますが、反対運動もあり、混乱しています。企業は漢字が読める人間を求め、だから金に余裕のある家庭は、学校外で漢字を習わせてきました。貧富の差が漢字力の差に連動してしまっています。漢字能力検定試験合格者を優遇する韓国企業が増えてきている、とのことです。娘の朴槿恵大統領が漢字「教育」復活を政策としたのは、「歴史の妙」というものでしょう。

1、歴史を「俯瞰的」に広くみるならば、日本文化と漢籍文化は切り離すことなどできない。
2、万葉集だって漢字で書かれている。
3、漢籍排除・漢字排除、、、韓国が行い、今はそれで困っている「文化破壊」を日本は行ってはならない。

 令和は「初めて漢籍ではなく日本の古典(国書)から選定された」なんて言って「一部の人々が」喜んでいるのは、実に滑稽である、というより交流する文化の本質、文化の複合性と重層性をわかっていない行為だと思えてなりません。

追記 私は知りませんでしたが、この指摘は面白いですね。

「令和」の二文字がとられた序文は中国の有名な文章をふまえて書かれたというのが、研究者の間では定説になっている。
 小島毅・東大教授(中国思想史)によると、(中略)「初春の令月」「風和(やわら)〈ぐ〉」が新元号の典拠(万葉集)だ。この序文(は実は)中国の書家である王羲之(おうぎし)の「蘭亭序(らんていじょ)」を下敷きにしている。
 さらに「梅は中国の国花の一つで中国原産ともされ、日本に伝わった。『中国の古典ではなく日本の古典から』ということにこだわった今回の元号選びは、ふたを開けてみれば、日本の伝統が中国文化によって作られたことを実証したといえる」とも指摘する。(引用ですが、勝手に中略をしています)


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