散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

男系天皇論議を傍観する

2019年06月15日 | 天皇
学問的には、つまりほぼ全ての歴史学者は、神武天皇は実在しないとしています。ほぼ全てですから例外もいます。安本さんとか。古田さんもそうかな。

元号が変わった時、神武とか男系天皇を巡る論議とかを「傍観」しながら、いろいろ面倒だなーと思っていました。

わたしの感覚だと、

・実在した天皇が6世紀の継体天皇からでも、何も困らない。

・BC660年頃に神武天皇というか天皇など実在するわけないし、実在しなくても何も困らない。

・万世一系じゃなくても別に何も問題はない。

・男系神話もありえないし、男系じゃなくても何も困らない。

わけです。

天皇制というのは法治国家上の役割であって、そこに何も神秘的なものは感じないからです。象徴天皇制に限定するならその歴史はまだ70年程度です。

それなのに「女系天皇が誕生すると日本が滅びる」的な感じで熱くなる方がいます。

そういう人に対して「神武天皇はいない」とか「万世一系は嘘だ」とか「女系でも何の問題もない」とかいうと「大変なことになり」ます。

だからこのブログはそんな主張をしてはいません。いませんから安心してください。「私の感覚」を書いているだけです。

「と学会」の元の会長だった山本弘さんが「南京大虐殺では論争するな」ということを書いています。相手は「無敵くん」なのだから無駄ということです。

万世一系、男系論者も「無敵くん」です。とても論破などできません。まあこっちも自分の感覚を信じているので、ある意味「無敵くん」なのですが。

山本さんは「南京では一万人は殺されたから大虐殺といっていいだろう」としながらも、中国に「謝る必要はない」とも書きます。

その理由は「だって僕は何も悪いことしてないもん!」というものです。

一般市民の私としては「その通り」なわけです。私は政治家ではない。従って自分が生まれてもいない時代に、日本人がやったことに責任をとることはできません。実際責任はないからです。生まれてないのです。

じゃあまた同じことをやるのかと言われれば「やるわけないじゃん」で終わりです。戦後日本人は「戦争では」「直接には」70年以上一人も殺してはいないのです。

もう少し真面目に書くと、私は南京大虐殺に関与していませんし、生まれてもいない、関与していない以上、反省もしないわけです。ただ、反省しないとしても、戦争におけるあらゆる残虐行為には反対だし、「知ることの重要性」は感じます。

さて、現代においても日本人が起こした殺人事件について、責任をとることなどできません。知らないところで知らない人がやったことです。

万世一系についても、別にわたしとは何の関係もないわけです。皇国史観の強制が今もあれば、関係してきますが、現代はそれも目立ってはありません。

つまり日本の天皇制が世界最長でも最長じゃなくても、男系でも女系でも、わたしには何の関係もない。それで私が偉くなるわけでもなく、卑しくなるわけでもありません。

日本の偉人として例えばIPS細胞の山中伸弥教授がいます。ノーベル賞もとりました。彼の研究は偉大です。しかしそれは彼が凄いわけす。同じ日本人だからと言って、私まで凄くはなりません。山中先生に何の協力もしていないし、会ったこともありません。

分けて考えることが必要だと思うのです。

大きな車に乗っていると気が大きくなる人がいますが、実際は車が大きいだけで、人間が大きくなったりはしません。

あくまで私の感覚を書いているだけなので、不快を感じた方はご容赦ください。ただウソは書いていません。

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