散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

信長と光秀 「その為には仏も死ね」「信長は魔神か」

2017年08月28日 | 織田信長
「信長は魔神か」

これはドラマの中での明智光秀のセリフです。舞台はむろん延暦寺焼き討ちです。

「まじん」ではなく「ましん」と発音しています。

光秀は延暦寺焼き討ちを「いさめた」ことになっていますが、史実としてはどうなんでしょうか。

焼き討ちの後、光秀は坂本築城を許されています。散々逆らった光秀に恩賞なんてことはあるのでしょうか。

まあ史実はともかく、ドラマでは「逆らう」「諫める」のです。

ある小説では、信長は最初なんだか分からず、ポカンとした、ことになっています。

不思議そうに、「光秀、仏像とは、あれは木と金(金属)で人間が作ったものだぞ」と逆に光秀に質問するのです。中学の頃、このセリフが僕は好きでした。

ドラマ「国盗り物語」ではこんな風に言います。

「(悪人とは)叡山の坊主どもよ。僧でありながら、僧刀を携えて殺生を好み、女人を近づけ、学問はぜず、寺の本尊を拝まず、仏の宝前に供華灯明さえあげずに、破戒三昧の暮らしをしている。そういうやつらの国家鎮護に何の験があるか。」

「うぬが事ごとに好みたがる、古き化け物どもを叩き壊し、すり潰して新しい世を招き入れることこそ、この信長の大仕事よ。その為には仏も死ね。」

信長VS光秀のシーンとしてはこれが「定番」で、あとはこれの変化形のような気がします。

同じ司馬さんの原作である「功名が辻」。前にも書いたように原作では信長は一切登場しないのですが、仲間由紀恵さんの大河「功名が辻」ではむろん登場し、舘ひろしさんが演じました。

正直、声がこもっていて好きじゃなかったのですが、やはり

「うぬが事ごとに好みたがる、古き化け物どもを叩き壊し、すり潰して新しい世を招き入れることこそ、この信長の大仕事よ。」

というようなセリフを言っています。ただし「そのためには仏も死ね」はありませんでした。時代というものでしょう。

そもそもドラマ、大河「国盗り物語」は斉藤道三のこのようなセリフから始まります。

「乞食同然の天子(天皇)になりたいとは思わぬが、将軍、いやそれが無理なら、せめて一国一城の主になりたいものだ。人間望んで望めぬものでもあるまい」

このセリフの前半部分は今は無理ですね。NHKがクレームで倒れてしまいます。これも時代というものです。

話戻って信長。上記が「中世の破壊者としての信長像」の代表的シーンです。前に書いたように、奇妙な情熱をもった新説好きのつまらない学者が必死になって否定しようとしているイメージでもあります。

僕がそういう学者さんを嫌うのは、主には「つまらない」からです。それでは「つまらない」。

「信長は魔神か」

やはり光秀には「驚きと畏怖恐怖をもって」、このセリフを言ってほしいと思います。

以下蛇足。

おんな城主直虎の信長は市川海老蔵さんのようです。歌舞伎界の中心役者(次代の市川團十郎)を起用するのだから、なんとか「人間五十年の舞」をきちんと舞わせてほしいものですが、「桶狭間のシーン」などを考えると、たぶん舞わないでしょうね。まるで「いじわる」をされているような感じすらします。


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