遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『書楼弔堂 待宵』   京極夏彦   集英社

2023-03-05 22:28:43 | 京極夏彦
 書楼弔堂シリーズの第3弾! 第1・2作を読まずに、最近刊から読み始めてしまった。このシリーズは短編連作集である。本書にはこの短編シリーズの第13から第18の6編が収録されている。「小説すばる」(2017年2月号、2021年10月号~22年6月号の隔月)に各短編が連載されて、2023年1月に単行本が刊行された。
 手許に第1作の『書楼弔堂 破暁』を文庫版で購入済みだったのを後で思い出した。遅ればせながら、この第1作を確認すると、短編6編が収録されているので、各巻6編ずつということになる。

 この第3作、まずは表紙が洒落ている。オスカー・ワイルド作『サロメ』の挿絵部分図を組み込んだ装幀である。オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー画「ヨカナーンとサロメ」である。「書楼弔堂」という異質感を漂わすタイトルと共振している感じがする。
 一方、本書には、各編に鳥の図版が掲載されていて、その絵は毛利梅園『梅園禽譜』という天保10年(1839)の序が付く書からの図である。各短編に出てくる鳥名ともリンクしていて、様々な書を所蔵する「書楼」にマッチした雰囲気づくりにもなっている。

 元禅僧で還俗した男が、何でも揃う書舗(本屋)の主となり「弔堂」と称して営んでいる。その本屋はある坂道を登り切った先で一つの細道に入り、お寺に到るまでの細道の途中に周囲の景観に融け込むようにして建つ奇妙な建物である。見落としてしまう場所にあるという。普段は本を墓の如くにみなし本を弔っているが、その本を購うに最適な人に本を売るという方針の奇妙な本屋が舞台になっていく。然るべき人たちの口コミで書楼弔堂の存在を知り、然るべき人が本を探しに来ることにまつわる話を語ることがモチーフになっていると思う。それが所謂章立てに反映しているところが面白い。「第十三章」とは記さず、「探書拾参」と表すという具合である。読んでみてなるほどと思ったのだが、短編作品のタイトルはいわばそのストーリーのテーマが二文字の語句で表現されていると受けとめた。遅ればせながら手許の第1作『書楼弔堂 破暁』を確認したが、このネーミング法は一貫している。
 この後は、第1・2作は未読なので、この第3作に限定して、読後印象をご紹介する。

 本書の短編自体の内容は、勿論順次変化していくのだが、ストーリーの流れ・構成には一つのパターンができている。時代は明治の30年代後半に設定されている。ストーリー自体には明確な日時の記載はほとんどない。しかし主な登場人物が交わす会話などから大凡が類推できる。本書6編の大凡のストーリー展開は、前半でまずある坂道の上で甘酒屋を営む爺が登場する。彼の名は弥蔵。弥蔵は自らくたばり損ないの耄碌爺と自嘲している。幕末は幕府軍側に属した生き残りで、自ら賊軍だったという。弥蔵は人には語れない過去を背負っている。そこに、坂道の下側の町中に住む二十代の利吉が、甘酒飲みの常連客として登場する。彼は定職を持たない、職探し中の青年。弥蔵はいわば世捨て人。利吉は世間のホットな話材・情報を弥蔵に聞かせる。二人の会話から、時代状況や二人の考え方の違いやスタンスがわかる。明治時代の雰囲気も読者に伝わってくる。例えば、最初の「探書拾参」では、弥蔵の思い並びに弥蔵・利吉間の会話に、「行軍訓練中に命を落とす、やはり凍死は嫌だ、ハ甲田山の騒ぎ、もう十日も前のことだろうに・・・」という語句が次々に現れてくることから時代設定が推測できる。八甲田雪中行軍遭難事件は、調べてみると、明治35年(1902)1月に起こっている。
 この前段を踏まえて、もう一人主役になる人物が甘酒屋を訪れる。その人物は何等かの問題を抱えている。その対処ができる書を求めている。そこで書楼弔堂を訪れるために道順を尋ねたいのだ。だが、生憎とその書楼は説明しづらくわかりにくい場所にある。そこで、弥蔵が弔堂まで道案内する役割を担う。
 後半は、本を購うために弔堂を訪れる人物と弔堂の主との会話がストーリーの中心になる。弥蔵はいわばその場のオブザーバー。その状況の目撃者である、弥蔵という目撃証人の視点からストーリーが語られていく。時には弥蔵も会話に加わる。

 本書の特徴のひとつは、各短編の後半に登場する人物が、歴史に名を残す実在人物であること。その人物に関わる史実を踏まえて、その人物をモデルにし、ある一側面を鮮やかに切り取るという形でフィクション化している点にある。この点が実におもしろく、かつ弔堂の主とこの人物の会話が興味深い。
 2つめの特徴は、弔堂の主が、書について客に語る情報(チェックしていないが多分事実情報)の内容である。いわば書について該博な知識の泉があふれ出す。読書人には楽しみな情報提供になっている。著者の該博な知識あるはリサーチの結果がここに反映しているのだろう。
 3つめの特徴は、少なくともこの第3作に登場する弥蔵の人生に触れるということ。彼の抱える過去とは何か? その謎解きの側面が明らかになっていく・・・。短編を読み進めるうちに、読者は弥蔵という男への興味関心を深めていくに違いない。私がそうであったように。
 4つめの特徴は、利吉という人間がどうなっていくのかがわかるということ。利吉への関心をやはり読者は抱くことになるだろう。そのおもしろみが加わる。
 5つめの特徴は、目次におけるカウントの仕方である。この点は、以下のご紹介の中でおわかりいただける。こういう漢字の使い方は、私にとっては初見である。

 目次並びに、ストーリー後半に登場する歴史上の実在人物名、そして、読後印象からみの簡略なコメントを記してご紹介しよう。

<探書拾参 史乗>  徳富蘇峰  (蘇峰の弟は作家の徳富蘆花)
 徳富蘇峰は時代の転換期において、蘇峰は言論人として矜持を持つが、己の行動の方向性を模索していた。その局面が弔堂の主と蘇峰の会話で描き出される。
 弔堂の主は、頼山陽著『日本外史』を蘇峰に翳す。

<探書拾肆 統御>  岡本敬二(作家岡本綺堂)
 岡本敬二は、子供の時の記憶に残る絵を挿絵にしていた草双紙を求めて弔堂を訪れた。弔堂の主は、その書名を即座に返答する。しかし、それはもう手許にないと答える。そして、主は逆に、英国の雑誌『Beacon's Christmas Annual』を岡本に進呈した。その雑誌に、アーサー・コナン・ドイル著の小説「A Study in Scarlet」が載っているからという。そして弥蔵の発言に対して、「読み味の本質は何処にあるのでございましょうや」と応えるのだった。
 統御については、雑誌進呈の少し前に、主、岡本、弥蔵の三人の会話として出てくる。

<探書拾伍 滑稽>  宮武外骨(反骨の操觚者)  操觚者=文筆家、ジャーナリスト
 宮武は本を購うのではなく、書楼弔堂のことを知り、自らが編輯した雑誌類を売るために訪ねる。その目的は、雑誌発行などで作った借金返済のため。その経緯が宮武外骨の生き方を示す。
 弔堂の主は、雑誌の山を選り分け、一部を買い取る。しかし、大半は宮武が手許に保管し、逆に欠番をいずれ購入してフルセットにすることを薦める。
 「滑稽」にはいくつかの意味が重ねられている。そこが読ませどころだと思う。

<探書拾陸 幽冥>  竹下茂次郎(のちの竹下夢二)
 早稲田実業学校に在学し、己の生き方(実業か虚業か)に悩みつつ、幸德秋水の活動を手伝っている竹下茂次郎と弥蔵の出会いを描く。その時、往来で弔堂の小僧が事故に遭う場面に二人が居て、小僧を助ける。それが縁で、竹下は弥蔵とともに弔堂に行く結果となる。
 弔堂の主は、竹下に『サロメ』の英語版、そこに載る線画の挿絵を見せる。さらに、葛飾北斎と喜多川歌麿の絵をみせる。そして、主は2枚の浮世絵を竹下に進呈する。
 弔堂の主は、竹下との会話で、画風の違いについて、己の意見を述べる。それは、竹下の迷いに対する示唆となるのだろう。本書の表紙は、この短編と直接リンクしていた。

<探書拾漆 予兆>  寺田寅彦
 利吉が弥蔵を街中のある場所に案内するが、道に迷ってしまう。休憩に立ち寄った茶店で休んでいる時に、弥蔵はある老人に眼をとめる。何故か気になる。その老人は尋ね事をした若者に対し一礼して立ち去った。若者に尋ねようと弥蔵は声を掛けた。若者は弥蔵に寺田と名乗る。彼は、弔堂に幾度か出かけていて、弥蔵の顔を見知っていたのだ。
 茶店で行われる会話、金平糖がなぜあんな形になるかの話題の展開がおもしろい。弥蔵は寺田から老人の名は藤田五郎と知る。
 寺田は藤田五郎の探し求めている本について知る為に、弥蔵とともに弔堂に行く。寺田は藤田の尋ね事から、藤田の探す本に記された内容と藤田との関わりを論理的に解明することに関心を持っていたのだ。弔堂の主は本の題名も藤田の素性も知っていた。勝海舟他から情報を得ていたという。寺田は主にその本の入手を依頼する。寺田寅彦の当時の状況と思考スタイルが興味深く描かれている。その点はたぶん事実を反映していることだろう。

<探書拾捌 改良>  藤田五郎(齋藤 一)
 弥蔵は背中に痺れを感じる状態に陥る。そんな身体不調の状況の場に利吉が訪れ、弥蔵に関わっていく。一方で、己の今後の生き方について、弥蔵に語る。
 藤田五郎が寺田から連絡を受けたことで、弥蔵の店を訪ねてくる。二人の間で、過去の生き様が話材になる。
 二人は弔堂の主の許を訪ねる。会話の中から藤田五郎が齋藤一と名乗っていた新選組時代のことが明らかにされていく。また、弥蔵が己の過去を語る。
 読者にとって、この短編連作の前半部分のストーリーの累積の先で、弥蔵の心中がストンと理解できるという展開になっている。利吉の生き方の選択に一つの結論が出る。

 なかなか巧妙なストーリー展開になっている。
 早速、第1作に立ち戻って読み始めようと思う。一方、第4弾の出版を期待したい。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
八甲田雪中行軍遭難事件  :ウィキペディア
徳富蘇峰  :ウィキペディア
徳富蘇峰  近代日本人の肖像 :「国立国会図書館」
岡本綺堂  :ウィキペディア
宮武外骨  近代日本人の肖像 :「国立国会図書館」
明治新聞雑誌文庫 ⇒ 近代日本法制史資料センター 東京大学 
竹下夢二  近代日本人の肖像 :「国立国会図書館」
夢二郷土美術館  ホームページ
サロメ (戯曲)  :ウィキペディア
4974554 オーブリー・ビアズリー 「ヨカナーンとサロメ(サロメ挿絵)」 :「アフロ」
寺田寅彦  近代日本人の肖像 :「国立国会図書館」
金平糖について :「緑壽庵清水」
齋藤一   :ウィキペディア

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
[遊心逍遙記]に掲載
『ヒトごろし』  新潮社

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