遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『漆花ひとつ』 澤田瞳子  講談社

2023-03-11 13:17:23 | 澤田瞳子
 著者の作品を読み継いできている。本書は、白河上皇の死後、鳥羽上皇(宗仁)・後白河上皇(雅仁)・二条天皇(守仁)の時代、いわゆる院政時代を題材に取り上げる。天皇家の系譜における政治的確執を背景に、史実を踏まえて様々な確執の局面に焦点をあてている。様々な状況に投げ込まれた人々の人間模様をフィクション化した短編集である。5編の短編が収録されている。「小説現代」(2018年8月号~2020年4月号)に発表された後、2022年10月の単行本が刊行された。

 この時代の状況と雰囲気が感じ取れる短編集である。各編を読後印象を加えて簡略にご紹介しよう。

<漆花ひとつ>
 時代は白河院の死から1年を経た頃。鳥羽ノ宮は宗仁上皇(後鳥羽上皇)が主となっている。この鳥羽御堂に仕える応舜という気弱な法師が主人公。彼は我流ながら絵を描くことを得手とする。応舜は魚名という少年から寝ついた母に姉の顔を描いた絵をみせてやりたいと、絵を描くことを頼まれる。女を描いた事が無い応舜は、下郎法師を束ねる恵栄のはからいで、鳥羽ノ宮の一隅、泉殿跡に建つ小屋を拠点とする傀儡一座中の一人の傀儡女、中君を紹介される。この中君との関わりに絡むストーリー。
 当時、都で二人義親騒動が起こっていた。義親は二十余年前に、平正盛により誅伐されたはずなのに・・・。中君はこの義親を見物に行きたいという。応舜は案内する羽目になる。その見物行の折、中君は東市の店で漆の花を模つた銀作の釵子を購入した。その時は、義親の顔を見る機会はない。だが後日、応舜は偶然にも鴨院義親の顔を描くことになる。その絵を応舜は中君に渡した。だが、それが中君との別れに・・・。
 小屋が撤去された更地で応舜が残された銀作の釵子を見つける。
 二人義親に絡む政治的カラクリの一局面を応俊は理解する。応舜の中君に対する淡い思いが余韻となる。

<白夢>
 「自分はもしかしたら、泰子よりも彰子よりも、国母たる得子よりも幸せな女なのかもしれない。なぜなら年を経ても奪われぬ知識が、子を産めずとも果たせる勤めが、己にはあるのだから」(p97-98)という結論を抱くに到る典藥寮のたった一人の女医師、大津阿夜の見聞譚。
 阿夜の夫紀正経は家財道具一式を運び出し阿夜を捨てて出ていった。阿夜は典藥頭から命じられ、内覧藤原忠実の依頼として、土御門東洞院にある藤原泰子の住む屋敷に出向することになる。後に高陽院と称される泰子は、鳥羽上皇の形だけの皇后。
 形だけの皇后・泰子は、上皇と得子(後の美福門院)の間に生まれた叡子という赤子を養女としていた。泰子は気鬱の病だという。薫物を激しく焚きこめる屋敷において、赤子に対応し、泰子の症状に対処していく阿夜が描かれる。そこでの見聞から、阿夜には鳥羽上皇に関わる女性の人間関係が見えてくる。
 八条東洞院に住み、中流公卿の娘である得子は今は上皇の寵愛を一身に受けている。泰子は名ばかりの皇后で、上皇が通って来ることは皆無。花園・法金剛院御所に住む待賢門院璋子。璋子は、上皇との間に、顕仁(崇徳上皇)、統子(上西門院)、雅仁(後白河上皇)を産んでいる。ここには上皇をめぐる女性間の確執が描かれていく。待賢門院璋子から嫌がらせを受けていた泰子は、得子が男児を産んだ(体仁、後の近衛天皇)ことから、策略を巡らせていく。
 後宮の舞台裏は、まさに愛憎入り交じるサバイバルゲームともいうべき世界だったのか・・・・という思いを深くする。
 
<影法師>
 「上西門院統子内親王の護衛に当たるもののふ遠藤盛遠が、兵庫頭・源頼政の郎党である渡辺渡の妻女を殺害した」(p101)という一文から始まる。遠藤盛遠は出家して文覚と名乗った。
 京都の伏見には、この殺害事件、文覚に関わる寺が2つある。史跡探訪で訪れたことがある。「渡辺佐衛尉源渡(みなもとのわたる)の妻、袈裟(けさ)御前に横恋慕し、誤って彼女を殺してしまった」ということが探訪の折の記憶にあった。
 この短編は雅仁上皇(後白河上皇)に仕える人々の間に生じていた政争・確執を踏まえて一つの仮説を持ち込む。上西門院の暮らす三条南殿に仕える下﨟女房相模が、己の目を通してみた遠藤盛遠像と事態のギャップに対する疑問を解くために行動し始める。そして一歩踏み込んだ解釈を紡ぎ出していく。
 「武士なぞ畢竟、上つ方のただの手駒。彼らの気分次第で、幾らでも入れ換えられる。それにもかかわらず、文覚は己の務めを忠実に果たそうとし、結果、すべての罪を一人でかぶった」(p144)それが相模の行き着いた推測だった。
 遠藤盛遠(文覚)の妻女殺害行為についての真実は何か。今の世に伝わるエピソードの背後に、思わぬ歴史の謎が潜んでいる思いがした。

<滲む月>
 権中納言・藤原信頼と左馬頭・源義朝が信西入道を殺害せんと乱を起こす。歴史年表では、「平治の乱」の一行が載る。
 信西入道の首級を含め三級が獄舎の門の屋根に掛けられさらし者とされた。その首級の一つが平康忠である。中国の故事にならって、あるもくろみを期待し、康忠の妻周防と息子時経がその首級を取り戻そうとする。その時、信西入道の七男坊で叡山僧の澄憲が配下の者と首級を取り戻しに来ていた。それをきっかけに、周防と時経は澄憲との関わりができ、彼らは澄憲に活計としての仕官先を斡旋してもらう。
 周防は守仁天皇(二条天皇)の中宮・高松殿姝子(しゅし)の女房として宮仕えをする。高松殿は鳥羽上皇の内親王で、雅仁上皇(後白河上皇)の異母妹にあたる。雅仁上皇と高松殿は仲がいい。一方、時経は式部省の史生として勤めることになる。ところが、守仁天皇と雅仁上皇の間には政治上の確執がある。周防は己と時経が置かれた状況がわかってくると、澄憲の意図は何かに疑念を抱き始める。
 権勢争いの中で翻弄される母子の姿に哀れさを感じる一方で、生きることへのしたたかさを感じる。澄憲もまたしたたかである。

<鴻雁北(こうがんかえる)>
 雅仁上皇と守仁天皇との間には政治的確執がある。また、上皇は歌舞音曲の達人としても名高い。天皇は琵琶を愛している。琵琶には西流と桂流の二流が存在する。西流は隆盛を極めているが、桂流は衰退著しい。系譜として源信綱が桂流の後継者であるが、「弾かずの信綱」との異名をとり、笙や篳篥を奏するが琵琶には手も触れない。そこで桂流琵琶の正統なる後継者は大原の郷に隠栖する尾張尼一人となっている。
 天皇は宴の席での琵琶の演奏で上皇を瞠目させたいために、桂流琵琶を演奏したい願望を抱く。そのためには尾張尼を内裏に呼ばなければならない。中原有安はその役目を名乗り出た。尾張尼が天皇の要望を拒絶することから有安の苦労が始まるというストーリー。 天皇の周辺に連なる楽人たちの有り様も描き込まれていく。
 「楽を生業とする者にとっては、麗しき響きもまた立身出世の手立ての一つ。とかく慌ただしきこの世を渡るためには、楽の美しさばかりに耽溺してはいられぬのだ」(p210)という意識の有安は立身の手段として、尾張尼を大原から引き出そうとやっきとなる。
 有安は、皇嘉門院の女房として務める治部卿から呼び出される。治部卿は源信綱の娘だった。治部卿は桂流琵琶の秘事として、尾張尼の所有しない桂流琵琶の伝書を信綱が所蔵することを教えた。そこから、新たな動きが始まって行く。
 天皇と上皇の歌舞音曲面での確執が楽人達を翻弄していく。さらに、この話に摂関家の御曹司・藤原基実が平清盛の娘を娶ることになり、平清盛が絡んでくるところもおもしろい。尾張尼との関わりを通して中原有安は楽人の根本に回帰するに到る。それがオチといえるだろう。
 著者が尾張尼に語らせる言葉が印象深い。
*花鳥風月を恋い、異国を恋い、友を恋う。かような思いが楽を生み、人々に奏でさせるのさ。天を動かし地を感ぜしむ楽は、生きる人間の念そのものとも言えるんじゃないかい。 p246-247
*美しきものを激しく恋う思いがなけりゃ、楽は上達しないよ。 p247

 上皇・天皇間の確執からの波紋に翻弄されていく人々の姿と思いが様々な局面で描き出されている。歴史に残された断片的事実の隙間、明かされることのない闇の中に塗り込まれた人々の存在と状況がフィクションとして紡ぎ出されている。
 歴史年表に記された一行の説明のその奥を想像する楽しみにつながる短編集といえる。
 ご一読ありがとうございます。

補遺
鳥羽離宮 :ウィキペディア
鳥羽離宮 都市史  :「京都市」
信西    :ウィキペディア
平治の乱 :「ジャパンナレッジ」
恋塚寺  :「京都感応Navi」
恋塚 浄禅寺  :「京都観光Navi」
鳥羽天皇  :ウィキペディア
待賢門院 ⇒ 藤原璋子  :ウィキペディア
美福門院 ⇒ 藤原得子  :ウィキペディア
「平安時代を終わらせた女性」美福門院と高野山  :「高野山の歴史探訪」
高陽院 ⇒ 藤原泰子   :ウィキペディア
後白河天皇 :「ジャパンナレッジ」
二条天皇  :ウィキペディア
姝子内親王 :ウィキペディア
上西門院 ⇒ 統子内親王  :ウィキペディア
琵琶譜(びわふ) :「宮内庁」
中原有安  :「雅楽研究所 研楽庵」
第23回 方丈記 鴨長明  荒木浩  :「京都新聞」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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「遊心逍遙記」に掲載した<澤田瞳子>作品の読後印象記一覧 最終版
       2022年12月現在 22冊
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