遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『覇王の轍』  相場英雄   小学館

2023-05-09 18:49:05 | 諸作家作品
 この小説のモチーフが、本書のタイトルになっている。私はそう受けとめた。
著者はこの小説の最終ステージで次のように語らせている。<この国で一番悪い仕組みは、一度決めたら中断はおろか、後戻りすることが一切許されないことだ>(p411)さらにこの一文に続く。<今から50年も前に決めたことが、規定路線として今も生きている。田巻元首相という戦後最強の覇王が作った轍(わだち)は、既得権益、利益誘導、集票の道具として新幹線を延長させ続ける>(p411) さらに小説の末尾に近い箇所で<この国は「覇王の轍」の呪縛に50年以上縛られたままだ」(p459)と駄目押しする。タイトルの「覇王の轍」はここに由来する。
 本書は、「STORY BOX」(2021年9月号~2022年7月号)に連載された後、2023年2月に単行本が刊行された。

 主人公はキャリア警察官僚の樫山順子。警察庁に入庁後、凡庸なポストばかりを歩み、警視庁捜査一課管理官となった。ここで継続捜査班のベテラン警部補とともに殺人事件に関わり、「最終的に事件は他の省庁も捲き込む騒動に発展し、警察の威信を内外にアピールする結果となった」(p24) 
 樫山は急な人事異動の発令を受け、急遽北海道警察本部刑事部捜査二課の課長として赴任することが決まる。樫山が先輩に同行して赴任の直前に内閣官房副長官の松田に面会したときに、松田は樫山の担当したこの殺人事件に触れた。松田は樫山に「あそこは色々と問題のあるところ。なにか困ったことがあれば、ここに連絡しなさい」(p22)と告げた。

 プロローグは、JE宗谷本線永山駅から一人の男がタクシーで市営住宅団地の集会場で行われている葬儀に参列するという場面である。
 場面は一転し、着任日の前日、樫山がスケジュールを調整して、八雲町にある牧場に嫁いだ親友の川田ゆかりと再会する場面に切り替わる。そこへ刑事部長命を受けたという捜査二課の伊藤保から連絡が入る。伊藤は樫山が北海道の事情になじむまでの世話係を命じられたという。このストーリーの進行において、伊藤は樫山のサポートであるとともに、樫山の捜査行動での相方となっていく。
 樫山は伊藤の運転でまずは函館に向かう。その途中、国道五号線沿いにある地元の生産者の直営食堂に立ち寄る。食堂で待ち時間に樫山が三日前の北海道新報の社会面記事を読んでいて、<ススキノの雑居ビルで転落事故>という15行程度のベタ記事に目がとまった。そばに来た女性店員がその記事に目をとめ、転落死した東京から出張中の稲垣達朗の事件について、感想と疑問を樫山に告げた。3,4回この食堂に来た事があること。鉄道が好きで、どこか東京の役所に勤めていると聞いたこと。「あのビルは風俗ビルなのさ。私、札幌の専門学校に行ってたの。ススキノのラーメン屋でバイトしていたからわかるのさ。それにこの人、下戸だって言っていたし」(p45) その店員は稲垣がそんな場所に行ったことに不審感を抱いていたのだ。

 樫山が着任すると、第二課は特捜班キャップの冬木辰已警部補の下で、ある贈収賄事件に取り組んでいた。警視庁捜査二課からの情報を端緒として冬木たちは捜査を始めたという。警視庁捜査二課は小堀理事官のもとで、贈賄側の捜査を進めている。小堀は樫山にとって大学の先輩にあたった。一方、道警の捜査二課では収賄側の捜査を行っていた。被疑者は、道の病院局の課長補佐、栗田聡子39歳、独身。病院の資材や物品購入に関する入札情報を業者に漏洩していた疑いである。栗田は、月に一、二度の割合で東京に飛び、ホスト遊びにいれ込んでいることを、警視庁の内偵班が掴んだのだ。この贈収賄事件は、警視庁の小堀理事官が指揮する捜査班と道警捜査二課の連携事件として進んでいた。着任早々、樫山はこの大きな事件で道警側の捜査当事者のトップに位置することになる。
 このストーリーでは、この贈収賄事件の捜査がメイン・ストーリーになっていく。

 一方、食堂の店員から耳にした稲垣の転落死についての発言が、樫山には心にしこりを残した。樫山は伊藤に指示して、この事件の記録を入手する。所轄の中央署地域課がこの事件を取扱い、単純な転落事故として処理済みとしていた。
 既に処理済みの事件を、警察組織のキャリアとして、さらに着任早々の者としては迂闊に扱えない。だが、疑問を抱くと徹底的に解明するという信条の樫山は己が抱いた不審感を無視できない。樫山は警視庁鑑識課のベテラン検視官・常久崇之に写真を送り、所見を求めた。常久の感触は<悪質かもしれん。もしかすると組織ぐるみで何かを隠しているんじゃないのか?>(p94)
 樫山は、この処理済み事件の不審点を自ら密かに再捜査し始める。メインの贈収賄事件捜査の合間に時間を調整して、稲垣の転落死の真相解明に一歩踏み込んでいく。つまり、樫山の独自捜査が、サイド・ストーリーとしてパラレルに進行する。樫山はキャリア警察官僚としての己の立ち位置について葛藤しつつも、己の信条を曲げたくないという思いで取り組んで行く。
 読者としては、異質な2つの事件に興味津々とならざる得ない。

 樫山は内密に捜査を推し進め、東京で稲垣の母親の住まいを訪れ、聞き込み捜査をする。その時、稲垣親子の相談に親身に相談にのってくれた電設工事のベテラン職人・倉田宗吉さんの話が出てくる。母親は息子から倉田さんが1ヵ月半まえに亡くなったということを教えられた。その時、息子は怒っていたという。許可を得て樫山は倉田と稲垣が写った写真をスマホで撮影した。これが一つの糸口になっていく。
 札幌に戻った樫山は、伊藤が道警本部のデータベースを調べた結果として、倉田宗吉さんの事案を知る。八雲署が倉田さんの死について死体検案書を作成していたのだ。検視結果は<突然死>となっている。指定医によれば、心筋梗塞による心停止。事件性はないと判断されていた。だがそこに、樫山は不審感を抱く。

 この小説の醍醐味は、捜査方針が明確で、東京と北海道で連携しながら粛々と進行する贈収賄事件の捜査と、既に事案が処理された2つの事件をキャリア警察官の樫山が追跡捜査する行動、この対照的な事件の捜査の経緯にある。小堀理事官が贈収賄事件の展望を描いていたのとは異質な要因がリンクする接点が現れてくる。3つの事件がつながりをもつ側面が現れることに・・・・。

 樫山はキャリア警察官僚として、己の心中の葛藤と戦いながら、己の信念・信条を守っていこうとする。そして、情報収集の為に、情報開示についてはミニマムで一線を引きながらも、樫山は北海道新報の記者・木下と接触する。この点が興味深い。樫山はここでも己のキャリアを賭けることになる。

 この小説のおもしろいところは、事件の解明・処理に対して、警察レベル、検事レベル、政治家レベルでの規準の違いを鮮やかに織り込んでいる点である。
 そして、最後の最後での逆転劇。この結末に、読者の一人としてはホッとした。

 本書をお楽しみいただきたい。


補遺
北海道警察  ホームページ
贈収賄  :「コトバンク」
贈賄罪(ぞうわいざい)とは? 構成要件と賄賂に関する罰則:「ベリ-ベスト法律事務所 仙台オフィス」
一般的な犯罪情報(贈収賄等の汚職事件)  :「愛知県警察」
北海道警察 不祥事一覧  ウィキペディア :「weblio辞書」
整備新幹線とは   :「国土交通省」
整備新幹線     :ウィキペディア
北海道新幹線    :「北海道旅客鉄道株式会社」
北海道新幹線    :ウィキペディア
なぜ北海道新幹線の2030年度末延伸開業に黄信号が灯ったか【コラム】:「鉄道チャンネル」

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『震える牛』 相場英雄 小学館
『KID キッド』  相場英雄  幻冬舎

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