遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『平治の乱の謎をとく 頼朝が暴いた「完全犯罪」』  桃崎有一郎  文春新書

2023-10-24 15:35:15 | 歴史関連
 新聞の広告で本書を知ったのだと思う。サブタイトルの「頼朝が暴いた『完全犯罪』」という方にまず関心を引き付けられた。「平治の乱」と言われれば、保元・平治の乱とセットのようにしてその名称を学生時代に記憶したことを思い出す。その乱の具体的内容などほとんど記憶にないのが正直なところ。平治の乱の謎って何?
 なかなかおもしろいタイトル作りである。本書は、2023年7月に刊行されている。

 社会人になってかなり歳月を経てから、手許に手軽に参照できる日本通史本があると便利と思った。一番基本的な内容を捉えるのに便利だから。高校時代の日本史の教科書などは処分してしまったので、あるとき、高校生向けの学習参考書を購入した。『詳説 日本史研究』(五味・高埜・鳥海 編 山川出版社 1998年10月第2刷)である。
 この書は、平治の乱をどのように既述しているか。
「やがて院政を始めた後白河上皇の近臣間の対立が激しくなり、1159(平治元)年には、清盛と結ぶ信西に反感をもった近臣の一人藤原信頼(1133-59)が源義朝と結び、清盛が熊野詣に出かけている留守をねらって兵をあげ、信西を殺した。武力にまさる清盛は京の六波羅に帰還すると、信頼らを滅ぼし、東国に逃れる途中の義朝を討ち、その子の頼朝を捉えて伊豆に流した。これが平治の乱である」(p123)
 また、かつて、家永三郎氏の教科書問題が裁判で有名になった。その時の『検定不合格 日本史』(家永三郎著 三一書房)が市販されたときにその本を購入した。
「1156年(保元元年)の保元の乱、1159年(平治元年)の平治の乱と京都で貴族間の権力争いから2度も戦が起こり、どちらも武士の武力を借りてはじめて解決されたため(60ページ史料9参照)、ついに政権は武士の手に渡り、2度の戦いにてがらをたてた平清盛が、競争相手の源氏を倒して、藤原氏の地位にとって代わったのである」(p51)と記述されている。
 平治の乱といえばこれくらいの内容の理解が大方のところだろう。私もその程度あるいはそれ以下であった。最近の教科書や学習参考書は少しは視点が変わっているのかもしれないが・・・・。未確認。

 本書を読み、思ったのは、上記教科書レベルの既述は、平治の乱の一面を間違いなく捉えているが、近臣間、貴族間、とか武士の武力を借りて、というのは平治の乱の一側面を説明しているに過ぎないなあ・・・ということである。この既述だけでは隠された部分が多すぎる。まあ、それは日本史の通史学習では避けられないことかもしれないが。

 そこで、本書に入る。平治の乱の謎とは何か。頼朝が暴いたこととは何なのか。なぜ「完全犯罪」なのか。
 「プロローグ」で、著者はまず次の点に触れる。建久元年(1190)冬に、源頼朝は上京し、後白河の御所で会談し、内裏で後鳥羽天皇に挨拶をした。その後内裏で、摂政の九条兼実と二人きりで面談し、その密室で頼朝が兼実の語ったことがあると。
 その内容を、兼実が日記に書き残していたという。冒頭にまずその内容が記される。
「義朝の逆罪、是れ王命を恐(カシコマ)るに依(ヨリ)てなり。逆に依て其の身は亡ぶと雖(イエド)彼(カ)の忠又(マ)た空(ムナ)しからず」
 この既述について、平治の乱の研究者たちが注意を払って来なかったという。この一文が、どのような重大な意味を持つのか。本書で著者がその事を論証しようとしたのだと言える。
 著者は記す。平治の乱について、「面白いことに、当時の国家権力と関係者の全員が、真相を隠蔽した。加害者側が、ではない。事件と無関係の者も、そして被害者さえもが、この犯罪を隠蔽した」のだと断じる。今日まで、平治の乱の本質、真因を隠蔽することに成功してきたので、まさに完全犯罪と呼んでいいと著者は言う。
 本書は、源頼朝の冒頭の発言を中核にして、完全犯罪の謎解きを実行していく。
 本書は、日本史についての教養書の体裁をとり、用語の使い方で一般読者にわかりやすい用語を用いているが、その内容はまさに厳密に論証された論文という印象をもった。

 保元の乱が一つのモデルとなり、平治の乱が引き起こされた裏側にこんな入り組んだ人間関係があったというのは驚きである。

 本書は<事実経過編>、<全容究明編>、<最終決着編>という三段階構成になっている。
 <事実経過編>は保元の乱に言及しながら、平治の乱で何が起こったかの事実を、厳密に精査していく。全体の人間関係などの予備知識がなかったので、この<事実経過編>は正直読みづらい面があった。著者は最初に、平治の乱の研究には3つの壁があるという。①覆すべき通説的イメージの不在、②一次資料の不在、③保元の乱を踏まえずには語れない。そして、保元の乱の勃発が摂関家の内紛と皇位継承問題にあったことを概説する、
 平治の乱の経過事実については、一般読者にわかりやすい様にそのステップに名称をつけていく。
 三条殿襲撃事件: 平治元年(1159)12月9日
          後白河の御所への襲撃。襲撃者は藤原信頼・源義朝らの軍勢
          後白河の近臣である信西と息子らを殺害する目的。御所に放火。
          後白河と上西門院を大内の一本御書所に移す。

 二条天皇脱出作戦: 大内(大内裏の中にある本来の内裏)から二条天皇を平清盛の
           六波羅亭に迎え取る。信西一族の藤原尹明が使者となる。

 京都合戦: 12月26日、源義朝らと清盛軍が京都の市街地で戦う。
       翌年正月9日、義朝の首が東獄門で梟首される

 二条派失脚事件: 後白河が新たな御所とした八条堀河亭の堀川小路に面した桟敷
          (仮設の観覧席)を外側から封鎖してしまう事件を起こす
          藤原経宗・藤原惟方が強引に実施。清盛が逮捕する。

 著者はこの区分に沿って、平治の乱の経過事実を詳細に綴っていく。
 その後で、<全容究明編>、<最終決着編>が展開されていく。本書のおもしろさはこのステップの分析と論証にある。先人の諸研究を踏まえ、出典を明確にし、それらの成果の是非を交えながら、著者の仮説の論証が展開される。
 
 平治の乱について、著者は二条天皇が三条殿襲撃事件の黒幕であるという仮説を綿密に立証していく。父である後白河と子の二条天皇との間の確執。そこには、二条天皇の親政欲望と皇位継承問題が関係していたという。父子間での政治闘争である。また、朝廷政治起動のために二条天皇が身勝手にも責任転嫁を繰り返すという行動を取った事実を論じていく。
 さらに、日本史上における平治の乱の意義は、真の主役が平清盛だったことにあると言う。平家の覇権の起点となり、武家の時代への始動である。

 本書の本質は論文だと私は受け止めた。著者の仮説が如何に論理的・合理的的に、その全容究明のプロセスを論証するかにある。上記の3つの壁を著者はどのようにして乗り越えて、仮説を立証するのか。立証できるのか。本書は後に行くほど、面白さが加わってくる。著者流の論証プロセスをお楽しみいただきたいと思う。

 後半では、なぜ平清盛が、藤原氏に取って代わり政権の座につくに至ったのかがよく分かる。清盛という人物像が見えてきて、この点も興味深い。著者は、二条天皇が清盛を味方にできなかったことが、最大の敗因だと論じている。ナルホドである。

 なぜ、平治の乱の真因がわからずに現在に至ったのか。著者は後白河院政が二条の犯罪を全力で隠蔽したからだとみる。「二条天皇自身は、犯した罪と向きあう時間がないまま世を去った。しかし、彼が犯した罪は、死後に朝廷が全力で隠してくれた。そして見事に、800年以上も発覚させなかった。勝者や加害者が自分の犯罪を隠蔽するなら、何も珍しくない。しかし、敗者である加害者の罪を、勝者である被害者が隠蔽した点に、この事件の奥深さがある」(p337)という。
 この辺りの機微と背景もまた、本書を読むことにより感じ取ることができると思う。

 最後に、本書を読んで得た副産物といえる事項を覚書を兼ねて取り上げてみたい。
*「後白河が平治の乱の最終勝者となるために清盛に頼った時、国政の全権は武士のものになる流れが始まっており、二度と朝廷の手にはもどらなかったのである」 p202
*「頼朝の証言は、実は<平治の乱の結末としての鎌倉幕府の成立>という話に落とし込める」  p166
*後白河が院政の拠点とした法住寺殿は、信西宅の跡地に藤原信頼宅を移築したもの。
 応保元年(1161)に築く。法住寺は昔あった寺の名。当時既に廃寺になっていた。
 著者は、それを後白河が両者への親愛感情を示すものと推測している。  p171
*新日吉社は、永暦元年(1160)7月22日に着工され、10月16日に完成。
 建立したのは後白河の叔父で天台座主の最雲法親王。           p265
*新熊野社は平清盛が建立した。永暦元年(1160)10月16日に完成。     p265

 お読みいただきありがとうございます。


補遺
平治の乱   :「ジャパンナレッジ」
平治の乱   :「コトバンク」
平治の乱   :ウィキペデキア
平治の乱   :「NHK for School」
武士の世の中へ~平清盛~  動画 :「NHK for School」
三条東殿遺址 :「フィールド・ミュージアム京都」
三条東殿址・信西邸跡(平治の乱のはじまり) :「平家物語・義経伝説の史跡を巡る」
後白河法皇御所聖蹟 法住寺  ホームページ
新日吉神宮  :「京都観光Navi」
歴史ある新日吉神宮  :「京都旅屋」
新熊野神社  ホームページ

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