遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『écriture 新人作家・杉浦李奈の推論 Ⅵ 見立て殺人は芥川』 松岡圭祐 角川文庫

2023-04-27 23:44:50 | 松岡圭祐
 新人作家・杉浦李奈の推論シリーズの巻Ⅶを先に読んでしまった。そこで巻Ⅵに戻って先日読み終えた本書は書き下ろしとして令和4年(2022)8月に文庫が刊行されている。

 巻Ⅵのタイトルは「見立て殺人は芥川」。このタイトルから、2つのことが推測できる。今回も李奈が殺人事件に絡んで警察署の協力を求められて捜査に協力する立場になること。その殺人事件は、芥川龍之介のいずれかの作品に見立てた側面を表していることである。それは、犯人が何等かのメッセージを発信しているのか、捜査に攪乱要素を加えただけなのか。李奈がその謎解きを迫られるということである。

 さて、本書の構成のおもしろさをまずご紹介する。
 ストーリーのメインは、李奈が見立て殺人事件に関わり、その謎解きをするという話である。ここに、サブ・ストーリーが絡んでいく。李奈の故郷三重県から母親の愛美(あいみ)が上京してきた。しばらく李奈の兄・航輝の許に滞在し、二人が李奈のアパートに頻繁に訪ねてくる。三人で夕食を一緒にとるということになる。母の狙いは李奈を実家に帰郷させることにある。李奈は作家として本当にひとり立ちできるまで東京を離れないと主張する。読者にとっては、李奈が母親に屈伏するか、母親が李奈の主張を受け入れるか、その成り行きに関心が向かうことに・・・・。

 メイン・ストーリーの発端は、品川署刑事組織犯罪対策課の瀬尾刑事が、中目黒の蔦屋書店内のスターバックスコーヒーに李奈が居ることを確認し、そこに現れて捜査協力を依頼するところから始まる。李奈と一緒に居た優佳も同行し、二人は品川署に出向く。李奈は捜査に協力することを承知する。李奈には母と顔を合わせる煩わしさをできるだけ回避したいという気持ちもあった。

 品川署内で瀬尾刑事は李奈と優佳に協力を依頼したい殺人事件の概要をまず伝えた。
・事件の発生場所 南品川七丁目の住宅街。
・被害者1:舘野良純、53歳。野菜卸売の関連会社勤務。経理担当。
      戸建て住宅の自宅で殺害された。当日は有給休暇で自宅に居た。
 被害者2:宇戸部幸之助、76歳。一人暮らし。舘野宅の三軒隣り。第一印象は猿顔。
 その他 :舘野宅の隣家の犬とスズメが殺されていた。
・現場状況:被害者舘野良純と宇戸部幸之助、動物は改造スタンガンで殺されていた。
      舘野の死因は首を撃たれたことによる出血多量
      被害者舘野の胸の上に文庫本から切り出した芥川龍之介の短編「桃太郎」
      が置かれていた。
      宇戸部は自宅の和室で死亡。遺留品なし。
・関連状況:舘野の妻と女子大生の娘は沖縄旅行中だった。
      凶器はアメリカ製の輸入品でデトニクス45を模した拳銃と判明(全長178mm)
 舘野の胸上に置かれた「桃太郎」との関連で、舘野が桃太郎、そして犬と猿(宇戸部)、キジの変わりのスズメという見立てがまず連想された。だが、それが何を意味するかは不明。
 短編「桃太郎」以外に手がかりが無く、マスコミの取材要請を抑え切れなくなっているところから、「桃太郎」の持つ意味を考えてほしいということが李奈への要請だった。

 李奈は、刑事たちの聞き込み捜査に同行して状況を直に知り、情報を収集する行動をとる一方で、改めて芥川の「桃太郎」を読み込み始める。仮に見立て殺人であるにしてもこれが何を意味するのか・・・・・。暗中模索のスタートとなる。

 巻Ⅵにはいくつかの特徴がある。
1.本当に見立て殺人なのかどうか。芥川の「桃太郎」が使われた意味は何なのか。
 刑事から求められた推論(所見)を築こうと、李奈は聞き込み捜査に同行し、一歩踏み込んで捜査に関わらざるを得なくなっていく。そのプロセスにさまざまな伏線が敷かれている。後で見直すとナルホドと思う。
2.李奈が芥川の短編「桃太郎」を読み込んでいくプロセスが進展するにつれて、この短編自体がストーリーの中に、全文引用として提示されていく。私は、芥川龍之介が短編「桃太郎」を書いていることを遅ればせながら初めて知った。そして、副次的にその全文を読むことができた。
 文学作品そのものがズバリとストーリーに組み込まれている。まさに、エクリチュール/ビブリオミステリーである。
3.李奈と友人かつ小説家である那覇優佳との間で文学作品に関わる会話しばしばなされる。彼女たちには日常の一部なのだが、それは李奈が推論を築いて行く上での重要なヒントにも転じて行くというおもしろさがある。いわば、伏線が会話の中にも織り込まれている。
4.ストーリーの最終ステージでは、李奈の兄・航輝も事件解決に一働きすることになり、併せて李奈の母愛美もまた事件解決への一助を果たすという展開がおもしろい。
5.今回も、万能鑑定士Qこと小笠原莉子がちょこっと登場する。ちょっと楽しい。
6.昔話の「桃太郎」と芥川龍之介著「桃太郎」との差異は何か。なぜ、芥川が「桃太郎」を書いたのか。芥川はこの短編で何を言いたかったのか。見立て殺人を分析的に考えて行く推論過程の副産物として、仮説が語られていく。このこと自体がエクリチュールであると思う。
 併せて、猿かに合戦も出てくる。芥川は短編「猿蟹合戦」も書いていることを知った。こちらは本文引用はないけれど。さらに「蜘蛛の糸」も出てくる。これは知っていた。他にも芥川の作品名が織り込まれている。
7.本書には、芥川龍之介以外に、文学作品名を初め数多くの書籍名が頻出する。そして、そこにはなにがしかのコメントが併記されていて興味深い。初めて知る書名も結構ある。まさにエクリチュールである。

 p242に次の文が記されている。李奈の思いとして記される地の文である。
「万能鑑定士Qこと小笠原莉子の教えを思い出した。物理的証拠ばかりにとらわれ、心理面を疎かにしてはならない。すべての発端は人だ。人の行動は内面がきめる」
 このストーリー、この箇所が重要な意味を持つ。お楽しみいただくとよい。

 文庫本の帯のメッセージを紹介しておこう。東京大学クイズ研究会(TQC)が推薦!という形で、「読み進めるうちピースが繋がっていく--パズルのような面白さ!」
 確かにそう思う。このメッセージ、このシリーズ全体にもあてはまるという気がする。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
桃太郎 芥川龍之介  :「青空文庫」
猿蟹合戦 芥川龍之介  :「青空文庫」
猿蟹合戦 (芥川龍之介)  :ウィキペディア
桃太郎         :ウィキペディア
桃太郎 楠山正雄    :「青空文庫」
桃太郎 -ももたろう(日本語版)アニメ日本の昔ばなし/日本語学習/PEACH BOY - MOMOTARO (JAPANESE)  YouTube
猿かに合戦 楠山正雄 :「青空文庫」
さるかに合戦(日本の昔話/動く絵本)  YouTube
バルサスの要塞  :ウィキペディア
デトニクス コンバットマスター / Detonics CombatMaster 【自動拳銃】:「MEDIAGUN DATABESE」
デトニクス.45 コンバットマスター  :「TOKYO MARUI」
アンソニー・ギデンズ  :ウィキペディア
スーザン・フォワード 著者プロフィール  :「新潮社」
エクリチュール :「コトバンク」

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「遊心逍遙記」に掲載した<松岡圭祐>作品の読後印象記一覧 最終版
                    2022年末現在 53冊


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