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遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『平治の乱の謎をとく 頼朝が暴いた「完全犯罪」』  桃崎有一郎  文春新書

2023-10-24 15:35:15 | 歴史関連
 新聞の広告で本書を知ったのだと思う。サブタイトルの「頼朝が暴いた『完全犯罪』」という方にまず関心を引き付けられた。「平治の乱」と言われれば、保元・平治の乱とセットのようにしてその名称を学生時代に記憶したことを思い出す。その乱の具体的内容などほとんど記憶にないのが正直なところ。平治の乱の謎って何?
 なかなかおもしろいタイトル作りである。本書は、2023年7月に刊行されている。

 社会人になってかなり歳月を経てから、手許に手軽に参照できる日本通史本があると便利と思った。一番基本的な内容を捉えるのに便利だから。高校時代の日本史の教科書などは処分してしまったので、あるとき、高校生向けの学習参考書を購入した。『詳説 日本史研究』(五味・高埜・鳥海 編 山川出版社 1998年10月第2刷)である。
 この書は、平治の乱をどのように既述しているか。
「やがて院政を始めた後白河上皇の近臣間の対立が激しくなり、1159(平治元)年には、清盛と結ぶ信西に反感をもった近臣の一人藤原信頼(1133-59)が源義朝と結び、清盛が熊野詣に出かけている留守をねらって兵をあげ、信西を殺した。武力にまさる清盛は京の六波羅に帰還すると、信頼らを滅ぼし、東国に逃れる途中の義朝を討ち、その子の頼朝を捉えて伊豆に流した。これが平治の乱である」(p123)
 また、かつて、家永三郎氏の教科書問題が裁判で有名になった。その時の『検定不合格 日本史』(家永三郎著 三一書房)が市販されたときにその本を購入した。
「1156年(保元元年)の保元の乱、1159年(平治元年)の平治の乱と京都で貴族間の権力争いから2度も戦が起こり、どちらも武士の武力を借りてはじめて解決されたため(60ページ史料9参照)、ついに政権は武士の手に渡り、2度の戦いにてがらをたてた平清盛が、競争相手の源氏を倒して、藤原氏の地位にとって代わったのである」(p51)と記述されている。
 平治の乱といえばこれくらいの内容の理解が大方のところだろう。私もその程度あるいはそれ以下であった。最近の教科書や学習参考書は少しは視点が変わっているのかもしれないが・・・・。未確認。

 本書を読み、思ったのは、上記教科書レベルの既述は、平治の乱の一面を間違いなく捉えているが、近臣間、貴族間、とか武士の武力を借りて、というのは平治の乱の一側面を説明しているに過ぎないなあ・・・ということである。この既述だけでは隠された部分が多すぎる。まあ、それは日本史の通史学習では避けられないことかもしれないが。

 そこで、本書に入る。平治の乱の謎とは何か。頼朝が暴いたこととは何なのか。なぜ「完全犯罪」なのか。
 「プロローグ」で、著者はまず次の点に触れる。建久元年(1190)冬に、源頼朝は上京し、後白河の御所で会談し、内裏で後鳥羽天皇に挨拶をした。その後内裏で、摂政の九条兼実と二人きりで面談し、その密室で頼朝が兼実の語ったことがあると。
 その内容を、兼実が日記に書き残していたという。冒頭にまずその内容が記される。
「義朝の逆罪、是れ王命を恐(カシコマ)るに依(ヨリ)てなり。逆に依て其の身は亡ぶと雖(イエド)彼(カ)の忠又(マ)た空(ムナ)しからず」
 この既述について、平治の乱の研究者たちが注意を払って来なかったという。この一文が、どのような重大な意味を持つのか。本書で著者がその事を論証しようとしたのだと言える。
 著者は記す。平治の乱について、「面白いことに、当時の国家権力と関係者の全員が、真相を隠蔽した。加害者側が、ではない。事件と無関係の者も、そして被害者さえもが、この犯罪を隠蔽した」のだと断じる。今日まで、平治の乱の本質、真因を隠蔽することに成功してきたので、まさに完全犯罪と呼んでいいと著者は言う。
 本書は、源頼朝の冒頭の発言を中核にして、完全犯罪の謎解きを実行していく。
 本書は、日本史についての教養書の体裁をとり、用語の使い方で一般読者にわかりやすい用語を用いているが、その内容はまさに厳密に論証された論文という印象をもった。

 保元の乱が一つのモデルとなり、平治の乱が引き起こされた裏側にこんな入り組んだ人間関係があったというのは驚きである。

 本書は<事実経過編>、<全容究明編>、<最終決着編>という三段階構成になっている。
 <事実経過編>は保元の乱に言及しながら、平治の乱で何が起こったかの事実を、厳密に精査していく。全体の人間関係などの予備知識がなかったので、この<事実経過編>は正直読みづらい面があった。著者は最初に、平治の乱の研究には3つの壁があるという。①覆すべき通説的イメージの不在、②一次資料の不在、③保元の乱を踏まえずには語れない。そして、保元の乱の勃発が摂関家の内紛と皇位継承問題にあったことを概説する、
 平治の乱の経過事実については、一般読者にわかりやすい様にそのステップに名称をつけていく。
 三条殿襲撃事件: 平治元年(1159)12月9日
          後白河の御所への襲撃。襲撃者は藤原信頼・源義朝らの軍勢
          後白河の近臣である信西と息子らを殺害する目的。御所に放火。
          後白河と上西門院を大内の一本御書所に移す。

 二条天皇脱出作戦: 大内(大内裏の中にある本来の内裏)から二条天皇を平清盛の
           六波羅亭に迎え取る。信西一族の藤原尹明が使者となる。

 京都合戦: 12月26日、源義朝らと清盛軍が京都の市街地で戦う。
       翌年正月9日、義朝の首が東獄門で梟首される

 二条派失脚事件: 後白河が新たな御所とした八条堀河亭の堀川小路に面した桟敷
          (仮設の観覧席)を外側から封鎖してしまう事件を起こす
          藤原経宗・藤原惟方が強引に実施。清盛が逮捕する。

 著者はこの区分に沿って、平治の乱の経過事実を詳細に綴っていく。
 その後で、<全容究明編>、<最終決着編>が展開されていく。本書のおもしろさはこのステップの分析と論証にある。先人の諸研究を踏まえ、出典を明確にし、それらの成果の是非を交えながら、著者の仮説の論証が展開される。
 
 平治の乱について、著者は二条天皇が三条殿襲撃事件の黒幕であるという仮説を綿密に立証していく。父である後白河と子の二条天皇との間の確執。そこには、二条天皇の親政欲望と皇位継承問題が関係していたという。父子間での政治闘争である。また、朝廷政治起動のために二条天皇が身勝手にも責任転嫁を繰り返すという行動を取った事実を論じていく。
 さらに、日本史上における平治の乱の意義は、真の主役が平清盛だったことにあると言う。平家の覇権の起点となり、武家の時代への始動である。

 本書の本質は論文だと私は受け止めた。著者の仮説が如何に論理的・合理的的に、その全容究明のプロセスを論証するかにある。上記の3つの壁を著者はどのようにして乗り越えて、仮説を立証するのか。立証できるのか。本書は後に行くほど、面白さが加わってくる。著者流の論証プロセスをお楽しみいただきたいと思う。

 後半では、なぜ平清盛が、藤原氏に取って代わり政権の座につくに至ったのかがよく分かる。清盛という人物像が見えてきて、この点も興味深い。著者は、二条天皇が清盛を味方にできなかったことが、最大の敗因だと論じている。ナルホドである。

 なぜ、平治の乱の真因がわからずに現在に至ったのか。著者は後白河院政が二条の犯罪を全力で隠蔽したからだとみる。「二条天皇自身は、犯した罪と向きあう時間がないまま世を去った。しかし、彼が犯した罪は、死後に朝廷が全力で隠してくれた。そして見事に、800年以上も発覚させなかった。勝者や加害者が自分の犯罪を隠蔽するなら、何も珍しくない。しかし、敗者である加害者の罪を、勝者である被害者が隠蔽した点に、この事件の奥深さがある」(p337)という。
 この辺りの機微と背景もまた、本書を読むことにより感じ取ることができると思う。

 最後に、本書を読んで得た副産物といえる事項を覚書を兼ねて取り上げてみたい。
*「後白河が平治の乱の最終勝者となるために清盛に頼った時、国政の全権は武士のものになる流れが始まっており、二度と朝廷の手にはもどらなかったのである」 p202
*「頼朝の証言は、実は<平治の乱の結末としての鎌倉幕府の成立>という話に落とし込める」  p166
*後白河が院政の拠点とした法住寺殿は、信西宅の跡地に藤原信頼宅を移築したもの。
 応保元年(1161)に築く。法住寺は昔あった寺の名。当時既に廃寺になっていた。
 著者は、それを後白河が両者への親愛感情を示すものと推測している。  p171
*新日吉社は、永暦元年(1160)7月22日に着工され、10月16日に完成。
 建立したのは後白河の叔父で天台座主の最雲法親王。           p265
*新熊野社は平清盛が建立した。永暦元年(1160)10月16日に完成。     p265

 お読みいただきありがとうございます。


補遺
平治の乱   :「ジャパンナレッジ」
平治の乱   :「コトバンク」
平治の乱   :ウィキペデキア
平治の乱   :「NHK for School」
武士の世の中へ~平清盛~  動画 :「NHK for School」
三条東殿遺址 :「フィールド・ミュージアム京都」
三条東殿址・信西邸跡(平治の乱のはじまり) :「平家物語・義経伝説の史跡を巡る」
後白河法皇御所聖蹟 法住寺  ホームページ
新日吉神宮  :「京都観光Navi」
歴史ある新日吉神宮  :「京都旅屋」
新熊野神社  ホームページ

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『日本史の論点 邪馬台国から象徴天皇制まで』 中公新書編集部  中公新書
『眠れないほどおもしろい 徳川実紀』  板野博行  王様文庫
『収容所から来た遺書』   辺見じゅん  文春文庫
『新選組』   黒鉄ヒロシ  PHP文庫
『坂本龍馬』  黒鉄ヒロシ  PHP文庫

「遊心逍遙記」に掲載した<歴史>関連の本の読後印象記一覧 最終版
                    2022年12月現在  28冊

『日本史の論点 邪馬台国から象徴天皇制まで』 中公新書編集部  中公新書

2023-10-18 17:33:33 | 歴史関連
 はるか大昔、受験勉強で「いい国作ろう鎌倉時代」、1192年が鎌倉時代の始まりと記憶した。その時代区分を露とも疑わずに・・・・。だが、その歴史認識はもはや主流ではないらしい。「邪馬台国」は「やまたいこく」と呼ぶものと記憶した。だが、今は「邪馬台」を普通名詞として「やまと」と読むのが適切であるという。

 日本史の研究は史資料や出土品等の発見が累積し、それとともに歴史解釈が変化してきているようだ。歴史知識は半世紀以上前の受験期のまま、ほぼ凍結されてきたようなもの。一度、リセットしてみないと・・・・・。
 そんな折りに、何周遅れかは知らないが、本書のタイトルが目に止まった。2018年8月に刊行されていた。手に取ったのは同年翌月発行の第3版。悠久の歴史のスパンからみれば、ごく最近の本。現在時点で、日本史の何が論点になっているのか? その概略を知り、古びた知識をリセットして、少しは頭を活性化するのには手頃かもと読んでみた。

 読んでいて、ある意味で、目から鱗が落ちるという類いの新鮮さを味わうことができた。なるほどな・・・と思う箇所が多かった。一つ一つの論点が、それぞれたぶん一冊の本になるところだろう。それを言わばダイジェストして、何が歴史解釈の論争点になるのかをまとめてくれている。歴史解釈の見直しに触れる入口としては便利な新書である。

 本書は日本史の論点を29取り上げている。目次をご紹介すれば、何が論点になってきているのかが、それでお解りいただけるだろう。本書は研究者の共著である。各章に執筆者名等を併記してご紹介する。各著者の肩書きは、本書末尾の「執筆者紹介」から引用。

第1章 古代    倉本一宏 国際日本文化研究センター教授
 論点1 邪馬台国はどこにあったのか
 論点2 大王はどこまでたどれるか
 論点3 大化改新はあったのか、なかったのか
 論点4 女帝と道鏡は何を目指していたのか
 論点5 墾田永年私財法で律令制は崩れていったのか
 論点6 武士はなぜ、どのように台頭したのか

第2章 中世    今谷 明 帝京大学特任教授 国際日本文化研究センター明誉教授
 論点1 中世はいつはじまったのか
 論点2 鎌倉幕府はどのように成立したか
 論点3 元寇勝利の理由は神風なのか
 論点4 南朝はなぜすぐに滅びなかったか
 論点5 応仁の乱は画期だったか
 論点6 戦国時代の戦争はどのようだったか

第3章 近世    大石 学 東京学芸大学教授
 論点1 大名や旗本は封建領主か、それとも官僚か
 論点2 江戸時代の首都は京都か、江戸か
 論点3 日本は鎖国によって閉ざされていた、は本当か
 論点4 江戸は「大きな政府」か、「小さな政府」か
 論点5 江戸の社会は家柄重視か、実力主義か
 論点6 「平和」の土台は武力か、教育か
 論点7 明治維新は江戸の否定か、江戸の達成か

第4章 近代    清水唯一朗 慶応義塾大学教授
 論点1 明治維新は革命だったのか
 論点2 なぜ官僚主義の近代国家が生まれたのか
 論点3 大正デモクラシーとは何だったのか
 論点4 戦争は日本に何をもたらしたか
 論点5 大日本帝国とは何だったか

第5章 現代    宮城大蔵 上智大学教授
 論点1 いつまでが「戦後」なのか
 論点2 吉田路線は日本に何を残したか
 論点3 田中角栄は名宰相なのか
 論点4 戦後日本はなぜ高度成長できたのか
 論点5 象徴天皇制はなぜ続いているのか

 この本の便利なところは、自分の関心が深い論点から読めること。どこから読んでも、一つの論点はそれで完結している。日本史の論点の概略を知るのに便利である。論点の論述の中に、関連する著書・論文が明記されているので、さらに一歩奥に入るためのガイドブックの役割も果たすようになっている。少なくとも、
 日本史の解釈がダイナミックに動いているという感じに触れることができておもしろい。

 2点、触れておきたい。
 1つは、各章の裏ページに、簡略な「関連年表」が記されている。史実の整理に役立ち、並行して別に年表など必要としない。これ自体が一つの副産物になる。
 2つめは、本書の末尾に、「日本史をつかむための百冊」と題して、論点に深入りしていくための関連書籍がリストアップされている。各書に簡略な紹介文が付記されている。
 論点のメッセージに、貴方がちょっと、引っかかりを感じたら、その関心があなたの日本史理解への一歩を推し進めることになることだろう。
 この論点全てに、最新解を持っている人など、たぶんいないだろうから。きっと、どこかで関心が目覚めるのでは・・・・。

 ご一読ありがとうございます。


『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』 ナオミ・クライン 岩波書店

2023-09-02 23:36:43 | 歴史関連
 先月『堤未果のショック・ドクトリン』を読んだ。その読後印象は拙ブログで既に取り上げた。著者はナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』を読み衝撃を受けたと記していた。その衝撃があの新書に結実した。いわば応用編という形で現在の問題事象を摘出し論じさせた。堤未果流にショック・ドクトリンが定義づけされ、ショック・ドクトリンの5大ステップを「①ショックを起こす ②政府とマスコミが恐怖を煽る ③国民がパニックで思考停止する ④シカゴ学派の息のかかった政府が、過激な新自由主義政策を導入する ⑤多国籍企業と外資系の投資家たちが、国と国民の資産を略奪する」(p43)というフレームワークで論じている。
 『堤未果のショック・ドクトリン』を読んだことが、ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』を読む動機付けとなった。幾島幸子・村上由見子両氏の翻訳書を読んだ。地元の市図書館に蔵書があったので、それを借り出して通読した。

 まず外見的なご紹介から始めよう。ハードカバーで上・下2冊本。上巻の本文は p1~p345、下巻の本文は p357~p681 なので、通算 670ページという本文分量。この本文に対して、上巻には 46ページ、下巻には 42ページに及ぶ原注がリスト化されている。ちょっとそのボリュームに正直まず圧倒された。
 奥書を読むと、著者ナオミ・クラインはカナダ生まれのジャーナリストであり、作家、活動家である。経済学者ではない。膨大な公開資料や論文及び自らのインタビュー活動で収集した情報や証言をベースにして、大規模なショックあるいは危機がどのように利用されたのかを克明に追跡調査し、その実態を暴き出した書である。
 コピーライトが2007年となっているので、2007年に出版されたのだろう。翻訳書は2011年9月に刊行された。当時、私は本書を全く意識していなかったようだ。

 本書が出版された時代背景を知る指標として、いくつか触れておこう。
 本書に登場するミルトン・フリードマン(1912~2006)は、1976年にノーベル経済学賞を受賞した。フリードマンは、ケインズ的総需要管理政策を批判し、20世紀後半におけるマネタリスト、新自由主義を代表するアメリカ合衆国の経済学者であり、シカゴ大学の教授となった。シカゴ学派のリーダーとなる。
 ニューヨークの世界貿易センタービルと国防総省ビル(ペンタゴン)が破壊されたのが2001年9月11日。ブッシュ大統領がイラク攻撃に踏み切ったのが2003年3月である。あのテロ行為はイラク戦争へのトリガーとなった。オバマ大統領がイラク戦争終結を宣言したのは2011年12月14日である。
 日本では、第3次中曽根内閣が国鉄分割民営化が実行され1987(昭和62)年4月に、地域別にJR各社が発足した。小泉内閣において、2005年10月に郵政民営化法が公布され、2007年10月に郵政民営化が始まった。

 著者は「序章 ブランク・イズ・ビューティフル」を、2005年9月にハリケーン・カトリーナがアメリカ南部を襲った直後にルイジアナ州で著者が取材した体験から語り出す。この災害の後、ニューオーリンズがどのような状況になっていたかという事例から始める。この事例にも深く関係してくるのが新自由主義と称されるシカゴ学派の経済理論である。その教祖的存在がミルトン・フリードマン。「自由放任資本主義運動の教祖的存在で、過剰な流動性を持つ今日のグローバル経済の教科書を書いた功績」(p3)で知られている。フリードマンが提唱した政策は、規制緩和、民営化、社会保障切り捨ての3点セットを骨格とする。本書はこの政策思想が世界の各地、各国でどのような経済社会問題を引き起こしてきたかを明らかにしていく。本書の一側面は、いわばミルトン・フリードマンの経済理論とその薫陶を受けて活動してきたシカゴ学派への批判である。
 
 本書のタイトルは「THE SHOCK DOCTRINE(ショック・ドクトリン)」。著者は「衝撃的出来事を巧妙に利用する政策」(p6)という意味で使っている。この考えは「フリードマンが最初から唱えてきた手法だったという事実」(P11)を本書で明らかにしていく。「深刻な危機が到来するのを待ち受けては、市民がまだショックにたじろいでいる間に公共の管轄事業をこまぎれに分割して民間に売り渡し、『改革』を一気に定着させてしまおうという戦略」(P6)「つまり、人々が茫然自失としている間に急進的な社会的・経済的変革を進める手口」(P10)だと著者は分析する。人々が気づいたときには既に遅い。過去の歴史的事実がその実態を示している。本書で著者はそれを跡づけていく。

 本書の副題は「THE RISE OF DISASTER CAPITALISM」である。「DISASTER CAPITALISM」について、著者は「壊滅的な出来事が発生した直後、災害処理をまたとない市場チャンスと捉え、公共領域にいっせいに群がるような襲撃的行為」(P8-9)と説明する。「訳者あとがき」を読むと、従来は直訳的に「災害資本主義」と呼ばれてきたらしい。本書ではそれを「惨事便乗型資本主義」と翻訳している。「THE RISE」は文字通りにとれば「増大」「増加」である。しかし、本書から、DISASTER CAPITALISM が増大した結果何が起こったのか、その結果を批判し異を唱えることに主眼が置かれているという読後印象を持った。それ故に「惨事便乗型資本主義の正体を暴く」という訳出はなるほどと納得する。わかりやすくかつ引き付ける訳だと思う。

 本書は、7部構成である。第1部はそのベースを築いた人物を明らかにし、第2部から第4部は、時代の推移の中で、ショック・ドクトリンがどのように実行されてきたかの事例を追跡し、そこに流れている共通の思想とその結果を克明に暴き出していく。ここに取り上げられた世界各国の歴史について深く知っていれば、本書での事実説明の理解が深まることだろう。私の歴史的知識不足から著者の記述を追いかけて理解しようとするだけで精一杯のところが残念ながら数多くあった。己が生きてきた同時代に、世界各地で何が起こっていたのか。本書で具体的に知り、愕然とするばかり。己の無知さ加減をひしひしと感じた次第。

 さて、ベースとなる「第1部 ふたりのショック博士-研究と開発」では、序章に登場しなかったもう一人のとんでもない人物を初っ端に取り上げている。
 それが、「第1章 ショック博士の拷問実験室」である。
 ここに登場するのは、ユーイン・キャメロン博士。カナダにあるマギル大学附属アラン記念研究所の所長。キャメロンは人間の心は消去し、造り替えることができるという仮説を信条として、1950年代後半に洗脳実験を繰り返したのだ。そのために電気ショック療法(ECT)や覚醒剤を混合した実験的薬物を利用したという。キャメロンの研究を米中央情報局(CIA)とカナダ政府が彼の実験に資金提供していた。著者はその被験者の一人にされたゲイル・カストナーにインタビューした内容を織り込みながら、キャメロンの拷問実験室の実態を明らかにしていく。
 「患者にショックを与えて混乱した退行状態にすることで、健全な模範的市民へと『生まれ変わる』ための前提条件を作り出せるというのが、キャメロンの論理だった」(p65)そうだ。
 キャメロンの実験成果は、CIAの洗脳技術に繋がっていく。その一例が小冊子「クバーク対諜報尋問」だと言う。そして、更に、グァンダナモ・ベイ米軍基地やアブグレイの刑務所での拷問に応用されて行ったとする。第2部以降の各所に、ショック・ドクトリンに組み込まれていく様が記述される。中南米他各地での諜報活動における尋問、拷問方法に適用されて行ったとする。
 
 「第2章 もう一人のショック博士」は、ミルトン・フリードマンについて、まず論じている。彼は自由放任実験室の探究を始める。アメリカ国内での新保守主義運動の経済政策を作り上げていく。フリードマンの最初の著書『資本主義と自由』にそれが表明されているという。世界の自由市場経済にとっての基本ルールを打ち出すとともに、規制緩和、民営化、社会支出削減の3本柱について、彼の具体的な提言を盛り込んでいく。
 「常に数学と科学の用語で覆い隠されているものの、フリードマンの見解は、その本質からして規制のない大規模な新市場を渇望する大手多国籍企業の利害にぴたりと合致していた」(p78)と著者はその本質を指摘している。そして、フリードマンの思想が彼を教祖的存在にしていく。
 
 第2部以降は、ショック・ドクトリンがどのように現実の諸国家において、実施されたかの事例分析レポートと言える。一国の運営において、政権・政治と経済は不可分の関係にある。本書ではその両面が取り上げられていく。だが、奇妙な点は、ショック・ドクトリンの実施において、シカゴ学派は、時代の変化を取り入れながらも、経済的側面を考えるだけだった。その国の政権、政治の側面には深く関わらない形で、ショック・ドクトリンを実行したという事実が明らかになっていく。その結果、その政策はその国にとっては失敗に帰した事実が指摘されていく。生み出されたのは富の二極分化である。ごく一部の人々と企業に富を集中させるメカニズムとなり、他方に大多数の貧困下層国民を生み出す結果になったという。惨事便乗型資本主義の行き着く姿がここにあると論じている。序章では「ひと握りの巨大企業と裕福な政治家階級との強力な支配同盟である」(p19)と論じている。
 第2部以下で、どこの国が対象となり、ショック・ドクトリンがどのように実行されたのかを著者が追跡レポートしているかだけ、本書の構成に沿って、ご紹介しておこう。
第2部 最初の実験 - 生みの苦しみ
 第3章 ショック状態に投げ込まれた国々 ー流血の反革命-
  1973年9月11日、チリのアジェンデ政権をクーデターで倒したピノチェト政権。
  ピノチェト政権下のチリに徹底的な自由主義経済体制を敷くのがシカゴ・ボーイズ
  の主張。ここに新自由主義の最初の実験が始まる。そのプロセスが追跡される。
  警察国家と企業が協力し、労働者との間で、総力戦を展開する構図が生まれる。

 第4章 徹底的な浄化 -効果を上げる国家テロ-
  1970年代、恐怖政治を敷くアルゼンチンの軍事政権下でのシカゴ・ボーイズの実験
 「ショック療法によって経済から集団主義の異物をすべて除去しようとする」(p155)

 第5章 「まったく無関係」 -罪を逃れたイデオローグたち-
  新自由主義運動が、南米南部地域を実験室として犯した罪は糾弾されずに終わる。
  そして、世界に広がる。それが可能となった背景を分析していく。
  「国際人権運動」がこの地域を活動モデルの実験室としていたこととの関係を指摘
  する。

第3部 民主主義を生き延びる -法律で作られた爆弾
 第6章 戦争に救われた鉄の女 -サッチャリズムに役だった敵たち-
  サッチャーが「所有者社会」と後日称される政策を実行する過程を追跡する。
  イギリス版フリードマン主義の実行である。その過程で、勃発したフォークランド
  紛争がサッチャーの政策にとり、救いの神として作用した経緯を分析する。
  
 第7章 新しいショック博士 -独裁政権に取って代わった経済戦争-
  1985年、民主化の波が押しよせたボリビアはハーバード大卒の俊英な教授を起用。
  経済学者ジェフリー・サックスの行ったショック療法実験を追跡する。

 第8章 危機こそ絶好のチャンス -パッケージ化されるショック療法-
  フォークランド紛争に敗戦したアルゼンチンは政権交代がつづく。債務爆弾が残る。
  そこに「ヴォルカー・ショック(債務ショック)」が加わる。メナム政権の下で、
  シカゴ・ボーイズが活動する。

第4部 ロスト・イン・トランジション -移行期の混乱に乗じて-
 第9章 「歴史は終わった」のか? -ポーランドの危機、中国の虐殺-
  ポーランドで「連帯」が政権を担う。債務とインフレの悪化が大問題だった。
  そこで、サックスの活動が始まる。
  一方で、中国における天安門事件のショックと中国政府の動きを追い分析する。

 第10章 鎖に繋がれた民主主義の誕生 -南アフリカの束縛された自由-
  南アで起草された「自由憲章」と、マンデラが釈放された1990年以降の南アの
  置かれた状況を追う。自由憲章と現実との矛盾が明らかにされていく。

 第11章 燃え尽きた幼き民主主義の父 
             -「ピノチェト・オプション」を選択したロシアー
  エリツィンが大統領になった後、シカゴ学派の基本文献を学び影響を受けた「若
  き改革者」と西側から呼ばれた学者たちが活動する。彼らは経済ショック療法プ
  ログラムを導入していく。

 第12章 資本主義への猛進 ーロシア問題と粗暴なる市場の幕開け-
  著者が2006年10月に、ジェフリー・サックスを訪問し、インタビューした内容から
  始めて、ソ連の崩壊とその当時の世界の状況を概観する。「ワシントン・コンセン
  サス」が生まれる経緯に触れる。

 第13章 拱手傍観 -アジア略奪と「第二のベルリンの壁崩壊」-
  「アジアの虎」と呼ばれた東南アジア諸国がパニックの犠牲になった経緯を追う。
  「『アジアの虎』諸国から古いやり方や慣習を一掃したあと、シカゴ方式による
  国家の再生が図られる」(p392)

 下巻に掲載の第5部と第6部は転調する。アメリカ国内に目を転じ、ブッシュ政権下の実状を追跡する。そして、第7部は、本書出版の直近時点で、各地におけるショック・ドクトリンの実行結果がその後どうなっているかに改めて目を向けていく。

第5部 ショックの時代 -惨事便乗型資本主義複合体の台頭
 第14章 米国内版ショック療法 -バブル景気に沸くセキュリティー産業-
  まず、ブッシュ・チームにおいて国防長官となったラムズフェルドと、チェイニー
  に焦点を当て、元祖・惨事便乗型資本主義者という実態を暴く。
  9.11後に急進的な政府の空洞化構想が動き出す。
  「表向きはテロリズムとの戦いを目標に掲げつつ、その実態は惨事便乗型資本主義
  複合体、すなわち国土安全保障と戦争および災害復興事業の民営化を担う、本格的
  なニューエコニミーの構築に他ならなかった」(p434)
  「脅威の可能性が1%あれば、危険姓は100%とみなして対応する必要がある」(p436)
  とチェイニーのいう「1%原則」に言及する。セキュリティー産業が沸騰する訳だ。

 第15章 コーポラティズム国家 -一体化する官と民-
  著者の辛辣な指摘を引用しよう。それが一番わかりやすい。
  *ブッシュ政権においては、戦争成金が政府に接近しようとしたばかりでなく、
   政府そのものが戦争成金で構成されていた。 p455
  *内部情報を収集したら、即座に辞めて政府内のコネを企業に売り込む、という
   わけだ。もはや公職に就く動機は、惨事便乗型資本主義複合体で働くための予備
   調査でしかなくなってしまった。 p457
  *ラムズフェルドとチェイニーが、惨事産業に関連する持ち株と公的義務の二者択
   一を頑として拒んだことは、正真正銘のコーポラティズム国家の到来を告げる最
   初の兆しだった。その兆候は他にも多々見られる。 p158
  この結論的な引用を裏付ける事実追跡の記述箇所を本書でお読みいただきたい。

第6部 暴力への回帰 -イラクへのショック攻撃
 第16章 イラク抹消 -中東の”モデル国家”建設を目論んで-
  ブッシュ大統領のイラク戦争正当化の背後には、モデル理論があると著者は言う。
  アラブ世界の征服のために、一国を足がかりとする。「テロとの戦い、資本主義世
  界の拡大、選挙の実施はひとつのプロジェクトに統合される」(p476)と言う。
  イラクをアラブ・イスラム世界とは異なる国家にし、「そこから周辺地域全体に民
  主主義/新自由主義の波を広げようよする構想」(p475)だとも言う。
  ブッシュ大統領は、これを「問題のある地域に自由を広める」(p476)と表現した。
  イラク戦争の位置づけを分析し、集団的拷問としての戦争だと論じている。

 第17章 因果応報 -資本主義が引き起こしたイラクの惨状-
  著者は、イラク戦争の結果、イラクを占領した初期の2003年9月に国防総省がバグ
  ダッドで開催した会議で提示された構想の存在に着目する。その構想が実行に移さ
  れ、イラク復興が壊滅的失敗に帰して行く経緯を追う。

 第18章 吹き飛んだ楽観論 -焦土作戦への変貌-
  イラクでの経済政策の実行は猛烈な反発を呼ぶ。その一方で、民主主義の導入とし
  ての政治参加、選挙には熱い思いと具体的な行動が取られて行った。だが、この行
  動はアメリカ政府の思惑と相違したため、民主主義を破棄する対応に出たという。
  抵抗運動が発生する。混乱をかき立てただけになり、対立抗争が再発する。
  著者はこの経緯を追う。この渦中で誰が儲けたのかを明らかにしていく。

第7部 増殖するグリーンゾーン -バッファゾーンと防御壁-
 第19章 一掃された海辺 -アジアを襲った「第二の津波」-
  2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震でスリランカの海岸で発生した惨状に着目
  する。スリランカ政府は、東部海岸の漁村アルガムベイを「改良再建」計画のモデ
  ルケースとした。だが、著者は調査し、漁村住民の立場からは全くの虚構であり、
  状況は悪化していると知る。著者はその事実関係を明らかにしていく。
  津波をショックに利用した政府側の観光産業化の画策、地元住民無視の政策の様相
  が現れる。さらに、同様の事例が「観光共和国」モルディブで発生している事実に
  論及していく。

 第20章 災害アパルトヘイト -グリーンゾーンとレッドゾーンに分断された社会-
  著者は序章で少し触れたルイジアナ州ニューオリンズの事例に再び目を向ける。
  2005年9月、ニューオリンズにドミュメンタリーフィルムの撮影に行き、交通事故
  で被災し病院に入院した時の体験から始めて行く。そして、新自由主義の経済政策
  の実施で生じた「復興と救済」の名のもとに行われる社会的弱者への攻撃の実態を
  追跡調査していく。もっとも貧しい市民が二度にわたって民間企業のぼろ儲けの食
  いものにされたという実態を鋭く指摘する。
  「災害は、冷酷無情な分断社会-金と人種で生存できるか否かが決まる-という将
  来の姿を垣間見せる機会となってしまったのだ」(p601-602)と批判する。
  著者は、近未来に災害アパルトヘイト社会が到来することを推測するに至る。p619
  
 第21章 二の次にされる和平 -警告としてのイスラエル-
  2007年に、スイスのダボスで開催された世界経済フォーラムが取り上げた「ダボス
  ・ジレンマ」を冒頭に取り上げ、惨事アパルトヘイト国家としてのイスラエルを取
  り上げていく。不安定こそが安定になった事例がイスラエルだと言う。
  イスラエルの直近の過去の状況を知ることができる。イスラエルのセキュリティー
  技術が論じられている。
  著者は、「じつに多くの産業が依存する惨事経済ブームを脅かすものがあるとすれ
  ば、それはこの先、気候の安定と世界の地政学的平和がある程度達成されるという
  シナリオにほかならない」(p623)とすら言及している。

 終章 ショックからの覚醒 -民衆の手による復興へ-
  この章を2006年11月のミルトン・フリードマンの逝去から始め、ここまでの諸事例
  に関連した現状況を概括していく。情報補足という趣を感じる。この章で印象に残
  る結論的記述の箇所を幾つかご紹介して終わりたい。そのプロセスは本書でご確認
  いだだきたい。
  *シカゴ学派のイデオロギーが勝利したところでは、どこも判で押したように貧富
   の格差が拡大した。  p649
  *世界のほんのひと握りの人間が莫大な富を独占するに至るまでのプロセスは、こ
   れまで見てきたとおり平和的とはほど遠かったが、そればかりでなく法に触れる
   こともしばしばだった。  p649
  *世界に目を転じれば、各国の選挙で新自由主義経済に強硬に反対する候補者の勝
   利が相次いだ。  p653
  *衝撃的な出来事がもたらした機会を利用しようとするすべての戦略が大きく依存
   するのは、驚愕という要素である。  p670
  *自力で復興を務めるこうした人々には共通する重要な要素がある。彼等は異口同
   音に、自分たちはただ建物を修復してえいる「だけでなく、自分自身を癒やして
   いるのだと言う。
   こうした住民による自力復興は、惨事便乗型資本主義複合体の精神の対極にある
   ものだ。  p680

 お読みいただきありがとうございます。


補遺
アメリカ同時多発テロ事件 :ウィキペディア
イラク戦争 :ウィキペディア
イラク攻撃理論とブッシュ政権の課題(法学部1年):「一橋大学大学院社会学研究科」
グァンタナモ米軍基地 :ウィキペディア
グアンタナモ湾収容キャンプ  :ウィキペディア
アブグレイブ刑務所  :ウィキペディア
アブグレイブ虐待で有罪になった米国女性兵士へのインタビュー :「WIRED」
ドナルド・ユーウェン・キャメロン  :ウィキペディア
フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 :「NHK」
   「精神改造 恐怖の洗脳計画」2021 精神科医ユーウェン・キャメロンの闇
ミルトン・フリードマン  :ウィキペディア
新自由主義  :「コトバンク」
新自由主義  :ウィキペディア
シカゴ・ボーイズ  :「百科事典  Academic Accelerator」
ジェフリー・サックス  :ウィキペディア
国鉄分割民営化 JR発足 :「NHK」
国鉄の分割・民営化三十年に関する質問主意書  :「衆議院」
これまでの民営化の流れ  :「日本郵政」

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『堤未果のショック・ドクトリン』  堤未果  玄冬舎新書



『堤未果のショック・ドクトリン』  堤未果  玄冬舎新書

2023-08-14 11:25:21 | 歴史関連
 新聞広告を見たとき、ちょっと気になっていた。著者の本は未読だったが名前は記憶していた。「政府のやりたい放題から身を守る方法」というキャッチフレーズ的な副題と「ショック・ドクトリン」という用語が引っかかったのである。手に取らないでいる内に、U1さんのブログ記事で本書について書いておられるのを読んだ。その数日後だったか、大きめの出版広告が再び目に止まった。そんな経緯から読み始めた。
 本書は2023年5月に刊行された。私が入手したのは6月第3刷である。かなり関心の高い新書の1冊になっているようだ。

 著者は本書の序章を、2001年9月11日、「9.11」のニューヨクでの体験を語ることから始めている。著者はあの時、あのツインタワーに隣接する世界金融センタービルの20階で勤務していたという。あの惨劇を身近で体験した一人だった。そして、あのテロ行為以降にアメリカが変貌する様相を見聞し体験してきたのだ。「9.11直後のアメリカで身に染みた、絶対に忘れてはならないこと、それは、一度成立してしまったら、凄まじい勢いで社会を変えてしまう『法律の力』です」(p15)と記す。この認識が本書においても展開されていく。
 9.11以降にPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症した著者は、勤務先の野村證券を辞め帰国。「人断ち」という修行を勧められ実行した結果、己を取り戻し、国際ジャーナリストに転進したという。数年後に出会ったのが上掲のナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン』だったそうだ。

 本書は、著者がジャーナリスト・作家であるナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』から学びヒントを得たことを踏まえ、現在の重要な問題事象を分析し、論点を明確にして、「政府のやりたい放題から身を守る」ために警鐘を発する書である。
 ナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン』は2007年に刊行された。原書には副題として、THE RISE OF DISASTER CAPITALISM とある。翻訳書では副題を「惨状便乗型資本主義の正体を暴く」と訳出する。不勉強故に、この翻訳書が2011年9月に出版されていたことを本書で初めて知った。

 著者は「ショック・ドクトリン」を次のように定義づけている。
 「ショック・ドクトリンとは、テロや戦争、クーデターに自然災害、パンデミックや金融危機、食糧不足に気候変動など、ショッキングな事件が起きたとき、国民がパニックで思考停止している隙に、通常なら炎上するような新自由主義政策(規制緩和、民営化、社会保障切り捨ての三本柱)を猛スピードでねじ込んで、国や国民の大事な資産を合法的に略奪し、政府とお友達企業群が大儲けする手法です。」(p17)ナオミ・クラインの考えを継承しているのだろう。
 この定義のもとに、まず序章で、ショック・ドクトリンが実行されていくプロセスに、5つのステップがあると提示し、問題事象の分析視点を提示している。こののフレームワークを使って、問題事象について、緻密な情報収集を行い、情報分析をして論理的推論からえた所見を整理しするとともに、身を守るための対策法を論じてく。ショック・ドクトリンの応用編レポートと言える。

 では、そのフレームワークとは何か?
  ①ショックを起こす   ショックが発生するという場合もある。例:大地震
  ②政府とマスコミが恐怖を煽る
  ③国民がパニックで思考停止する
  ④シカゴ学派の息のかかった政府が、過度な新自由主義政策を導入する
  ⑤他国籍企業と外資の投資家たちが、国と国民の資産を略奪する。
著者はこの5大ステップをフレームワークとして、現実の諸問題の発生経緯と現状を論じていく。
 さらに、このショック・ドクトリンのステップについて、「ターゲットが世界規模になったことと、GAFA(アメリカ大手IT企業群)やBATH(中国大手IT企業群)のような、極めて危険な新プレィヤーが参入してきたこと」(p47)で、大きな変化が加わっていると説く。
 本書p56-57には、今までの「世界のショック・ドクトリン事例」を簡潔に一覧表で示している。ショックに該当すもの、つまり上記①として、次の事象が列挙されている。
チリ軍事クーデター、旧ソ連崩壊、韓国通貨危機、アメリカ同時多発テロ(9.11)、イラク戦争、スマトラ沖地震、ハリケーン・カトリーナ、東日本大震災、新型コロナパンデミック。
 このリストを読み、ウ~ンと唸らざるを得なかった。このような5つのステップというフレームワークで現実に発生してきている事象を捉える思考をしていなかったからだ。断片的、分散的な事実認識にとどまっていた。

 著者は「正しい判断をするための第一歩は、何が起きているかを知ることです」(p53)と助言する。五感を再起動させ、何か変? という違和感を感じるかどうかがスタートになるという。序章の最後に「違和感チェックリスト」が掲載されている。このチェックリスト、まず序章の一環として通読した。本書全体を読み終えてから、再読するとそのチェック項目の意図と奥行を再認識することになった。役立つチェックリストである。

 さて、これからが「堤未果のショック・ドクトリン」になる。つまり、著者がナオミ・クラインの提唱した用語とフレームワークをヒントに、現在進行形の事象を解明するために応用した所見であり、読者に問題提起し捲き込むためのレポートでもある。ここでは
 第1章 マイナンバーという国民監視テク    ⇒マイナンバーカード制度
 第2章 命につけられる値札ーコロナショック・ドクトリン ⇒コロナ禍の背景の動き
 第3章 脱炭素ユートピアの先にあるディストピア  ⇒脱炭素問題と排出権取引
という3つの事象が論じられている。
 その内容は、本書を繙いていただきたい。

 著者はこの3つの事象について、それぞれが現在進行形である状況を、上記の5ステップで分析しつつ、具体的に指摘している。考えられる問題点や不明瞭な動きの中で決められた事項の実態、どのような金の流れが発生しているかなどを指摘し論じている。読み進めてナルホドと思う指摘事項が多い。こういう風に繋がっているのか・・・と愕然とする箇所。見れども見えず・・・。我が問題意識の闕如といえそう。己の五感を活性化させる刺激材料となった。
 一方、これからも立ち戻って考え直す、あるいは著者の指摘を再チェックしつつ再考する情報源になると思う。特に、マイナンバーが当初の目的が曖昧化され、知らぬ間に拡大解釈され、国民監視の手段とされないように注視する必要が喫緊のようである。デジタル化で一番気をつけるべきことは? 「決して、権力を集中させてはいけません」と台湾のデジタル担当大臣オードリー・タンが答えたという。「リスク分散」の視点、大事にしたい。
 
 本書内で著者が述べている鉄則的な所見表記の箇所を引用しご紹介しておこう。
*全く同じ出来事が起こるわけではないけれど、一つ一つの事象をつなぎ、長い時間軸で眺めると、ある共通パターンが見えてくるからです。
 過去をひもとき、つなぎ合わせ、その法則を知ることで、歴史は私たち市民が未来を取り戻すための、協力な武器になるのです。  p47  ⇒温故知新に通じる発言。
*何が起きているのかを多角的に摑み、全体像を見るスキルを身につける p49 
*デジタルの制度設計をうまくかせる秘訣:社会の中で、一番システムを使いづらい人たちに合わせてつくればいいんです。  p78
*ショック・ドクトリンを読み解くには、それがあるとできることではなく、それがないとできないことに注目してください。 p113

 最後に、著者の警鐘事項から、2つ引用しておきたい。
*民主主義国家では、国が国民に何かを強制すると大問題になるため、代わりに「選択肢を奪う」という手法が取られることがあります。 p118
*ショック・ドクトリンを実施する側にとって「緊急事態」とは、憲法や法律、民主主義や民意といった「障害」を一気に消し去る、魔法の言葉だからです。 p160

 この新書、しばらくは、立ち戻り、時間軸での経緯を確認するのに役立つ情報源になりそうだ。

 ご一読ありがとうございます。




『眠れないほどおもしろい 徳川実紀』  板野博行  王様文庫

2023-05-30 14:44:57 | 歴史関連
 本書はたまたま読んだ市政だよりの図書コラムで知った。大河ドラマで徳川家康をとりあげている関連での紹介だったのかもしれない。
 『徳川実紀』について手許の辞書には次の説明がある。「江戸幕府編纂の史書。516巻。林述斎を総裁に成島司直らが編集。文化6年(1809)起筆、嘉永2年(1849)完成。家康から10代の家治までの各将軍の治績を収録」(『日本語大辞典』講談社)
 江戸幕府の始まりからすれば200有余年後に編纂された史書ということになる。
 本書のタイトルは『徳川実紀』であるが、本書の実質は『徳川実紀』をベースにした徳川家康一代記である。本書は、文庫書き下ろしとして、2022年12月に刊行されている。

 奥書を読むと、著者は「眠れないほどおもしろい」という修飾句を冠して、源氏物語、百人一首、万葉集、やばい文豪、徒然草、平家物語、吾妻鏡、日本書紀を順次著してきている。私には本書が著者を知る最初の本になった。

 『徳川実紀』をベースとしていると著者が言うのだから、まあ言わば家康についてオーソドックスな見方で捉えていくことになる。「弱小国、三河の松平家に生まれた竹千代」(p18)の小見出しから始まり、「家康、75歳の大往生!」(p239)まで、家康の生涯の要所がコンパクトにまとめられている。

 本書は『徳川実紀』について最初に説明している(p16)。上記辞書の説明と重複しない部分を挙げるておこう。1.正式には『御実紀』という。2.林述斎は林羅山を祖とする林家八代目で、林家中興の祖。3.本書は正本517冊が完成とする。(付記:辞書等では516冊が多いが、517冊と説明する事例もあることを知った。)4.幕府の日記をもとにした編年体での記述である。5.『続徳川実記』の編纂が試みられたが未完に終わった。
 『徳川実紀』を意識したことがなかったので、この点も多少参考になった。

 さて、本書の特徴について、読後印象を含めて、ご紹介したい。
1.「はじめに」の見出しが著者の視点を示している。
    「焦らず急がず”最後に笑った男”の生涯」(p4)

2.本文は、大久保彦左衛門が案内役をするという形式で記述されていく。
 「江戸幕府の公式史書である『徳川実紀』をベースに、『三河物語』や、その他の史料に基づいて家康公の一生と、名だたる戦国武将たちや戦いの数々をナビゲートつかまつらん!!」(p15)というスタンス。ところどころに、彦左衛門の私見(?)も加えられていておもしろい。まあ、そこに著者の視点が重ねられているのだろう。
 語り部口調を交えて本文が記述されているので文に硬さが無く読みやすい。

3.章立ての見出しは読み手の関心を惹くメッセージに仕立ててある。消費者の購買ブロセスのモデルの一つ、AIDMAの応用なのかもしれない。章立ては以下のとおり。
  1章 「天下人への資質」はかくして育まれた!
    ・・・・まさに臥薪嘗胆! 不遇を糧にした幼少時代
  2章 「九死に一生を得た」先で、何を悟ったか?
    ・・・・レジエンド信玄も驚嘆! 「三河武士との固い絆」
  3章 潰えた信長の野望! どうする、家康!?
    ・・・・堺から岡崎までいかに逃げ延びるか!
  4章 「秀吉に臣従するか否か」---そこが問題だ!
    ・・・・群雄入り乱れて「信長の後継者争い」勃発!
  5章 時は来た --家康の「天下取り」始動!
    ・・・・乱世に終止符を! 「盤石の体制」はこうして築かれた

4.各章の冒頭と章の要所要所に、3コマ、あるいは4コマのコママンガが載っている。
 勿論、そのマンガは本文と照応して、章のキーポイントを視覚化している。
 マンガ世代には読みやすい本になっている。敷居が低い感じで気楽に読み進めることができる。

5.併せて、要所要所に戦場や同盟関係のイラスト、史料、絵図等が挿入されていて、本文の説明をイメージしやすくなっている。

6.本文でキーワードに相当する箇所は、太字ゴシック体で表記されている。学習参考書の感覚、イメージで読めるのではないかと思う。メリハリが分かりやすい。

7.各所に挿入されたコラムが適当な気分転換となる。読み切りのいわば歴史豆知識。コラムのタイトルをご紹介しておこう。
  *家康の実母「於大の方」の生涯  p27-29
  *今川義元は本当にお公家かぶれのバカ殿だったのか!? p48-49
  *「甲斐の虎」武田信玄  p91-93
  *後家好きの家康     p110-111
  *妖刀「村正」      p127-128
  *「淺井三姉妹」     p143-144
  *日本一短い戦場からの手紙  p156-157
  *鉄の結束!「徳川四天王」および「徳川十六神将」  p168-174
  *「鳴かぬなら・・・・・」、三英傑のそれぞれ   p180-181
  *「三河武士の鑑」--鳥居元忠の忠義     p194195
  *真田幸村の人生  p236-238
  *天海が発案! 家康の神号「東照大権現」   p245-247
  *家康は倹約家? それともケチ?       p248-249
 なかなか話材がバラエティに富んでいておもしろい。

8.巻末に徳川家康の年譜が3ページに集約されている。家康の一生を通覧するのに便利。
 家康は茶屋四郎次郎の話を聞き、鯛の天ぷらを食べて死んだとどこかで聞いて記憶していた。疑問もあった。鯛の天ぷらを食べたのは事実だが、本書によれば、それから約三ヵ月後、1616年4月17日に亡くなった。『徳川実紀』の記述から、著者は死因が胃癌ではないかと推測している。ナルホドと納得できる。

9.本文末尾の終わり方が、軽くて愉快。仰々しくない締めである。
 「なお、その後、大奥で天ぷら料理をしていてあやうく火事になりかけたこともあって、江戸城内では天ぷらをすることは禁止となった」(p244)

 気軽に読み進めることができて、家康さんに親近感が湧くのではないかと思う。
 いわば、学習参考書タッチの本。「眠れないほど」まではいかないが、詠みやすさと「おもしろい」のは事実。マンガの効果も十分発揮されている。漫画・イラストレーションは谷端実さんだという。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
徳川実紀 第一編  :「国立国会図書館デジタルコレクション」
42.御実紀(東照宮御実紀)  歴史と物語  :「国立公文書館」
徳川実紀   :ウィキペディア
徳川実紀   :「コトバンク」
徳川実紀   :「ジャパンナレッジ」
三河物語   :ウィキペディア
三河物語   :「ジャパンナレッジ」
家臣の家康への皮肉が書かれた「三河物語」の中身 伊藤賀一  :「東洋経済 ONLINE」
大久保彦左衛門 :「コトバンク」
大久保彦左衛門 :「港区ゆかりの人物データベース」

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