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遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『ずっと、ずっと帰りを待っていました 「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡』 浜田哲二・浜田律子 新潮社

2024-08-20 22:00:04 | 歴史関連
 著者はフリーランスのジャーナリスト夫妻。哲二さんは元朝日新聞社カメラマン、律子さんは元読売新聞大阪本社記者。「沖縄には20世紀末から通い始め、本島の中南部で戦没者の遺骨や遺留品を収集し、身元を特定して遺族に返還する活動を続けている。勤めていた新聞社での取材がきっかけだったが、2010(平成22)年に哲二が会社を早期退職したのちは、毎年約2ヵ月間は現地に滞在し、ボランティアで取り組むようになった」(p4)という。
 2015年2月、沖縄本島南部の糸満市喜屋武と福地に連なる丘陵地の岩山の横穴で18枚の認識票を収集した。この認識票の持ち主を特定しようと著者たちが奮闘する中で、思い余って相談したNHKの記者から、沖縄戦の最後の戦闘に加わっていた歩兵第32連隊第1大隊の元隊長・伊東孝一(元大尉)さんがお元気であるという情報を得る。認識票の持ち主の特定という一縷の望みをかけた伊東孝一元大隊長との出会い。これが本書の生まれる始まりになる。
 西原・小波津の戦闘、首里近郊146高地、棚原高地と次々に指令を受け転戦し、最後の防衛線として糸満・国吉台の戦闘という激戦を経て、終戦を迎え、伊東大隊長以下の生存者は奇しくも本土に生還した。

 沖縄戦から生還した伊東大隊長は、1946(昭和21)年6月1日付で、およそ600の遺族に詫び状を送られた。それに対して、356通もの返信が届いた。伊東さんは、この返信を己が没するときに携えていくつもりでおられたようだ。また、2001年に伊東さんは戦記『沖縄陸戦の命運』を私家版として出版されていた。
 著者たちが伊東大隊長と面談でき、認識票についての話が一段落した後、哲二さんは、人目を避けた場所で、「ところで、遺族に手紙を書かれたそうですが、返信が来たのでは」と伊東大隊長に問いかけたという。私家版の戦記に一行記されていた箇所について、哲二さんは問いかけたのだという。後日、面談いただいたことへの礼状を投函する際に、「その最後に、ジャーナリストとして沖縄戦の記録と記憶を残すために、遺族からの手紙を読ませてほしいと書き添えて投函した」(p8)。それに対し、伊東大隊長からは己の心を定め答えを出す猶予がほしいとの返信があった。
 2016年8月、終戦記念日の少し前に、手紙の公開について応諾の返事が伊東さんから届く。「この手紙には、当時の国家や軍、そして私の事が、様々な視点で綴られている。礼賛するものもあれば強く批判したものも。そうした内容の良いも悪いもすべて伝えてほしい。手紙にしたためられた戦争犠牲者の真実を炙りだしていただきたい。どちらか一方に偏るならば、誰にも託さない」(p9)と記されていたそうだ。

 終戦から71年が過ぎた秋(2016年10月)に、著者夫妻に356通の手紙が託された。
 約70年前の書簡の解読、分析から始め、その手紙の差出人もしくは遺族関係者の現住所を特定するという困難な追跡作業が引き続く。「これを世に出すには、手紙の差出人の遺族の了承を得る必要がある」(p11)からだ。
 本書には、この追跡調査のプロセスの一部も記述されている。
 そして、伊東大隊長の詫び状に対して、出された返信の書簡が困難を経ながらも無事に受諾され、遺族に引き取られることになる。この過程で、戦争の犠牲者となった兵士たちの遺族関係者の戦後の生活にも簡略に触れられていく。戦死した兵士たちだけが戦争の犠牲者ではない。その遺族の人々にもその後の犠牲が及んでいるのだ。「指揮官と遺族の往復書簡」はいわば、戦後につながる契機となっている。この側面は本書を通して、戦争について考える重要な要素だと思う。
 一方で、引き取りを拒絶される事例や、追跡調査ができない事例もあるという。

 著者たちと伊東大隊長の関係は、伊東大隊長への手紙を介して深まっていく。書簡の公開への承諾と書簡の引き渡しが、困難を経ながらも少しずつ進行していく。そのプロセスが進行するさなか、2020年2月、伊東大隊長は自宅でひっそりと逝去された。享年99歳。

 本書はドキュメンタリーという分野の一書になると思う。
 「プロローグ---伊東大隊長への手紙」には、本書が生み出された背景が記述される。そこに、上記した伊東大隊長の詫び状の書簡文が開示されている。
 そして、本文は7章で構成される。各章は歩兵第32連隊が指令を受けて戦闘拠点を移動させていく状況に合わせて、構成されていく。その一部は上記で触れているが、改めて章題としてご紹介しておこう。
 第1章 戦いは強固な陣地づくりから
        ー沖縄上陸と戦闘準備(1944年夏~45年4月中旬)
 第2章 陣地なき戦い
        ー緒戦、西原・小波津の戦闘(1945年4月末)
 第3章 噛み合わない作戦指令
        ー首里近郊、146高地の戦闘(1945年5月初旬)
 第4章 死闘、また死闘
        ー棚原高地の奪還作戦(1945年5月5~7日)
 第5章 玉砕を覚悟
        ー首里司令部近郊の守備~南部撤退(1945年5月中旬~5月末)
 第6章 最後の防衛線
        ー糸満・国吉台の戦闘(1945年6月中旬)
 第7章 武装解除までの消耗戦
        ー糸満・照屋の戦闘(1945年6月~8月末)
 エピローグ ------奇跡の帰還

 各章とエピローグの前半部には、当時24歳だった青年将校、伊東大隊長の視点から、沖縄戦が伊東大隊の戦いを辿る形で記述されていく。その内容は、伊東孝一著、私家版の手記・戦記『沖縄陸戦の命運』を土台に、「復員した同大隊兵士、戦没者およびその遺族らによる手紙や証言、その他の記録などを参照・一部引用したうえ」で著者が構成している。この部分は、本文がグレー地で表示されている。
 それに引き続き、伊東大隊長に返信された書簡の内容開示されていく。その開示にあたる追跡調査のプロセスの要点や、書簡を引き取っていただいた遺族関係者の戦後の状況や思いが併せて記述されていく。返信された方ー父、母、妻ーの思いが、その返信文の中に、様々な形で表出されている。沖縄戦の展開状況を読み、その拠点で戦死した兵士の遺族からの返信書簡を合わせて読むと、涙せずにはいられない箇所が頻出してくる。
 
 エピローグに返信書簡はない。その代わりに、沖縄で犠牲になった二十数万人の戦没者のなかで、DNAが合致して身元が判明した6例目のことが取り上げられている。それは伊東大隊の隊員の一人の遺骨と判明し、2021年4月に奇跡の帰還を果たした。その隊員については、父親からの返信書簡が第7章で取り上げられている。
 もう一つ、伊東さんが訪問を受け、面談した人々に対して、伊東さんが尋ねた質問とその結果、及び伊東さんの意見について著者が記述している。
 その質問とは、「日本にとって、大東亜戦争とは? 
            ①やむにやまれぬものか ②愚かなものか 」 である。
 
 後は本書をお読みいただきたい。

 先日、GOOブログのU1さんのブログ記事で本書を知った。ブログ記事を読んでいなければ、知らずに終わる一冊になったかもしれない。

 団塊の世代の一人として生を受け、いわゆる「戦争を知らない世代」、戦争に関わる直接体験が皆無の世代の一人として生きてきた。沖縄での戦いは、米軍上陸に伴う沖縄の人々がどのような状況に投げ込まれたかについて、本や記録報道などで見聞したことはある。一方、沖縄本島における沖縄戦の戦闘に絡んだ戦記の側面は読むことがなかった。本書で初めてその一端に触れた思いがする。さらに、沖縄戦で犠牲となった兵士の遺族の思いがどうであったか、そこまで具体的に思いを及ぼすことはなかった。己の無知を知らされる。
 そういう意味では、得難い一冊となった。

 世界の各地で戦争が継続している。「戦争」のない世界平和はなぜ実現できないのだろう。
 日本が「あらたな戦争前夜」へと踏み出さないことを願う。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
これを機会に、少し情報を検索してみた。
戦没者の遺骨収集の推進に関する法律  :「衆議院」
遺骨収集事業の概要  :「厚生労働省」
戦没者遺骨収集情報センター   :「県営平和祈念公園」
「遺骨収集」の記事一覧  :「沖縄タイムスプラス」
日本戦没者遺骨収集推進協会  ホームページ
沖縄戦  :「沖縄県」
沖縄戦の歴史         :「沖縄市役所」
沖縄戦の実相         :「沖縄市役所」
沖縄市における沖縄戦について :「沖縄市」
【そもそも解説】沖縄戦で何が起きた 住民巻き込んだ「地獄」の戦場:「朝日新聞DIGITAL」
沖縄戦の概要  :「内閣府」
伊東孝一    :ウィキペディア
「大隊の部下の9割を失って」  動画 :「NHK」

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『人体ヒストリア』 キャスリン・ペトラス  ロス・ペトラス  日経ナショナル・ジオグラフィック 

2024-05-03 14:13:19 | 歴史関連
 タイトルに惹かれて読んだ。キャスリンとロスのペトラス兄妹の共著作。ペトラス兄弟は言葉をテーマにした数多くのユーモアあふれる本を数多く出し、ベストセラー本もあるという。本書は言葉の代わりに、人体のバーツ(部位)-五体、諸器官など-に着目し、歴史を作る人間、総体としての人から、さらに一歩踏み込んで、その人の人体のパーツが歴史を変えたということをテーマにしている。副題は「その『体』が歴史を変えた」。
 実にユニークな視点。歴史的発見や史実を生み出し、歴史に名を残すのは人である。歴史に名を刻んだ元々の遠因がその人の体のパーツにあるというのだから、おもしろい。
 2023年8月に翻訳の単行本が刊行された。コピーライトを見ると、2022年に出版されている。
 本書の原題は、"A HISTORY OF THE WORLD THROUGH BODY PARTS" である。

 「もしクレオパトラの鼻がもっと低かったら、世界の様相はすっかり変わっていただろう」という格言を、ほとんどの人はどこかで見聞したことがあるだろう。超有名な格言。これが、端的に本書のテーマの象徴となる。クレオパトラ(紀元前69年~紀元前30年)の美貌が鼻に象徴されている。「鼻」という体のパーツがエジプトの女王、クレオパトラ7世の人生を変転させたという。この歴史的エピソードは、勿論、本書では第4章に詳しく取り上げられている。17世紀のフランス人哲学者ブレーズ・パスカルは、人体のパーツである鼻のサイズをきわめて大きな問題として哲学的探求の素材にしたらしい。

 trivia という英単語がある。トリビアとそのままカタカナ語で使われている。
 辞書によれば、「1.ささいな[つまらない、くだらない]こと 2.雑情報、(クイズなどで問われる)雑学的知識」(『ジーニアス英和辞典第5版』大修館書店)と説明されている。ほかでは豆知識とも訳されている。
 本書は、いわばトリビアの集成ともいえる。つまらない歴史秘話ととらえるか、歴史に名を刻んだ人々の本音、本源、動因に関わったかもしれないエピソード、雑学的知識として一考するネタ、豆知識と捉えるかは、読者の受け止め方次第である。

 ペトラス兄弟が膨大な参考文献を渉猟して、特定の歴史上の人物と人体のパーツを結びつけ、歴史の一事象を読者にとって読みやすく綴っている。秘話とも言える側面を扱っているので、読みだしたら、殆どが知らなかったことばかり・・・。という訳で、おもしろくて止まらなくなる。好奇心に訴えかけるエピソード集である。
 末尾には、なんと参考文献が20ページにわたって列挙されている。全部横文字。翻訳文献はない。このトリビア領域にも、研究者や好事家が大勢いることがわかる。

 第1章は起源前5万年~紀元前1万年前の事例から始まる。フランスのピレネー山脈のガルガスの石灰岩洞窟、深奥の「手」の身体芸術事例を中心に述べている。エピソードは、ほぼ年代順に、クレオパトラの鼻、古代ギリシャの彫像に見る最高神ゼウスのペニス、マルティン・ルターの腸、ジョージ・ワシントンの(入れ)歯、レーニンの皮膚、そして、最終の第27章はアラン・シェパードの膀胱に至る。
 アラン・シェパード(1923~1998)はアメリカの宇宙飛行士の一人。最後のエピソードはアランからはじまり、その後の宇宙飛行士の全員が抱える排尿・排便の秘話を取り上げている。この切実な問題、読者には興味深い。

 上記と一部重複するが、「本書を構成する人体の部位」が内表紙の裏面に掲載されているので、その一覧をご紹介して終わりたい。 右側に人物について多少付記した。
  1.旧跡時代の女性の手
  2. ハトシェプスト女王の顎ひげ    エジプト第18王朝のファラオ
  3.最高神ゼウスのペニス
  4.クレオパトラの鼻
  5.趙氏貞の乳房          3世紀のベトナムの女性戦士
  6.聖人カスパートの爪       7世紀の修道士。イングランドのダラム教会に安置
  7.ショーク王妃の舌      メキシコ、マヤ文明の一都市ヤシュチランの王妃
  8.アル・マアッリーの目     アラビアの哲学的詩人。イスラムの理神論者
  9.ティムール(タメルラン)の脚   ティムール帝国の創建者。悪名高い征服者
 10.リチャード3世の背中       イングランド、ヨーク朝最後の王
 11.マルティン・ルターの腸   16世紀の宗教改革の中心的人物
 12.アン・ブーリンの心臓       イギリス王ヘンリー8世が処刑を命じた元妻
 13.チャールズ1世とクロムウェルの頭 イングランドの王と議会派のリーダー
 14.カルロス2世の顎         スペイン、ハプスブルグ家最後の王
 15.ジョージ・ワシントンの(入れ)歯  アメリカ初代大統領
 16.ベネディクト・アーノルドの脚  アメリカ独立戦争の立役者。英国に寝返る
 17.マラーの皮膚          フランス革命の指導者。暗殺され有名に
 18.バイロン卿の足         イギリスの詩人
 19.ハリエット・タブマンの脳    脳損傷で特殊能力活性。女性参政権運動元祖
 20.ベル一家の耳          電話の発明者とその一族
 21.ウィルへルム2世の腕       ドイツ皇帝、第一次世界大戦を引き起こす
 22.メアリー・マローンの胆嚢    最初の無症候性腸チフス保菌者
 23.レーニンの皮膚         ソビエト連邦建国者のエンバーミング
 24.秋瑾の足            中国のフェミニスト革命家。纏足からの解放
 25.アインシュタインの脳      天才的な物理学者
 26.フリーダ・カーロの脊柱     太い一本眉で有名なメキシコの画家
 27.アラン・シェパードの膀胱

 人体のパーツが、歴史にどのような影響を及ぼすことになったのか。トリビア、エピソードをお楽しみあれ!

 ご一読ありがとうございます。


補遺
太古の芸術家は女性だった?  :「NATIONAL GEOGRAPHIC」
アル=マアッリー      :ウィキペディア
ティムール   :ウィキペディア
処刑を繰り返す暴君!ヘンリー8世の素顔と6人の妻の悲劇 :「COSMOPOLITAN」
ベネディクト・アーノルド  :ウィキペディア
ハリエット・タブマン    :ウィキペディア
第一次世界大戦   :「ホロコースト百科事典」
レーニン廟     :ウィキペディア
検便はなぜ必要か~「腸チフスのメアリー」:「株式会社東邦微生物病研究所」
纏足        :ウィキペディア
フリーダ・カーロ  :ウィキペディア

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『口語訳 古事記 [完全版] 』 訳・註釈 三浦佑之  文藝春秋

2024-04-10 14:53:02 | 歴史関連
 時折、部分読みしていたが参照程度の利用であり、今に至って初めて通読した。
 手許の本の奥書を見ると、2002年9月の第8刷。本書の刊行は2009年6月に第1刷。刊行当時ベストセラーになっていたことを記憶する。ブームが少しさめた頃に本書を入手したのだが、長らく書棚の背表紙を眺めていたことになる。
 
 『古事記』全体の構成と内容の概略を理解でき、『古事記』の全体像をイメージできるようになった。本書は『古事記』全訳注・次田真幸(講談社学術文庫、上・中・下三巻)、『現代語訳 古事記』福永武彦訳(河出文庫)のように、「現代語訳」という表記ではなく、「口語訳」となっている。
 「天と地とがはじめて姿を見せた、その時にの、高天の原に成り出た神の御名は、アメノミナカヌシじゃ。つぎにタカミムスヒ、つぎにカムムスヒが成り出たのじゃ。この三柱のお方はみな独り神での、いつのまにやら、その身を隠してしまわれた」(p16)
と言う風に、ひとりの古老が語る口調で訳されていく。口語訳というのはここから来ているのだろう。

 内表紙の次に「語りごとの前に」という著者の前書があり、その冒頭は「この本は、古事記のほぼ完璧な口語訳でありながら、古事記という作品を突き抜けようという意志によって貫かれています」の一文から始まる。ここに著者のこの口語訳に対する意気込みが溢れている。
 その末尾に凡例が付されている。その第1項に「神名や人名はすべて、旧かな遣いによるカタカナ表記で統一しました。その意図は、旧かなのほうが原義を復元しやすいのと、カタカナの場合、目から入る意味性が弱まり、音による異界性が浮かび上がるのではないかと考えたからです」と記す。上記の口語訳引用箇所のカタカナ表記はこの意図による。最初、神名・人名のカタカナ表記にちょっと戸惑ったが、古老の語りを読むという形としては、逆に漢字とルビの併用にひっかかることなく、語り口調にすんなりと馴染んでいけたと感じる。
 本書には、末尾に「神人名索引」が設けてある。カタカナ表記の神人名に、古事記の原文表記である漢字の神人名が併記されている。引用箇所を例示すれば、アメノミナカヌシ/天之御中神、タカミムスヒ/高御産巣日神、カムムスヒ/神産巣日神[之命]と併記されている。漢字での表記を知りたいときに便利である。
 古事記の本文内容を知るという点では、古老の語りによる口語訳は、慣れていくとリズムもあり、読みやすかった。漢字名にとらわれることがない分、比較的抵抗感なく読み進めることができた。

 古老の語りという形なので、『古事記』の最初にある太安万侶による「序」は本文に出て来ない。その現代語訳は付録に収録されている。付録の中で現代語訳を読み、古老の語りという口語訳では不要だなと思った次第。
 本文は、「第一部 神代篇」「第二部 人代篇 上」「第三部 人代篇 下」と、『古事記』上・中・下三巻に対応して口語訳されている。各ページの下段にかなり詳しい注釈が併記され、植物や鳥のイラストも載せてある。今回の通読にあたって、注釈は適宜併読したにとどまった。
 口語訳の本文は「なにもなかったのじゃ・・・・、言葉で言いあらわせるものは、なにも。あったのは、そうさな、うずまきみたいなものだったかいのう。/ ・・・・・・知っておるのは、天と地が出来てからのことじゃ・・・・」(p16)という冒頭の二段落の文から始まっている。この部分は著者の補足であり、凡例に「一部に語り部の独白や背景説明が加えられています。その部分は注釈に記したので」と明記されている。注釈で古事記本文との識別が容易にできる工夫がしてある。本文に独白や背景説明が付加されていることが、この口語訳の一つの特徴にもなっている。そこには一つの問題提起を兼ねた視点も含まれているように感じた。
 注釈については、凡例に「時にたんなる言葉の説明を逸脱して、わたしの神話や昔話の解釈に向かっていますが」(p12)と明記している点も、本書の特徴でありおもしろいところと言える。

 本書の特徴をさらに2つ挙げることができる。
 1つは、「古事記の三巻すべてをほぼ忠実に訳しています」(p12)という本文に引き続いて、36ページに及ぶ「古事記の世界(解説)」が併載されていることである。『古事記』とは何か、それをどのように捉えればよいのかが論じられている。口語訳本文を読んでからこの解説論文を読むと、日本の歴史における『古事記』の位置づけがわかりやすくなってくる。
 この論文は、「一 語り継がれる歴史」「二 歴史書への模索」「三 古事記の成立」「四 古事記の構造と内容」「五 古事記の享受史」から構成されている。『古事記』の存在意義を日本の歴史の文脈の中で考えるうえで役に立つ。
 特に次の記述が、私には興味深い。引用する。
*古事記の神がみの物語の中核には、出雲系の神がみを語ろうとする意志がはたらいているのである。それを、天皇家の血筋と支配の正統性を語るために統御しようとして、完全には統御しきれなかったのが古事記であり、日本書紀は、ヲロチ退治神話だけを残して出雲系の神がみの物語を切り捨てることによって全体を統御したのだ。それが、語りの論理に生きる古事記と、文字の論理を内在化させた日本書紀との違いである。 p380-381
*日本書紀は歴史書としての統一性をもつことにはなったが物語としてのおもしろさを欠いた作品となり、古事記は歴史書としての統一性には欠けるが、個々の伝承は読んでおもしろい作品として残されたのである。  p384

 2つめの特徴は、本書がいわば古事記に関する事典的な役割を兼ねていることである。 それは「付録」があることによる。上記のとおり、付録の最初に「古事記 序」の現代語訳が載る。その後に、
  「地名解説」「氏族名解説」「主要参考文献」「神々の系図」
  「歴代天皇の系図」「参考地図」
が収録されている。
 本書末尾には、上記の「神人名索引」「注釈事項・語彙索引」が併載されている。
 つまり、付録の内容と二索引により、本書には古事記に関する事典的な役割が取り込まれている。

 「あとがき」に著者は「本書一冊が手元にあれば、誰もが古事記のすべてを理解でき、原文に戻る必要などないという、私が思い描いていた理想の書物に近づけることができた」(p476)と記す。「完全版」という意味合いはこのことを意味しているのだろう。

 本書を通読したことで、古事記の世界に入りこむ原点ができた。これからはさらに踏み込んで古事記の世界を味読し、読み解きを楽しみたいと思う。
 
 ご一読ありがとうございます。

『城の科学 個性豊かな天守の「超」技術』 萩原さちこ  BLUE BACKS 講談社

2024-03-08 14:38:39 | 歴史関連
 近江国(現滋賀県)には、観音寺城、安土城、大溝城をはじめ城跡・山城跡が沢山ある。一時期は、ウォーキングの同好会や近江の山城跡探訪の講座などに参加して、山城跡等を巡っていた。近江には、彦根城が現存する。彦根城は学生時代から幾度か探訪してきているが、天守まで昇ったもののその天守の構造を深く考えたことはなかった。いままでは、山城を含め、城の縄張りの方に関心があった。
 山城跡は単独での探訪はなかなか難しい。若い頃は考えもしなかったが、もはやそれは蛮行と思う年齢になっている。現存する近世城郭を主体に探訪するなら、一人旅も可能。そういう意味でも、山城跡から現存する城、平城跡に意識が移ってきている。そんなタイミングで本書を知った。
 本書は2017年11月に刊行された。

 「城の科学」というタイトルに惹かれたことと、裏表紙の案内文中「姫路城、松本城、松江城、彦根城、犬山城を中心に、その構造や素材、装飾を解説していきます」という末尾の文に彦根城と姫路城が入っているので関心を持った。訪れた城名が入っているので城自体をイメージしやすくなる。姫路城を訪れた時は、平成の大修理の最終段階だったので、城内を巡ったが天守探訪とは縁がなかった。再訪したいと思っているので、ストレートに取りあげられているなら役に立つ。そんな思いが読む動機となった。

 本書は副題にもある通り、天守に焦点を当てる形で城を築造する技術と城の建築構造を科学的な視点で解説している。城郭の縄張り図という側面はほぼ対象外である。城のレイアウトということでは、天守の構成という視点で、複合式・連結式・独立式・連立式という構成の違いに触れて、天守を説明する範囲に留まる。
 天守についての知識は、本書でかなり詳しく学ぶことができて、役立つと思う。
 
 まず、本書の構成をご紹介しておこう。
  第1章 城と天守の歴史
  第2章 天守のつくり方 ~木造建築としての特徴~
  第3章 天守の発展 ~形式と構造の変化~
  第4章 天守の美と工夫
  第5章 姫路城の漆喰 ~よみがえった純白の輝き~
  第6章 松本城天守の漆の秘密 ~日本で唯一の漆黒の天守~
  第7章 丸岡城の最新調査・研究事例 ~科学的調査で国宝をめざす~
  第8章 松江城の新知見 ~明らかになった独自のメカニズム~
  第9章 松本城・犬山城・彦根城天守の謎 ~天守に隠された変遷~

 城の築造・構造を科学するという観点では、この章立てでお解りいただけるとおり、第2章~第4章が基礎知識を学ぶ中核になる。木造建築に関わる専門用語を使っての解説なので、用語を学び身近なものにできる反面、初めて読むには読みづらさがあるとも言える。図版が数多く使われているので、本文の通読にはかなり役に立つ。
 私は章順に読み進めたのだが、第2章~第4章の途中で、他のジャンルの本に気移りしてしばし中断してしまった。本書に戻ってきてからあとは一気に読み進めたのだが。
 第5章以下は、お城の事例紹介でもあり、トピックスになる内容が盛り込まれているので、楽しみながら読める。それぞれの城の特徴がわかっておもしろい。

 第1章の「城と天守の歴史」を読んでから、第5章以下のお城の事例を通読して、第2章~第4章の基礎知識を読み進めるというのも、一つの読み方かもしれないと思う。

 本書への誘いとして、幾つかの特徴にふれておきたい。
*全国各地に現存する天守、再建天守のある城、城跡等の全景や部分写真を数多く解説の流れに沿い掲載している。章毎にその掲載写真の城名を抽出すると次の通り。章ごとでの重複はその城への言及の広がりを意味する。
 第1章:岡山城、広島城、会津若松城、盛岡城、姫路城、彦根城、松江城、丸亀城、
     弘前城、松山城、白河小峰城、備中松山城、犬山城、松本城、名古屋城、
     大阪城、洲本城、大洲城、掛川城
 第2章:安土城、松江城、松本城、姫路城、丸亀城、犬山城、彦根城、丸岡城
 第3章:丸岡城、丸亀城、松本城、熊本城、姫路城、松本城、高知城、犬山城
 第4章:姫路城、彦根城、松本城、松山城、弘前城、犬山城、岡山城、金沢城
     備中松山城、丸亀城、松江城、熊本城、丸岡城、
*第1章に「金箔瓦が出土した、豊臣政権下の城一覧」および「天下普請の城と大坂包囲網」の両地図が掲載されている。
*木造建築の建物の様式、建築構造の部位名のイラストが掲載されていてわかりやすい。 併せて、4城の断面図が掲載されている(松本城、丸岡城、犬山城、姫路城)
*本書の末尾に、「現存12天守ガイド」が掲載されている。天守全景写真とともに、プロフィールと見どころの解説が見開きの2ページでまとめられている。
 現存天守のある城を列挙しておこう。私は本書で初めて12天守ということを知った。(*)を付けた城は国宝に指定されている。
   姫路城(*)、松本城(*)、彦根城(*)、松江城(*)、犬山城(*)
   弘前城、丸岡城、備中松山城、松山城、丸亀城、宇和島城、高知城

 これからは近世の城郭に重点を移して、城探訪をしてみたいと思っている。

 ご一読ありがとうございます。

『平安貴族とは何か 三つの日記で読む実像』  倉本一宏  NHK出版新書

2024-02-07 15:06:42 | 歴史関連
 平安時代の貴族の実像・実態など殆ど知らない。「百人一首」を介して平安時代の有名な貴族の名と和歌を知り、瀬戸内寂聴さんの現代語訳『源氏物語』や関連書籍あるいは『源氏物語』関連講座などにより、物語を介して平安貴族をイメージしてきただけだった。
 新聞広告で本書を知った。「光る君へ」の大河ドラマが始まった。著者は、たしか時代考証の立場でこのドラマに関わりをもたれているようだ。「三つの日記で読む実像」という副題に興味を抱いたことが、読むきっかけになった。平安時代を知るのに『御堂関白日記』と『権記』が役立つかと思い、著者による現代語訳の文庫版を手許に持っているが、時折参照するだけで殆ど眠っている。読み方の手ほどきを得られるかもと思ったことも読む動機づけになった。

 本書は2023年10月に新書が刊行された。しかし、本書を通読した後に、「おわりに」を読んで知ったこと。本書のルーツは2018年にあるそうだ。NHKラジオ第2放送の「カルチャーラジオ歴史再発見」という番組が「日記が明かす平安貴族の実像」という内容の放送を企画。著者が台本やテキストなしに事前に6回に分けてその話を収録したという。それが13回に分けて編集され放送されたそうだ。その収録を元に本書ができたという。大河ドラマの放映予定が出版の機会を作ったようである。

 三つの日記とは、藤原道長の『御堂関白記(ミドウカンパクキ)』、藤原行成の『権記(ゴンキ)』、藤原実資の『小右記(ショウユウキ)』。著者はこの三つの日記の現代語訳を為し遂げている。これらの一次資料(古記禄)で、著者は平安貴族を知るための読み解きを行う。時代の変転、長い歳月を経てかなりの部分が失われたとはいえ、現存するこの古記録から、重要かつ読者の関心を引きそうな事象の記録を抽出して、該当箇所の現代語訳を提示し、その記録内容から、平安貴族の思考と行動、時代状況などを読み解いていく。道長が実に素っ気なく書いている短文が、その背景に重要な意味を内包している!! おもしろくもない一行が、俄然注目の対象になる。日記の読み方がやはりあるようだ。それを感じることができた。

 <序章 古記録とは何か>で、平安時代の日記がどういうものかが理解できる。
 まず最初の著者の問いかけは、なぜ平安貴族の多くが日記を書き残したのか。
 日本では、延喜元年(901)に編纂された『日本三大実録』を最後に正史の作成を辞めてしまったことに起因すると著者は読み解く。そのため、貴族各自が日記をつけ、各家で日記を継承して行くことが必然化した。公事(政務や儀式のこと)にどのように対処したかを記録に残すことが日記の目的。その記録が今後同種の公事をどのように処理・対応するかの根拠となるからだそうだ。それを当たり前のように行っていた経緯が分かりやすく説明されている。公事を扱うノウハウを己と己の一族のために書き残すことがねらいだったとか。
 
 そして、日記をどのように書いたか。書くべき事とは何だったか。詳しく書いてはならないというのが基本だったという。日記は具注暦と呼ばれる暦に記された日の余白に書いたとか。「ただし中世になるまで、日付と日付の間に余白のある暦はあまりありません」(p27)とのこと。日記を書くためにどういう方法をとったかまで推定し説明されているところがおもしろい。

 この後の本書の構成をご紹介し、感想を付記してみたい。
[第1部 道長は常に未来を見ていた]   まずは『御堂関白記』。実質100ページ。
 <第1章 「自筆本」の価値>
 道長が権力者の座に押し上げられた経緯を著者は説明する。『御堂関白記』の自筆本が全部で36巻あったと記されているものが、今では近衛家所蔵の14巻だけになった経緯についても語られる。近衛家がどこにこの自筆本を保存していたかの諸説も論じられている。自筆本がご神体のようなものとして扱われ、古写本を実用に供し、新たな写本をほとんど作らず、摂関家で日記をほぼ独占していというところが興味深い。なお、当時の日記は求められれば、人に見せたり貸したりするというものでもあったそうだ。同時代の人に読まれることが最初から想定されていたという。

 道長の自筆本は、日記の表と裏を書き分けていたということを本書で初めて知った。
 「裏に書いたもののなかで一番多いのが、儀式を行なった際の参加者への禄(お土産)に関する記述です」(p53)とか。『御堂関白記』を部分参照したときに、なぜ出席者名や禄のことを長々と書くのかと疑問を抱いていた。「おそらくは政治的なセンスとして、『こいつは俺の味方なのか、敵なのか』を知るためのものだと思います」(p54)という読み解きになるほどと思う。
 著者は道長の運の良さを認めるが、その裏に道長なりの思惑や策略があったとみている。やはり、道長はチャンスをうまくつかむための準備をしていたのだ。

 <第2章 「一帝二后」成立の裏側>
 長保2年(1000)正月の道長の『御堂関白記』の記録をとりあげ、舞台裏を含めて「一帝二后」制を確立した経緯が読み解かれていく。この箇所は日記の記録だけ読んでいてはほとんどその状況を理解できない。背景情報の知識が読解に必要だと強く感じる。
 記録の途中にある墨を塗り消された文字の部分を調べた経緯も推論が記されていておもしろい。

 <第3章 書き方や消し方からわかること>
 寛弘元年(1004)2月6日の『御堂関白記』の表の記録と裏に記された和歌を事例としして採りあげ、著者は裏書の意味を読み解く。ここでは和歌の含意の謎解きをも著者は試みている。背景知識をどこまで持っているか、それを駆使できるかどうか。そこに読み方の深浅を感じる。
 
 <第4章 女(ムスメ)の懐妊祈願に決死の参詣>
 寛弘4年(1007)8月に道長が「金峯山詣」を実行した。その記録を事例にして、当時の状況が読み解かれていく。道長はかなりの強行軍で霊山詣でをしたようだ。この時に道長が山上ヶ岳に埋納した経の経筒を京都国立博物館で見たことがある。『御堂関白記』の記事と経筒を見たこととが、初めてリアルなストーリーとしてつながってきた。

 <第5章 権力を恐れない者・伊周>
 寛弘5年、中宮彰子が敦成親王を出産する。後の貴族はこのときの様々な儀式を「寛弘の佳例」と呼ぶようになった。それは道長の時代が終わった後に生まれた言葉。「実際に道長の家系が権力を握ったのはほんの一時期で、長くは続きませんでした」(p101)ということの裏返しだとか。
 ここでは、敦成親王誕生後の「百日の儀」の時に、道長の長兄の息子である伊周(コレチカ)が列席して起こした問題行動が題材になる。藤原実資が書いた『小右記』の記録と道長の書いた記録を併せ読みして、その問題行動の背景と状況が読み解かれていく。
 
 <第6章 常に未来を見据えて>
 一条天皇が亡くなり、既定路線として居貞親王が即位し三条天皇となる。一条天皇の崩御の前に、敦成親王を次の東宮にするための画策が『御堂関白記』の寛弘8年6月の記録から読み解かれていく。 
 一条天皇の辞世の句に複数のバージョンがあるというのが興味深い。著者はその理由を読み解いていく。

[第2部 子孫繁栄のための苦悩]  ここから藤原行成の『権記』に。実質55ページ。
 <第7章 赤裸々な記録の意図>
 藤原行成が祖父と父の早世により、引き立ててくれる人がなく、地下人として不遇の時代を長く過ごした。24歳で蔵人頭に抜擢されたが、有能であるが故に一条天皇が手放そうとしない。それで出世が遅れた。行成の最後の官職が権大納言だったので、彼の日記が『権記』と呼ばれた。これらのことを初めて知った。
 「しかし別の見方をすると、『権記』という名前には『大臣や大納言になれなかった男の日記』という意味があったのかもしれません」(p142)と、著者が深読みしている点がおもしろい。
 本章を読み、上記の日記はくわしく書いてはならないという基本の説明に反し、行成は王権内部の秘事、公言してはならないような秘密を赤裸々に『権記』に記録に残しているということを知った。「自分が聞いた秘密や、秘密裡で行動したことを書き記しておくことが、自分の子孫にとってプラスになると考えたからでしょう」(p139)という読み解きはおもしろい。だが、それなら『権記』は人に見せたり貸すということをしなかっのか、という疑問が出てくる。
 この章では、著者が『権記』の特徴を具体的に説明している。お陰で、『御堂関白記』より『権記』の方に興味が出て来た。

 <第8章 次期東宮をめぐる苦悩と策謀>
 道長の孫、敦成親王を東宮にする画策に、行成がどのような関わり方をしたか。当時の一条天皇の周辺状況を語った上で、『権記』の該当記録を著者は読み解いていく。
 摂関政治時代の宮中の舞台裏が良く理解できる事例。行成の行動には政治の乱れを回避するという意図もあったことがうかがえる。

 <第9章 平安貴族は何の夢を見たか>
 夢と宗教をテーマとして、『権記』の記録が読み解かれる。行成が熱心な密教信者、それも不動明王信仰から、浄土信仰へと宗教的転身をしていく側面が読み解かれる。夢を基軸に日記に書き残している箇所が事例としてここで採りあげられる。
 平安貴族が夢をどのように受け止めていたかの状況がわかる章である。

[第3部 共有財産としての日記]  最後に、藤原実資の『小右記』。実質55ページ。
 <第10章 日記に見る実資の大望>
 まず知ったことは、藤原実資の『小右記』、藤原宗忠の『中右記』、藤原定家『明月記』が、三大古記録と呼ばれていること。そして、実資が後に小野宮右大臣と呼ばれたことから、日記が『小野宮右大臣記』と呼ばれ、それが『小右記』と称されることになったということ。日本では何でも短縮してしまう特徴がここにも出ているようだ。
 ここでは、実資の人物像がまず説明されているのでわかりやすい。実資は「儀式の権威」とみなされる地位を確立したそうだ。「これはひとえに養父である実頼の日記を全て受け継いでいたからです」(p193)という説明で、日記の実利性と役割が頷ける。
 実資が己の日記をもとに「部類記」を作ろうとして、果たせなかった経緯が説明されていく。

 <第11章 出世レースに破れても>
 『小右記』も『権記』と同様に夢の話を多く記録しているという。先祖のように己が権力の座に就く夢も記録しているそうだ。また、己よりも有能ではない藤原道綱が後から中納言になり、先に大納言に出世したことへの怒りを日記に記録しているという。それも、道綱の名前を「通綱」とわざと間違った字で記しているというからおもしろい。そういうところは古記録を直に読む面白さかもしれえない。現代語訳では間違った字をそのまま使用し、注記するのだろうか。あるいは、その逆での注記だろうか。
 ここでは、「刀伊の入寇」という大事件において藤原隆家が活躍した時の報償問題が事象として採りあげられ、読み解かれている。
 『小右記』の記録について、「つまり、摂関が天皇をないがしろにしてことさら権力を振るおうとしたときにだけ、彼は牙を剝くのです。だからこれは正当な批判であると思っていいでしょう」(p225)と著者が論じていることで、実資の人物像が彷彿とする。

 <第11章 「奢れる道長」という虚像>
 著者は章の冒頭を「藤原実資が日記を書いた最たる目的は、儀式や政務を後世に正しく伝え、そのスタンダードを作ることでした」(p226)という一文から始めている。
 『小右記』の記録をもとに、三条天皇と道長との確執を読み解いていく。そして、道長の「この世をば」の和歌が後世に残ったことが、一人歩きして「奢れる道長」という虚像を作った点を読み解いていく。先に読んでいた山本淳子著『道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのか-』(朝日選書)とアプローチのしかたは異なるが、虚像という結論は両研究者で同じである。和歌が詠まれた当日、満月だったかどうかの見解は違うが。
 この歌自体がなぜ、どのようにして残ったのかという経緯を具体的に読み解いているところがおもしろい。

 序章を入れて、本書は合計13章にまとめられている。ラジオ放送された時のままなのか。新書版にするにあたり、再編集されたのかどうかは知らないが・・・・。

 平安時代の日記の読み方の一端を知るのにも役立つ。私は古文書が読めないので、現代語訳で読むことになるが、日記の表書と裏書という側面があることを知っておくことの意義を学べた。日記の記録文言と歴史的事実としての背景情報を重ね合わせて読むことが如何に重要で必要かということも実感できた次第。そして、やはり、日記には書き手の人柄や考え方、生き様が自ずと表れているということを興味深く思った。
 一つ残念だったことは、上級貴族のことは、少し理解が進んだが、平安時代の下級貴族の実像がどうだったかは、本書では分からない点である。三つの日記で読むという枠外になってしまう領域になるのだろう。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
藤原道長  国史大辞典  :「ジャパンナレッジ」
[京の国宝 知られざる物語 vol.13] 藤原道長の日記「御堂関白記」~摂関家、権威の象徴           :「紡ぐ JAPAN ART & CULTURE」
御堂関白記    :「国書データベース」
金色に輝く藤原道長の経筒 :「京都国立博物館」
藤原行成     :ウィキペディア
権記       :「国立公文書館デジタルアーカイブ」
藤原行成の書   :「東京国立博物館」
藤原実資     :ウィキペディア
小右記      :「京都大学」
藤原実資が道長と紫式部から一目置かれた「理由」  :「歴史人」

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