南瓜頭

入る帽子がない南瓜のあたまでっかち日記です。
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知性のなさ、それ以前の話。

2011年02月21日 | 南瓜の独り言

電車に乗って職場から帰る途中で聞こえてきた話。
女子大生が二人並んで立ち話をしているのが声が大きくてよく聞こえた
ため、車窓を眺めながら聞いていたのだが・・・

A「このあいだ授業中に教授が手前まで来て言ってきてさ」

どっかの教授
「君ね、この授業ひとつうけるにも数万と言う授業料を払っているんだよ。
そういうことを意識して私語を慎んで授業にのぞみなさい。」

A「そういうこと言われたから、数万も払ってんだから、私が耳を傾ける
 ような授業を提供してください。」

A「って言ってやったんだ」

隣の友人がそれをきいて少々咎めるが・・・

A「だってそうでしょ!数万も払って聞く価値がないからよ、だったら
 それだけのもを提供するのが正しいでしょ。」

南瓜の内心(失笑を隠せない・・・)

いや、待てって大学の授業は「習いに」行くのではなく「自ら学ぶ」ことが
求められるもので、授業行きました、聞きましたは中学校まで!高校に
なれば理系文系、科目も世界史、日本史、倫理、地理。理科なら物理、
科学、生物と選んで学ぶ。

その先の高等学問所で何を頓珍漢な事を言っているのか?
そもそもとして大学の講堂で私語により授業を止めること自体他学生へ
損害を与えているわけであり、講堂から退去をもとめられても致し方ない
存在であることを自覚していない。

さらに止めた分は他の生徒の授業料を不当に損失に至らしめたとして
彼女は各生徒に相応の損失相当の授業料と損失時間による時間的損害
を各生徒に負うべきである。

そもそもとして、教授の授業が支払い対価に対して相応か否かは自身の
学習に臨む態度で決まるものである。耳が傾かないのはその授業の声
がすすむレベルに達していないことにある。

つまり「支払い対価に対して提供を求めるなら相応に学習をして臨んで
はじめて言えることである。」

まー中には何年も使いまわしているような講義用ノートをただ板書している
人もいるけどね・・・。そういうときは黙って黙々と自力で勉強するか、書き
写してさらに学びを自力で深めるしかない。

授業中に私語は何らの理由を持っても正当化できない。なぜなら聴いて
いる(本来それが主なのだが・・・)者へ邪魔している事実には講師の質
云々以前の問題だからだ。

それを平気な顔して言えるのが・・・・。たいしたもんだ。その一言。


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