相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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名関脇 清瀬川も有終の美

2024-02-01 21:21:55 | 日記
 名力士だって屹度「体力の限界」で
土俵から去っていく。それで、最後の
本場所は不成績━「負越し」が多数派
であろう。
 昭和四年九月〔於名古屋〕場所、
西前頭筆頭、清 瀬 川 敬之助 の星取表。

〇常陸嶋(前十) 捻 り
●和歌嶋(同七) 吊出し
●玉 錦(関脇) 押出し
〇信夫山(前四) 上手投
〇大ノ里(大関) 押出し
〇新 海(前三) 浴せ倒し
●常ノ花(横綱) 櫓投げ
●鏡 岩(前五) 寄切り
〇玉 碇(同二) 浴せ倒し
〇山 錦(同一) 上手投
〇若葉山(小結) 浴せ倒し

 当時は、東京場所と番附の編成・発
表のない関西大場所の2場所通算成績
で実力査定を行なっていた。清瀬川は
前場所1勝10敗なので、通算8勝14
敗の勘定だが、上記の好成績を最後に
引退。
 元関脇清瀬川は、引退後「伊勢ヶ濵
部屋」を創設、協会での地位は理事→
取締→相談役 伊勢ヶ濵勘太夫となり、
昭和三六年の年寄定年制施行により退
職した。
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