城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

「自己責任」という呪縛 22.11.14

2022-11-14 20:13:12 | 面白い本はないか
 アメリカの中間選挙が終わったが、2年ごとに選挙フィーバーが繰り広げられる国で起こっている真実に真剣に目を向けているアメリカ国民は多くないのであろうか。また先進国アメリカの中の後進国という矛盾を誰も不思議だと思わないのだろうか。

 最初に、デール・マハリッジ著「コロナ禍のアメリカを行く」(原書房、2021年11月発行)を紹介しよう。この著者は、ピュリツァー賞作家でコロンビア大学の教授であるが、労働者階級の出身でアイビーリーグの大学の先生が上流階級の出身が多い中で、極めて居心地が悪いと思っている先生である。彼が主に取り組んでいるテーマは貧困問題で、この本もコロナ禍にあるアメリカを西から東までの取材の旅である。この本のサブタイトルとも言うべき言葉は、廃墟と化したガソリンスタンドの建物の中にあったスプレーで書かれた「Fucked at Birth」という文字。著者はこの言葉を取材する相手に見せてその感想を聞いている。
※「fuck」はそのものずばりの意味、「fuck you」はくたばっちまえ、「fuked at Birth」は生まれたときからどん底


 著者が目にするのは至るところに存在するホームレスの群れ。例え雇用されていても、低すぎる賃金(アメリカでは最低賃金が15ドル/時間)と高すぎる家賃のために、容易にホームレスになる。アイダもその一人で配達員として働いているが、今の住居は小型のSUV。公営住宅入居待ちリストの最下位にいるので、当面住宅に入居することはできない。自家用車で寝ることも安全上あるいは規則上難しい。こうした人たちに安全な駐車場を提供するボランティア団体も存在する。コロナのせいで移動を禁止され、仕事場の近くに車を停めて寝られるようになった。ところが、一方でコロナにより、在宅勤務への切り替えが進み、オフィスビルに人がいなくなり、清掃員や警備員がいらなくなった。

 1980年代仕事を探す新たな浮浪者達にも楽観論が聞こえた。90年代~2000年代になると、彼らは自分たちの人生は良くならないだろうと感じるようになった。そこではびこるのが自己責任論、「私はこのアメリカという図式の中で失敗した。それは私自身の責任だ」「悪いのは私だ。私があまり賢くなかったから」。ニューヨークシティでは、貧困から目をそらすことは不可能に近い。物乞い、睡眠不足のまま地下鉄に乗ってその日二つ目か三つ目の仕事に出かける移民、居酒屋や市場で働く人々、リフトやウーバーの運転手。すぐ目の前に存在するのに、精神的な影響を受けないためには、意識的に目を閉じていなければならない。

 著者が1991年に「ニューヨークタイムズ」に寄稿した論説。国中のホームレス一掃計画で厚さ5cmにもなったファイル、もうファイルを作ることさえあきらめた。ホームレス一掃は今やニュースにさえならない。解決策は明らか、誰もが知っているのに何もしない。最低賃金を上げ、公営住宅を建て、精神療養施設を増やし、教育を施す。リベラル派も保守派も不寛容な社会を容認している。

 さて、これはアメリカの話であった。では日本は?日本の相対的貧困率はG7の中でアメリカに次いで高い。2018年の数字で貧困率は15.7%、6人に一人、約2000万人が貧困ライン以下(世帯年収でいうと127万円)。そして自己責任論がはびこっている。セーフティネットである生活保護制度も受給を希望しない国民が大勢いる。日本の場合は自己責任論もあるが、政府の世話になるというスティグマ(焼き印)を怖れているせいで、受給を希望しない。

 一冊目でここまで来てしまった。二冊目は菅谷洋司著「「偉大な後進国」アメリカ」(現代書館、20年5月)、ドラマ仕立てで読んでいて面白い。特に最後のドラマ、メラニアとビンドマン中佐の話、二人はともに東欧(前者はスーパーモデルでユーゴスラビア出身、後者はウクライナ出身)。2019年11月アメリカ下院情報特別委員会公聴会にビンドマン中佐は証言台に立つ。事件はウクライナ疑惑すなわち当時のトランプ大統領がバイデン候補の息子の汚職疑惑を現在テレビで毎日顔を見ないことはないゼレンスキー大統領に軍事援助を見返りに捜査するよう要求したというもの。ビンドマン中佐はトランプとゼレンスキーの電話会談の模様を聞いていた。中佐が述べた発言の最後、「父さん、私が議員たちを前に、今日、この議会の席に座り、このような話をできていることは、40年前にあなたがソ連を去り、家族のためにより良い生活を求めてアメリカへ来た決断が正しかったことを証明しています。心配しないでください。私は真実を話します。」そして議員たちに「(この機会を与えてくれた)皆様のご厚意に感謝します。私はあなたたちの質問に喜んでお答えします。」
 ※メラニア トランプ元大大統領夫人


 アフリカへハンティングに訪れる外国人の8割がアメリカ人。アメリカの若い女性がキリン狩りをして、その肉を食べたことをSNSで流したら、非難が殺到した。アメリカは血塗られた歴史を持つ、先住民の殺戮、バッファロー、さらにはベトナム戦争。国内では警察官に射殺される人の数は毎年千人近くになる。1999年に起きたコロンバイン・ハイスクール(コロラド州)は今や聖地化されようとしている。以下「陽気なエノラ母さんが運んだ爆風」から引用。彼女の名前は知らなくとも、陽気なエノラ母さんに出会った日本人は少なくとも十万人以上はいる。しかし、その記憶をとどめている人はもはや数少ない。間近で彼女を見上げた多くの人は、それからまもなく、記憶を持てない体になっていた。朝日を浴びながら座っていた階段に影だけ残して、消えてしまった人もいる。(引用終わり)エノラ・ゲイは広島に原子爆弾を投下したB29のパイロットの母親の名前。そしてオバマが訪れた広島。その訪問には重そうな黒い皮の鞄(「ニュークリア・フットボール」と呼ばれた、核攻撃命令を下す装置)を持った軍人が付き添っていた。

 

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貝月山・城ヶ峰を登る会例会 22.11.12

2022-11-12 17:26:17 | 山登り
 城ヶ峰を登る会の例会は今まで城ヶ峰を必ず絡める形で行ってきたが、今月は少し足を延ばして、貝月山(1234m)を避難小屋から登ることにした。明日揖斐川マラソン(ハーフのみ)が久しぶりに開催されるため、集合場所は三輪神社8時とした。今日の参加者は総勢16人、そのうちリーダーはおじさんとEさんがつとめる。参加者の体力や経験はバラバラなので、これ以上の人数だとなかなか目は届かない。貝月ゲレンデまでの沿道は紅葉真っ最中であった。ゲレンデから避難小屋までは細いが舗装された道が続いている。登山口に8時半頃到着したが、我々の車以外には車はない。

 このコース、坂内側から登る最短のコースを除けば最も短時間で登れ、初心者向けである。また、登山道は奥美濃では最も整備されている方で急な登りも少なく、登りやすい。今年はこれで3回目の登山となるが、雪のあるときに来ており、一回目はかなりの雪で小貝月のかなり手前であえなく敗退した。二回目は前に比べると雪の状態も良かったが、天候及び時間の関係で小貝月山で引き返した。そうした雪のときの話しをしながら登っていった。登山口から少し上ると、木々はすっかり葉を落とし、その落ち葉は踏むたびにカサカサと音を立てる。

 小貝月山で休憩していると、良く知った女性の二人組が登ってきた。O山岳会のHさんとSさん、久し振りの再会だった。彼らは旧春日村側から登ってきたという。二人とも健脚だから、登るのも早い。展望台が見えてくると山頂は近い。山頂には10人ほどの登山者がいた。山頂でお昼を食べ、11時40分下山した。まだ、下から登ってくる登山者の多さに少し驚いた。

 以下は写真で説明する。

 8時30分貝月ゲレンデ 13時半頃帰りに通過すると沢山の大型のテントが張られていた

 8時48分避難小屋前=登山口 すすきが印象的

 9時7分立ち休憩(後続を待つ)

 9時30分城台山を守る会のメンバー このあたりではまだ葉は残っているが、落ち葉に覆われている

 10時7分これも立ち休憩か?(忘れた)

 10時23分 小貝月山(1226m)で 狭い山頂 皆さんの笑顔が嬉しい

 11時4分山頂到着、標示板の下はEさんがつけた標示板(三角点名)

 11時15分昼食の時間

 伊吹山 今日持ってきた一眼レフの望遠70~180mmで撮った ズームレンズの重さ800g
 カメラ本体はミラーレスで400gだけどレンズはその倍もある

 この山いつも気になっているのだが名前が断定できない 蕎麦粒山方面であることは間違いなし

 貝月と小貝月の間が吊り尾根のようになっているのが魅力、天気が良いと伊勢湾が見える

 12時38分帰りに最も目を惹いた紅葉

 少人数と大人数(集団登山)で登るのとどちらが面白いか?リーダーでないのならば、大人数でおしゃべりしながら登るのは面白い。でもリーダーともなると場合によってはストレスが多くなる。例えリーダーが頼りなくても、建前上はたててくれると、何となく嬉しいのである。

コースタイム 避難小屋登山口8:48→山頂11:04~11:40→13:15(不正確)

地形図 省略 
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11月の野菜・大根、ニンジン豊作 22.11.10 

2022-11-11 18:44:08 | 野菜作り
 朝晩の冷え込みは随分強くなったが、昼間は農作業をしていると、汗をかくくらいだ。今日は山ともに差し上げるため、大根とニンジンの収穫を少しした。
◯大根

大根 既に11月初めくらいから大きそうなのを選んで収穫した。当ブログ「9月の畑(22.9.14)」で収穫適期が蒔いてから130日の種で計算でいくと年明けしか食べれないと書いたが、実際は現在大きいものは丁度食べるのに適した大きさとなっている。そういえば毎年蒔く種は80日で11月でも結構な太さ(太すぎて洗うのも大変だし、料理するのも力仕事)になってしまっていた。

 なかなかの出来だ!! 今晩圧力釜でゆで揚げた大根を赤味噌で食べたが柔らかくて美味しい これは朝の味噌汁の具ともなる

◯ニンジン
 ニンジンは春まきと夏まきがあるが、どちらも発芽させるのが意外と難しい。特に8月にまくニンジンは暑さと乾きでなかなか発芽しないので、長いこと作っていなかった。ネットで同じ種を間違って2袋買ってしまったので、春まきに続き夏まきにも挑戦することとなった。春まきは夏蒔きと比べると発芽は易しいが、丁度収穫期頃になると雨が多く降り、良いニンジンを収穫できなかった。今回新たに発見したのは、夏まきは発芽さえうまくいけば、収穫期にあたる11月が雨が少なく、良いニンジンとなる可能性が高いということだった。

 ニンジンとブロッコリー(こちらの収穫は12月以降)

 10年くらいニンジンを作っているがこんな形のものが沢山採れたことは今までない
 ニンジンの実はきんぴらにしてマヨネーズであえて食べると意外と美味しい 今晩のおかずは豚肉だったのでニンジンの甘煮が添え物だった
 葉は栄養豊富で天ぷらやごまあえにする

◯タマネギ

 11月6日ネオアース(中晩生)200本、赤タマネギ50本植え付けした 植付け後水やりを3回行った

◯サトイモ
 サトイモを順次収穫しつつある。今年のイモは数は多いが、なぜか小さなイモが多い。今年から試みてみようと思っているのが、いままで捨てていた親イモ(石川早生とかは小イモを食べる、赤イモは親が美味しい)を種イモとして使うこと。小イモを使ったときよりも沢山収穫できるとネット情報にある。問題は春までの保存方法で、かつて畑に穴を掘り、土をかぶせて、さらに上にビニールシートをかける方法だったが、雨が多いと腐ってしまう。発泡スチロールの箱に入れて(空気抜きが必要、イモが呼吸している)さらに籾殻等を入れ保存している(それでも春までに結構腐る)。

 差し上げるため水で洗った 食べるにはこの皮を包丁でむくが、人によっては手がかゆくなる
 小さなイモはゆで揚げて、塩か味噌で食べると美味しい

◯スナップエンドウ
 11月7日ポット蒔きした。下旬頃に畑に植付ける予定だ。 
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紅葉真っ盛りの小津権現山 22.11.5

2022-11-05 17:29:37 | 山登り
 今自宅から最も近くて紅葉がきれいだと思われる場所はどこであろうか?最初に頭に浮かぶ山として、小津権現山(1157.7m)がある。この山に最初に登ったのは約50年前で小津の部落からロボット観測所に登り、後はシャクナゲのヤブを漕いで登った記憶がある。当時はまだ炭焼きが行われていて、このため山には木がほとんどなかった。この炭焼きが行われなくなり、その後に成長してきたナラやミズナラやブナなどの落葉樹に覆われ、さらに登山道も整備された。この整備に関わっている地元の団体もあると聞く。神戸町や大野町から揖斐川を遡って行くとまず目に付く山であるとともに、自宅に近いこともあり、とにかく大好きな山の一つである。

 今日は総勢5人、いつものMさんそしてFさん家族で紅葉が期待されるこの山に登ってきた。登山口(小津側)には既に4台の車が停まっていた。駐車場あたりでも既に紅葉は始まっていたので、この先は登るにつれ秋が深まっていく感じだった。心地よい汗をかきながら登っていくにつれその予感は現実とものなってきた。思わずわき上がる感嘆の声。登りながら、思い思いに皆が立ち止まりカメラ(おじさんも含めスマホ、Fさん家族の一人が一眼レフ)を取り出し、写していく。唐突ながらのワンポイント。紅葉を美しく撮るには、少し露出の勉強をしておいた方が良い。青空は出ているところもあったが、曇っているため、光が紅葉した葉を照らしていない。こうしたときはカメラで露出を少しオーバーにすると自動よりも随分紅葉が鮮やかになる。

 以下は写真で説明する。

 登山口 熊がお迎え 7:25

 一部紅葉 7:56

 カエデ類は鮮やか 7:56

 露出プラスに補正 8:11

 ぬたば 豚コレラでイノシシが減っていたが復活しつつある? 8:18

 高屋山手前から山頂 8:33

 高屋山から緩やかな道へ このあたりが最も好きだ 8:45

 山頂を望む 8:53

 やせた尾根 9:18

 山頂到着 9:37
 
 山頂から能郷白山と屏風山 その間に加賀白山 9:49

 乗鞍と御岳 9:49

 Fさんファミリー SくんとRくん おじさんたちにつきあってくれてありがとう! 揖斐川市街地を望む

 帰り 10:21

 高屋山を望む 10:35

 下りで登ってくる沢山の登山者に会った。この山でこんなに多くの登山者に今まであったことはない。駐車場にはいまだ10台ばかりの車があった。

コースタイム 登山口7:25→高屋山8:35→山頂9:37~9:58→高屋山昼食10:53~11:10~登山口12:05

地形図 省略 



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槍穂の展望を満喫ー常念岳・蝶ヶ岳 22.11.1

2022-11-01 06:22:38 | 山登り
 昨年見た初冬の槍ヶ岳を再び見るため、薬師岳と同じメンバー4人で一ノ沢から常念小屋を経て、翌日常念岳に登り、槍穂の展望を満喫しながら蝶ヶ岳まで縦走し、三股登山口に下山した。このコースは、昭和49年(1974年)11月3~4日に今回の山行にも参加したM氏(職場の山とも)と登った。この時は一ノ沢から同じコースをたどり下山は上高地に降りた。この時見た槍穂の姿が忘れがたい思い出となっていたので、おそらく最後となるであろう槍穂の展望を今一度見ておきたいと思って今回の山行を企画した。

 48年前の写真 上は常念乗越 下は常念岳山頂 一日目に蝶ヶ岳まで行き、そこにツエルトを張った

 私たちは10月30日揖斐を5時少し前に出発し、関インターから東海環状道路・中央高速に進んだ。岡谷付近でメンバーの持っていたスマホに緊急の連絡が入った。緊急予報で岡谷付近で震度7の地震が発生するというもので、当然のことながらメンバーに動揺が広がった。しかし、よく見ると最後に「訓練」という文字があり、一同安堵したのだった。私たちは安曇野で高速を降り、三股登山口に向かった。沿道は紅葉の真っ盛りであった。駐車場は日曜日のため既に満車の状況となっていた。なんとか空きスペースを見つけて駐車後、あらかじめ予約しておいたタクシーに乗り換え、一ノ沢登山口に向かった。ここの駐車場もほぼ満杯だった。予定より46分遅れで一ノ沢を出発。以下は写真で説明する。

 一ノ沢登山口 9:48

 最初の休憩 10:48 登山道は沢に沿って続いている

 沢に雪が見える 12:08

 最後の水場を過ぎると滑落危険区域となり、急な階段が現れる 12:46
 急な階段は高齢者登山者である私たちの足の筋肉に大いなる負荷をかけ、足がスムーズに上がらなくなった。若いY(年の差20)さんが先頭を変わり、スイスイと登っていった。

 ガスの仲から市街地が見えた 13:06

 やっと常念乗越に到着 14:22

 常念小屋 14:26
 今日の泊り客は私たちを含めて8人ということだった。この小屋は1919年に作られたということで昨年泊った燕山荘(その年100周年を迎えていた)よりも2年早い。小屋の人から聞いた話では、かつて600人泊ったこともあるそうだ。

 到着後早速小宴会ガ始まった 思いがけないご馳走はEさんが持ってきてくれた鮎。コンロであぶり、各自一匹ずついただいた。ごちそうさまでした。
 宴会後、5時の夕食まで少し時間があったので、外に一眼レフカメラを持っていった。

 常念方面に三日月がかかっていた 16:26 月を明瞭にするため露出アンダーにしている

 大キレットに夕日が涼む 16:37 これも露出アンダーにした 前にあるはずの小屋が黒くなっている

 本日の寝床 8人部屋に4人ゆっくり 4:49
 夕食の後も休憩室で我々のおしゃべりは続いた。8時就寝。

◯10月31日
 朝食を5時に食べ、6時予定の出発、その前の朝の写真を沢山撮った。ほぼ無風の素晴らしい天気に恵まれた。

 朝の八ヶ岳 5:45

 朝の南アルプス 5:45

 朝の槍ヶ岳 5:59 朝日が当たっている

 常念岳に登る途中 富士山が見えた 7:23

 常念岳山頂 7:28 山頂は狭い

 山頂から北穂から槍まで 7:28

 穂高連峰

 常念岳からの下り 縦走路の全体が見える 8:09

 常念岳を振り返る 9:13

 蝶槍 10:02

 蝶槍 11:24

 蝶ヶ岳ヒュッテと蝶ヶ岳山頂 12:49

 蝶ヶ岳山頂からの穂高連峰

 蝶ヶ岳山頂からの槍ヶ岳

 ヒュッテから三股への下山路 雪が残っていて、一部滑る ここでおじさんは転倒
 随分下まで雪が残り、慎重に歩く必要があった。また、この下山路には無数のはしご段が設置してあった。ヒュッテからのコースタイムは3時間10分、長い長い道のりだった。

 三股登山口 16:15 駐車場まで800mの標示にがっかり

 林道添いの紅葉に励ましを受けながらひたすら歩いた
 駐車場への到着が4時半、予定より1時間10分の遅れ。原因は常念岳から蝶ヶ岳至る縦走路の意外なアップダウン(おじさんは登りになると途端に鈍足になる)と写真撮影、昔楽勝であったものが今や結構きつくなっていた。また、蝶からの下りも雪面の通過のため時間がかかった。すぐに帰宅へのハンドルを握ってくださったEさんとM氏に感謝。

コースタイム 10月30日揖斐4:55~関5:45~一ノ沢9:46→常念小屋14:26
       10月31日小屋5:45→常念岳7:28→蝶槍(昼食)11:45~12:06→蝶ヶ岳13:00→三股駐車場16:30





 
 
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