私の住む宇和島市は柑橘の栽培が盛んです。
この時期はみかんや伊予柑や八朔やザボンの花が咲き、
花の盛りが過ぎようとしています。
我が家の裏の畑ではレモンの花も咲いていますが、
レモンの花は他の柑橘の花と少し違って蕾が紫です。
今日はみかん、伊予柑、八朔、ザボンの花とレモンの花を紹介致します。
みかんの花
伊予柑の花
八朔の花
ザボンの花
レモンの花
私の住む宇和島市は柑橘の栽培が盛んです。
この時期はみかんや伊予柑や八朔やザボンの花が咲き、
花の盛りが過ぎようとしています。
我が家の裏の畑ではレモンの花も咲いていますが、
レモンの花は他の柑橘の花と少し違って蕾が紫です。
今日はみかん、伊予柑、八朔、ザボンの花とレモンの花を紹介致します。
みかんの花
伊予柑の花
八朔の花
ザボンの花
レモンの花
人はそら豆の種をまいて、米を刈り取ることはないことを知っています。米を収穫したいのであれば、米の種をまかなければなりません。何人も、そら豆の種をまけばそら豆を収穫します。あなたも、この絶対の法則をご存知に違いありません。では人間の生き方においてはどうなのでしょうか。
聖書には、だれも知っている人はまいているものを刈り取る絶対の法則を用い、私たちの生き方に知恵を働かし、かつ識別力を働かすように次の通り優れた助言が与えられています。聖書のガラテア人への手紙の中に次のように記されています。
「ガラテア人への手紙の6章:
7 (サタンとその配下の人に)惑わされてはなりません。神(エホバ)は侮られるような方ではありません。何であれ、人は自分のまいているもの、それをまた刈り取ることになるのです。
8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り、霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取る者となるからです。
9 それで、りっぱなことを行う点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら。しかるべき時節に刈り取ることになるからです。
10 ですから、時に恵まれている限り、すべての人に、ことに信仰において結ばれている人たちに対して、良いことを行うではありませんか」(補足:( )内は筆者の補足)
上の聖句に示されている通り、私たちの生き方において、神エホバは侮られるような方ではない、ということを深く認識する必要があります。自分の歩む道においてまいたものを刈り取るのであれば、何をまけばよいのでしょうか。人間の考えに基づき自分を第一にし「自分の肉」、つまり「自分のために」まく・自己中心に生きるのではなく、「霊のためにまく」生き方をするなら、「霊から永遠の命を刈り取るものとなる」保証の言葉が記されています。「霊のため」とは何でしょうか。ここでは「霊」は聖霊を用いられる神エホバご自身の、聖なる方を指しています。「霊のため」とは神エホバに献身した生き方、敬虔な専心をもって神エホバのご意志を学び、そのご意志を守り行う生き方を指しています。イエスの教えで言えば、イエスの教え(エホバの教え)を聞き、学び、その教えを守り行う「思慮深い人」であり、神の王国と神エホバの義をいつも第一に求める生き方をする人のことです(マタイ6:33;7:24,25)。そのような生き方をする人たちは利他的であり、「霊のためにまいている者」であり、のです(啓示21:4;22:1,2)。
上のガラテア6章9節の「りっぱなこと」とは、聖書に記されている真理を他の人に証しする業のことです。イエス・キリストは自ら神の王国の真理を証し、弟子たちに神の王国の良いたよりの真理を全地で証しするように命じられました(マタイ4:23;24:14;28:19,20.ルカ4:43;8:1.使徒28:23)。ですから、特に家から家に神の王国の良いたよりの真理を証しする業は「りっぱなこと」になります。ですから、イエスの指示通り、エホバの証人のクリスチャンたちは現在240の国や地域で神の王国の良いたよりの真理を証し続けています(マタイ24:14;28:19,20)。
皆様方もガラテア6:7~10を熟読してくださり、「霊のためにまいている者」のお一人に加われる方であれば幸いです。
ミカン花 甘き香りの 里の道 今日の一句
鉢植えの「バラ」