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謦咳に接するまたは人間を鑑賞することのない時代始まる

2023-05-19 13:56:29 | 日記

謦咳に接するまたは人間を鑑賞することのない時代始まる

 書く人いなくなることを恐れて今のうちに書き残したい。戦後二十年から四十年くらいまでは、小中学校は知らず高校大学には名物と呼ばれる教師教授が本当にいたのである。自分の望む名物のためにわざわざ志望校を変えたという話も聞かないではない。噂では予備校にも名物はいたという話である。学問で人格を陶冶するとこうなるのかと感心するような人物である。我々は専門教育を受ける前に教養として名物の授業講義をうけ、師の謦咳に接するまたは学問によって陶冶された人間を観察する機会を得たのである。

 仕事を始めると面白いオトナに接することは絶対できなくなる。敵か味方か関係ないヒトかの区別しかなくなる。若冲描くところの鶏、ミケランジェロ彫るところのマリア像、柿右衛門描くところの絵皿を鑑賞するように面白い人間を鑑賞する機会は社会の中では得られない。

私の知る漢文教師は、新聞購読勧誘のあまりの喧しさに耐えかねて「私漢字が読めませんもんで。」と断った。この勧誘したのが、教え子の保護者であったからこの話は広く校内に喧伝されたが当の教師は飄々としていた。私はオオこのやり方でこれから生きていこうと深く感じるところがあった。(それがうまく行ったかどうかはまた別の話である。)

 

さて、最近の新聞を読むに教師の不始末を告げる記事が連日目白押しである。これは授業をネットで流し宿題を学校でやらせるシステムに変更するための下準備ではないかと予想する。質問への答えも宿題もAIが指示するであろう。味気ないシステムであるが校内の不祥事は起こらなくなる、予算も大幅に減らすことができる。第一生徒学生が教育を受けるための時間的肉体的負担が大幅に減る。いいことずくめである。なにより時代の移り変わりであるから反対しても無駄である。

「師の謦咳に接する」という言葉が死語になり、若いころに人間を鑑賞する機会を失うところが唯一の欠点である。この欠点を補うことは文科省には無理である。広く社会一般でこの欠点の目立たないようにしていくより他ないであろう。

液晶画面を通して師の謦咳は伝わらないものである。嘘だと思うなら、当代随一の女優さんの色香が液晶画面を通してどれだけ伝わるかを試してみればいい。私は効率を導入することに反対しない。ただ効率を求めて失うものあることを知るべきであると思うのである。



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