東京ラブストーリーのカンチ(織田裕二)がリカ(鈴木保奈実)に放った「魔法だったら使える」という名台詞がありますが、アレは相当クリエイティブです。自己表現の正当化の方法という意味で。
「相手が望むであろう結果のための手段としてこれから自分が移す行動の正当化へのキメ」
その言葉がそれまでのプレゼンにかける最後の魔法です。さすがハートスポーツの営業です。
いつか使ってみたいですね。
どうでも良いですか。すみません。
さて、デジカメ(Nikon D70s)を買ってバカみたいに撮りまくっているのですが、殆どMac上で見て終わりでしょう。プリントするなんてバーンと壁に貼ったり誰かにあげたりすることくらいかと。まだよく分かりません。
いろいろ撮ってみて、iPhotoでずらっとサムネイルを見て思うことがあります。
フィルムで紙焼きの様な「なんとなく味がある」というのはあまりありません。フォトショップで修正して階調がぶっ飛んだデジカメの画像は見る人に与える初期のインパクトが若干増えるだけで、与える総合的な情報量はもの凄く減ってしまうと考えます。
そして、素の画像を見て「嘘はつけんな」と。
ここまでネットやらデジタルやらがインフラやら通念として浸透してしまうと、結局「何かをする」ということはもの凄くプリミティブな事へと修練してしまいますね。
映画は家でも見られるけど映画館で見るのとは違う。写真も写真展で見るのとポートフォリオで見るのとは違う。音楽もライブやクラブで踊りながら聴くのと近所迷惑を気にしながらボリュームを絞って聞くのとは違う。
写真はそこに行かなきゃ撮れません。そこに行けない人はその写真は撮れません。いくら思いついてもやらなきゃ誰にも分かりません。思いつきもしなければ行くこともできません。考えることを放棄している人はカメラを構えることもしません。そもそもナニも生まれません。
「デジタル念写」が生まれたら考え直します。
ところで、デジタルっつうと「何でもかんでも機械任せ」みたいにとらわれがちですが、反面「やってないことは決して反映しない鏡」なんです。
そして言われたことしかしないのがパソコン。それに指示するのが人間。魔法の箱も呪文を唱えなければタダの箱。指示されなければ何も出さない人間もタダの化合物。
そうならぬように日々ボチボチと思いながらやっているわけですよ。なかなか上手いこといきませんが。
「相手が望むであろう結果のための手段としてこれから自分が移す行動の正当化へのキメ」
その言葉がそれまでのプレゼンにかける最後の魔法です。さすがハートスポーツの営業です。
いつか使ってみたいですね。
どうでも良いですか。すみません。
さて、デジカメ(Nikon D70s)を買ってバカみたいに撮りまくっているのですが、殆どMac上で見て終わりでしょう。プリントするなんてバーンと壁に貼ったり誰かにあげたりすることくらいかと。まだよく分かりません。
いろいろ撮ってみて、iPhotoでずらっとサムネイルを見て思うことがあります。
フィルムで紙焼きの様な「なんとなく味がある」というのはあまりありません。フォトショップで修正して階調がぶっ飛んだデジカメの画像は見る人に与える初期のインパクトが若干増えるだけで、与える総合的な情報量はもの凄く減ってしまうと考えます。
そして、素の画像を見て「嘘はつけんな」と。
ここまでネットやらデジタルやらがインフラやら通念として浸透してしまうと、結局「何かをする」ということはもの凄くプリミティブな事へと修練してしまいますね。
映画は家でも見られるけど映画館で見るのとは違う。写真も写真展で見るのとポートフォリオで見るのとは違う。音楽もライブやクラブで踊りながら聴くのと近所迷惑を気にしながらボリュームを絞って聞くのとは違う。
写真はそこに行かなきゃ撮れません。そこに行けない人はその写真は撮れません。いくら思いついてもやらなきゃ誰にも分かりません。思いつきもしなければ行くこともできません。考えることを放棄している人はカメラを構えることもしません。そもそもナニも生まれません。
「デジタル念写」が生まれたら考え直します。
ところで、デジタルっつうと「何でもかんでも機械任せ」みたいにとらわれがちですが、反面「やってないことは決して反映しない鏡」なんです。
そして言われたことしかしないのがパソコン。それに指示するのが人間。魔法の箱も呪文を唱えなければタダの箱。指示されなければ何も出さない人間もタダの化合物。
そうならぬように日々ボチボチと思いながらやっているわけですよ。なかなか上手いこといきませんが。