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今回も公式のMVでございます。ありがとうございます。
さて、これまであげてきた、KiroroのMVに比べると、曲の雰囲気が違うこともあってか、MVの雰囲気も違いちょっと冒険している感じがあります。
なかなかユーモラスでお二人のキャラも垣間見える気がします。
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今回も、Kiroro(キロロ)の曲を取り上げます。
「最後のKiss」です。リリースが、1999年6月で、同年12月にリリースされたアルバム「好きな人〜キロロの空〜」に収録されています。
いつものようにWikipediaを見たところ、「解説」などに記述がないので情報が少ないのですが、この曲どこかで聴いたなぁ?と思ったら、これでした。
曲の冒頭はインパクト抜群でした。マジで思い出す音楽です。
それにしても、これまであげてきた曲はどちらかというとバラードっぽいもので、Kiroro自体の一般的なイメージもほぼそれに近いものなのではないかと思いますが、こんなリズミカルでテンポの速い曲もあるんだな、とあらためて認識していただければと思います。
ところで、Wikipediaのこの曲のページに情報が少ないので、詳しい方、ファンの方、記述をお願い申し上げます。
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僕が唯一シャッターを押した時のハラカミさん
今日は、音楽家のレイ・ハラカミさんの命日です。
思うことはいろいろありますが、やはり僕にとって唯一無二の圧倒的な存在感でした。
そして、これまでも、これからも、その音楽は聴き続けるでしょうし、心の中で響き続けるでしょう。
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当ブログ↓↓↓「rei harakami(レイ ハラカミ)」↓↓↓カテゴリ記事一覧。
あの日、想いのまま更新し、そのまま置いてある、僕のtumblr。
今回も公式のMVでございます。ありがとうございます。
このように公式のMVが各曲ご用意されていると紹介しやすいのです。
さて、タイトルが「青のじゅもん」というだけに、海辺で、それも空の青、夕暮れの青など、多様な「青」を利用して表現しておられます。
さすが「青」という色の深みをわかっていらっしゃるなぁ、と感じる、良いMVです。
ちょっと制作が昔なだけに、画質の点で残念なところはありますが、それでも伝わってくるものが十分にあります。素敵な動画です。
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今回も、Kiroroの曲です。メジャーシングル4枚目となる「青のじゅもん」
ちなみに、僕は「青の…」と聞くと、こちらを思い浮かべるのですが、そうするとこれに関する「青のじゅもん」にはまったく関係のない愚痴のような話が延々と続いてしまう(それだけでひとネタ書ける)ので、止めときます。
さて、今回の「青のじゅもん」ですが、リリースが、1999年2月。
同年12月にリリースされたアルバム「好きな人〜キロロの空〜」に収録されています。
作詞が玉城千春さん、長浜幸路さん。作曲が玉城千春さん、金城綾乃さん。
「青」という色は個人的にも非常に奥の深い色だと思っていて、人間にとってもとても関わりが濃い色と捉えています。
まただからこそ、このようなタイトルの曲が出来たり、特急電車の名前になったりするのだと勝手に思っています。
この曲はKiroroの中でも、そんなに有名な曲ではない(失礼)ようですが、なぜか思い出す音楽で、なぜか何かの機会にテレビで聴いたのを、すごく覚えていました。少なくともサビの部分はガッツリ覚えていて、今回取り上げた次第です。
Kiroroのお2人自体も、ミュージシャンとして、なかなか奥が深いです。
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ザ蓮舫さん、という感じですね。支持してもしなくても評論するのは自由でしょう、しかも共産べったりなんて事実じゃん。
— 今野忍 (@shinobukonno) July 15, 2024
確かに連合の組合組織率は下がっているけど、それは蓮舫さん支持しなかったかではないでしょう。自分を支持しない、批判したから衰退しているって、自分中心主義か本当に恐ろしい https://t.co/cCGqMNWSqh
先日から上の今野氏(朝日新聞の政治部の記者だそうです)のポストが炎上状態でした。
僕も個人的に書かせていただくと、このポストに対する批判はもっともだと思うものの、その一方で「いまさら…」とも思いました。
そもそも引用している蓮舫氏の文脈を理解していないし、かなり個人的に勝手なことを偏見も含めて書いているし、プロフィール欄に「個人の見解」と断っているものの、「政治記者」としてはダメな内容で個人の「見解」にもなっていない。ただの「記者」としてもあるまじき内容で、このような人がまだマスコミにはいるのか、と思いました。
「いまさら…」と思ったのは、このような「愚痴」のようなことしか書けない偏見を持った(おそらくご本人は気づいていらっしゃらない)記者というのは、僕がマスコミにいた30年以上前から既にいたという思いが強いからです。なので、今野氏個人だけ、朝日新聞だけの問題とは思いません。
もちろん、表に出す記事にはそのようなことは書きませんが、裏では、社内では、そのような偏見が横行していた記憶があります。しかもそれは、マスコミの人間だからこそ持ってしまう偏見という風にも思います。そういう意味において、僕自身にとってマスコミにいた時期は「黒歴史」と捉えることもできるだろうと思っています。
マスコミの記者というのは報道機関(会社)という組織に守られて取材活動を行い、それを記事にしていますが、そのことをいつからか勘違いして、自分は偉い人と言わんばかりに、現場で取材対象に対して非常に高圧的な態度で上から目線な質問を投げかける記者が多くなってきたのか。
あるいは、常に「高みの見物」状態で事件・事故を取材し記事にし続けることによって、どこか他人事で自分自身も身を置いている同じ社会の出来事と感じられず、そもそも報道機関としての大切な役割を見失っていないか。
僕の取材対象はほとんどのケースでプロスポーツ選手などでしたからマスコミ慣れしていることもあって、失礼なこともスルーしていただき、修羅場な場面は少なかったですが、それでもあるにはありました。
その時にやはり感じたのは、マスコミという組織に守られているがうえに一般世間から隔離された環境下でニュースになるような情報を先取りできる状態に常時いることによって、一般世間での常識というものがなくなってきてしまっていた、ということです。
それでも、人の道から外れない記者の人はいますし、そういう記者はやはり現場でも取材対象に人としてわきまえた対応をしていたと思います。
最終的にはそれぞれ個人の問題ではありますが、それでも、現場では人としてわきまえた対応を各記者に推し進めることは報道機関各社のあるべき姿だろうと思います。
そして、そのようなことはこの約30年間、報道機関各社で行われてこず、そのままの体質であったことが、インターネットでSNSが発達した今、明確に表に出てきたということでしょう。
今野氏はその後、形式的な謝罪ポストを出してはいますが、その謝罪に対する内容と原因、二度とそうならないどうするか?など示されておらず、正式な謝罪にはほど遠い状態です。
また所属されている朝日新聞は今野氏に口頭による厳重注意をしたようですが、あまり問題を深刻に受け止めているようには感じず、これも「一つの意見」として通したい態度が見え隠れします。
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ちょうど松本サリン事件から30年に際して、今月14日に共同通信社が下記記事を出していました。
未曽有の化学テロから30年、今も続く特定人物のつるし上げ 松本サリン事件「犯人視報道」の教訓 | 47NEWS(←共同通信社のオリジナルページ。写真数点と動画が追加で掲載されています。)
かなり警察(=国家権力)のせいにしているところはありますが、仕方ない部分はあるにしても、常に真実を見抜くために独自の視点を持つことは報道機関にとって大切なことと思います。
そのためにも偏見はもちろん、根拠のあやふやな情報、無理に内容を単純化された情報などに踊らされないことは言うまでもないはずです。いろいろな情報に細心な注意をしなければならない報道に携わる人間が、今野氏のような、この体たらくではいけないと思うのです。(もちろん過去の自分に自省も含めて)
共同通信社が事件から30年経って出した自省の記事ですが、共同通信社が報道機関各社に事件・事故などの情報を配信する役割を担っている会社として考えるならば、特に30年前の当時インターネットもなく今のように独自にニュースサイトも持っておらず、その役割に集中していたと言える当時の状況を踏まえれば、これは当時のマスコミ全体の自省であるとも言えなくもないですが、今野氏のポストによって帳消しになった感もぬぐえません。
おそらくこのようなことは今後も起きえるのでしょう。
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またネット上には、この今野氏のポストを問題視しない、なぜ彼が非難されなければならないのか?とする意見も散見されますが、その方たちは今までどれだけ自分の身を置いている日本の社会の長きにわたる問題をスルーでき、身に降りかからない場所で生きてこれたか、その無神経さに幸せを感じてください(褒めてない、バカにしてる)。
例えば、今でも共産党を支持する人たちがなぜいるのか?少しでも考えてみたこともないでしょうし、ここ数年、労働組合へ相談する人々が増え続けていることの原因も少しでも考えてみたことがないのでしょう。
もちろん研究者でもない人がそこまで考える必要性はないですが、だからといって、今は「自分には関係がない」ことと嘲笑するのはどうか?と思いますし、やがて自分の身に降りかかるかもしれない社会の問題を同じ社会に身を置く人間として触れてみようともしない、その感性のなさ、良識のなさには最大限非難します。
そして、このような嘲笑の考え方こそがこの30年間の日本を衰退させてきた原因と言っても良いでしょう。
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from "WATERSIDE." New Picture ©KANGAWA http://junziro.wixsite.com/junziro
海の日ということで、海の写真を一枚あげてみました。
ヨットが写っているのを、あらヨット!
少しは涼まれましたか???
大阪の梅雨明けはまだのようですが、暑い日が続いております。
皆様、十分にご自愛ください。
今回も公式のMVを使わせていただきました。ありがとうございます。
このMVも、金城さんがピアノを弾き、玉城さんが歌う形式ですが、このMVについては、あまり余計なことをしていない、というか前回の「未来へ」のMVに比べてシンプルに作られて、さらに音楽を聴かせようとしている意図を感じます。
それでも制作に手を抜いている感はないんですよね。いろいろ考えて制作されているのが伝わってきます。
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今回も、Kiroroです。
大阪は梅雨も終わりかけ?で、いよいよ夏が到来するようですが、曲は「冬のうた」です。
リリースは、1998年11月。翌年12月にリリースされたアルバム「好きな人〜キロロの空〜」に収録されています。
この曲を初めて聴いたのはリリース間もない時期にテレビで聴いた記憶があるのですが、ちょうどこれから冬の時期、鬱蒼な気持ちになるのを押しのけて力をくれるような明るい印象を感じたことを思い出します。
MVもそうですが、曲自体も何か透き通った明るさを感じさせてくれて、何とも言えない気持ちになります。心穏やかにいたくなります。
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東京都知事選挙の結果が出て一週間がたとうとしていますが、この一週間のメディアの報道を見ていると呆れの感情しか出てきません。
【都知事選】蓮舫氏“2位にもなれず” 日テレ出口調査(日本テレビ)
2位はドコなんですか?石丸氏、蓮舫氏開票所別では…(NHK)
都民が「仕分け」、蓮舫氏を3位◆知事・議会補選の分析 (時事通信社)
あと、タレントにも呆れました。
東国原英夫氏の偽装友人発言や特に時々まともな風刺をするデーブ・スペクター氏のX(旧Twitter)のポストには愕然としました。
蓮舫がテレビ司会者に転身→ヒステリーチャンネル
— デーブ・スペクター (@dave_spector) July 12, 2024
ろくに選挙の論評などをせずに、単に人の「悪口」や「人格否定」の低俗な物言いを下劣にやっているだけ。
こんな日本の社会に暗澹たる気持ちになります。
と、思っていたら、こんな救われる記事が…(読んで…マジで)。
JBpressさんには元時事通信社の方もいらっしゃるようなんですが、時事通信社の記事もちゃんと批判してる。(すごい、雇って…)
選挙に負けた、それも予想以上に負けたので、ここぞとばかりに叩こうとしているわけでしょう。まさしくハラスメントじゃないですか。
そのハラスメントを公然とマスコミが、タレントが働いているわけで、普通に非難に値すると思います。でも、笑ってスルーするのが日本の慣わしみたいなところがあり、普通に許されると思っている。
そういうのもうやめませんか?
ハラスメントに対して明確に非難しませんか?
それが当然の世の中にしませんか?
と言っている僕も、これまで笑ってスルーしている時が幾度となくありました。けれど、内心凄く怒っている時もあるし、怖かった時もあります。仕方なくそうしているということです。
なので、一概にそのようなことを言える立場じゃないのかもしれないですが、あえて今それを言いたいのです。
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ちょうど同じくこの一週間、関西では兵庫県知事のパワハラのことについての報道が続いています。人が死んでいますから、当然でしょう。
そして、事の詳細を知るともう一人自死なさった方がおられるようです。
維新の知事とそれを無駄に擁護するやはり維新の県議会議員によるパワハラが呼んだ一連の出来事であり、パワハラがパワハラを呼んだ、そして県職員の自死を呼んだと言える事件でしょう。
はっきり言って(はっきり言わなくてもそうですが、あえて)、維新がハラスメントによって人を殺したと言っても過言ではないです。
ついでに言っておきますと、発端となったパワハラをしたと疑われている知事も県職員を追い込んだ維新の県議会議員も人間として辞めるべきです。
彼らがまだ少しでも人間としての心を持っているなら、人間として辞めるべきです。
しかし、辞めない。
県幹部では副知事だった片山氏が辞職されました。
また片山氏は知事に辞職を促したようです。5回も。それでも「県民の負託があるから」と言って辞めない。つまり「自分を知事として選んだ県民が悪い」と言っているようなものです。まさしく他人のせいです。
知事も維新の県議会議員も辞めないということは、人間としての心を持っていないということであり、そのようなハラスメント気質の者が政治家をしてしまっている日本の世の中ということです。
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ただでさえ、日本では昨年から旧ジャニーズの性加害問題が表沙汰となり、宝塚歌劇団のいじめ、旧統一教会の日本の信者に対する献金ハラスメント、昔からある大企業からの下請け・孫請け企業への取引ハラスメント、在日外国人に対する差別、女性に対する蔑視等々、あげれば枚挙にいとまがありません。
戦前からある日本の悪しき慣習が今でも根強く残っているからなのかは戦後生まれの僕には正直はっきりしません。
今、NHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」でも基本的な大きな主題はこのあたりなのかもしれません。多岐川に今「愛」を直接的に語らせるのは、今のこの世の中が「愛」に飢えハラスメントが横行している状況を作者が嘆いているからなのかもしれません。だからこそ、憲法第14条を提示し、「私たちは戦後、平等になったのではなかったのか?」なのに「今のこの世の中の状況は何なのか?」と問うている。
ドラマの時代背景は戦前、戦中、終戦直後であっても、ドラマの中で毎回提起される問題は、実は今の世の中にも残っている問題が多い。今でもひっそりと暮らしている「香子ちゃん(通名)」と呼ばなければならない人はいったいどれだけいるのか?まだそれに対してヘイトスピーチという心ない行為が横行もしている。
少し話がそれましたが、このようなハラスメントがどんなに世の中を悪くしているか?そのことを実は今こそ考えなければいけないと思います。ある意味、これは日本の経済発展さえも阻害しているとも言え深刻です。
逆に言えば、ハラスメントをなくし、ハラスメントを非難し、それを許さないことを当然とする考え方こそが世の中を良くするのだと思います。
この考え方を世の中の一人ひとりが持って行動することが重要であり、僕もそうありたいと思っています。お互い頑張りましょう。
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このニュース記事の内容にたくさん書きたいことがあるのですが。
順番にいきますと。
まず、
「街頭演説を200回超やったが、特徴的なのは、細かい政策を全く言わないことだった。自己紹介を言い続けた。『小さな問題はどうでもいいんだ』といって『政治を正すんだ』という話をずっとやり続けた。それでも来る人の8、9割は『すごい』と言って帰っていく。たいして演説はうまくないし、政治の現場を知る人たちからは『中身がない』と批判ばっかりだった。だが、彼はそれを含めてわかってやっている。」
「中身がない」でしょう。政治の現場を知らなくてもそう思います。その演説に「8、9割は『すごい』と言って帰っていく」のは、有権者の劣化を感じます。
「続きはウェブで」みたいなことも言っていたようですが、先日X(旧Twitter)でも書きましたが、それが本来のあるべき演説ではないことを感じなければなりませんし、街頭演説は企業のやる広告やCMの類ではありません。
そして、それを含めて政治家(候補者)としてやっていたのであれば、限りなく詐欺に近いと思います。
「長い時間演説し、政策を主張したって、今までの政治家は政策や公約を守ったことあるのか」
有権者だって、バカではないのだから政治家の政策や公約がそのまま実現するとは思っていないし、思っていたらバカだし、じゃぁ、議会は何なのか???政治とは何なのか???という話になると思うのですが。
どのような政策や公約をその政治家が持っているか?を知ることによって、どのような考え方の政治家なのかを知ることができ、またそのまま政策や公約を実現できなかったとしても、それに近いものが実現できるんじゃないか?と思って投票していると思いますけどね。
多くのいろいろな政策や公約を持った議員が選挙で当選し集まって議会で話し合いいろいろなことを決めるのが政治ですから、ある政治家の政策や公約だけをそのまま実現していたら、それ自体、独裁でしょう。
「しかし、民主党はマニフェストを実行せずに終わってしまった。さらに「できなくてすみません」という姿勢も取らなかった。これが今の政治不信の大きな原因だ。」
民主党政権が「悪夢だった」とか、未だに思っている人は、蓮舫さんの「2位じゃだめなんですか?」と同じでマスコミ報道の刷り込み(印象操作)であることを自覚してほしいです。
民主党政権があのような終わり方をしたのは、マスコミの意図的な報道の仕方によって有権者の支持離れが加速しただけであり、そのことを理解していなかったと思われる当時の総理大臣である野田佳彦が党首討論で誰が見ても選挙で勝てるわけもない状況なのに衆議院の解散をぶっ放し、そのまま約束されたはずの定数是正もしばらく放置されたままで、政権だけを明け渡すようなことになってしまっただけと思っていて、あのまま民主党政権が続いていれば実現していたマニュフェストもあっただろうに、たまたま安倍晋三にはラッキーな展開で民主党政権が突然終了してしまったわけですから、マニュフェスト実行の現場の皆様も驚きだったでしょう。
これと同時に良し悪しは別にして日本の「二大政党制」へ道はいったんストップしてしまうわけです。
つまり、今の政治不信はマスコミによってきっかけが作られ、それから促されていると言っても良いのかもしれません。
「その結果、自民党にも立憲民主党も投票したくないという層が確実に存在するようになった。」
有権者は政治をあきらめてはいけないと思っています。
有権者は(既存)政党や政治家を育てないといけないと思っています。
同時に有権者としても育っていくという意識も必要でしょう。
それをやらないで新しくできる政治勢力ばかりを支持したところで、また最初から?またまた最初から?の堂々巡りで何かが実現すると思いますか?結局は裏切られている。維新で懲りてほしいし、有権者としても劣化する。そうは思いませんか?
「本来なら政策で勝負するけれど、政策で勝負しても全然意味がない。今までの有識者、政界の人たち、マスコミも含めてそういう政治のムードを作ってきてしまった。そこを直感的に理解した石丸氏だからこそ、ユーチューバーとして無党派層にアプローチするという本領を発揮できた選挙だった。」
先日のこちらの記事で書いた「選挙の神様」が、まさしくこのニュース記事でインタビューに答えている藤川晋之助氏ですが、この方もわかっているわけです。
いかにマスコミが世論に影響を与え、いかに有権者が劣化しているかを。
まずは今からでも勉強をしなければいけません。
年齢関係なく勉強をするべきでしょう。
それがむしろこれからの「悪夢」を避けるための唯一の方法かもしれません。
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今回も公式の動画を貼らせていただきます。繰り返しになりますがありがとうございます。
以前も書いたことがありますが、紹介しやすいんですよね。僕は良いことだと思っています。
以前も書いたことがありますが、紹介しやすいんですよね。僕は良いことだと思っています。
さて、この動画も金城さんがピアノを弾き、玉城さんが歌う形式ではありますが、ホールでのシーンが少しお堅く感じられるためか?「長い間」の海に対しての山なのか?そのあたりよくわかりませんが、客席でのシーンや(山の?)斜面でのシーンが多いようにも思われます。でも、ぜんぜん不自然ではないんですが、細かいですがちょっとそのあたりが気になります。
「長い間」のMVも、このMVもそうですが、変に映像で凝ったことをせずに、やっぱり曲が主題ですから聴かせるほうに重点を置いているのでしょう。
●
今回もKiroroです。曲は「未来へ」です。
リリースが、1998年6月。同年10月にリリースされたアルバム「長い間 〜キロロの森〜」に収録されています。
この曲も、作詞・作曲はボーカルの玉城千春さんです。
記憶が間違っていなければ(結構自信ないのですが)、この曲がKiroroとして僕が最初に知った曲だったと思います。
そして、最初の印象はあまり良くなかったです。だって冒頭の歌詞が親が子供の人生を決めているような印象を受けたので。
ま、「最後までちゃんと聴け!」というだけの話ですが^^;;;
親が子を想う気持ち。子が親を想う気持ち。
それぞれが尊い。
生きていると親も子もそれぞれいろいろあり、お互いの理解もままならない時期もある。そういう紆余曲折もありながらもお互いに想い合う絆は変わらない。そういった親子関係の難しさと良さ、尊さ。
そういったことを主題にしているのでしょう。
人間は生きていく中で、いろいろな社会的集団に属しますが、家族がいちばんの基礎的な集団と考える時、この曲は人間として非常に大切なことを歌っているのではないか?と僕は思ってしまうのですが、皆様はどうお感じになられますか?
ちなみに、この曲のタイトルを「未来」と間違われるようですが、「未来へ」が正しいです。
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非常に残念な結果でした。
しかし、何ら絶望する必要はなく、あきらめる必要もありません。
今後も生活は続きます。その中で政治というものがどのように作用しどのような影響を及ぼし、及ぼされるか。それを日常生活から見極める段階に戻るだけです。冷静になりましょう。
何でしたら、暑いのもありますし冷製パスタ食べてもいいかもしれません。
冗談はさておき、今のところのざっくりとした個人的な選挙の感想を書いておこうと思います。今のところなので、今後得た情報によって全く違う感想になるかもしれませんが、とりあえず今のところの感想です。
しかし、何ら絶望する必要はなく、あきらめる必要もありません。
今後も生活は続きます。その中で政治というものがどのように作用しどのような影響を及ぼし、及ぼされるか。それを日常生活から見極める段階に戻るだけです。冷静になりましょう。
何でしたら、暑いのもありますし冷製パスタ食べてもいいかもしれません。
冗談はさておき、今のところのざっくりとした個人的な選挙の感想を書いておこうと思います。今のところなので、今後得た情報によって全く違う感想になるかもしれませんが、とりあえず今のところの感想です。
結果から考えることがあるとすれば、それは石丸伸二氏が2位であることでしょう。
石丸氏がこれだけの票を取ったということは冷静に分析が必要だと思います。真面目に専門家の意見を待ちたいです。
個人的に今思いつくのは、まず教育の問題。次に報道の問題です。
教育の問題はキーワードとしてリテラシーと歴史認識に分けられるのかもしれません。
世代別投票行動では、30代以下で石丸氏に入れた人がいちばん多かったようです。
社会に出てからのリテラシーやネット上のリテラシーと合わせて、その類の教育をどの程度受けてきておられるのか単純に疑問に感じました。
あまりにもネット上の情報を鵜呑みにしてしまった人が多かったのではないでしょうか。もしくは何を参考に候補者を選ぶか?その情報入手手段、判別方法など、自分自身での基準ができていない。あるいは知らない。
石丸氏がこれだけの票を取ったということは冷静に分析が必要だと思います。真面目に専門家の意見を待ちたいです。
個人的に今思いつくのは、まず教育の問題。次に報道の問題です。
教育の問題はキーワードとしてリテラシーと歴史認識に分けられるのかもしれません。
世代別投票行動では、30代以下で石丸氏に入れた人がいちばん多かったようです。
社会に出てからのリテラシーやネット上のリテラシーと合わせて、その類の教育をどの程度受けてきておられるのか単純に疑問に感じました。
あまりにもネット上の情報を鵜呑みにしてしまった人が多かったのではないでしょうか。もしくは何を参考に候補者を選ぶか?その情報入手手段、判別方法など、自分自身での基準ができていない。あるいは知らない。
歴史認識も学校で学んだことをちゃんと理解しているのか?ネット上で氾濫するデマ情報も含めて、ちゃんと正しい情報を識別できているのか?
また選挙でどのような人が当選すれば、世の中がどうなるのか?これまでの歴史認識をちゃんと学んでいるのかどうか?
石丸氏の掲げる政策・公約はどれも抽象的なものばかりで、これまでの都政を勉強してきているのか?これまでの安芸高田市での実績もよくわからない。
これまで彼のYouTubeは何度か見ていますが、だからどうなのか?単なるキャンセル・カルチャーではないのか?市長としてやるべきは議会で居眠りをする議員に注意することだけでなくメインは市政であり、政治家としての政治の実績や方針などが見えてきません。
見ていると、いかにも維新的であり、新自由主義的考え方のもと、今回の選挙で周りについている人々も経済人中心で裏金問題での企業・団体献金で懸念されるものと同じ懸念があるわけで、もし当選した後も政治の中立性を保持できるのかわかりませんでした。
また情報によれば、そのYouTube上でも結構な問題発言もしているようで、それこそ政治家の資質を問うものもあったようです。
次に報道の問題ですが、ここまで書いた石丸氏に関することも含め、報道機関が報道機関たるべく有権者に正しい認識や情報を正しく伝えていたか?です。
選挙の時にいつも思うことは、誰かに口止めされていたかのように投票箱が閉じてから答え合わせのようにこのあたりの認識や情報を伝えはじめることです。
投票日前でも後でも正しい認識や情報は正しく伝えるのは問題ないはずです。
そうして有権者に正しい判断材料を与えるのは本来の報道機関の役割であるはずです。なぜ、それをしないのでしょうか?
ひとつ僕が振り返るのは、1993年にあった衆議院選挙で「55年体制」が崩壊し政権交代があった際にテレビ朝日が偏向報道をしたとされる、いわゆる「椿事件(Wikipedia)」と言われる出来事です。この出来事があってから報道機関は選挙前になると誰かに口止めされているように選挙の詳細な報道をしなくなり、政治(家)に対して今で言うところの「忖度」が始まったのではないかと思います。
選挙結果に影響しないように、報道機関がむしろだんまりを決め込むような姿勢になり、有権者にとっては何か根拠のはっきりしないモヤモヤした情報ばかりの中から判断材料を選ばなければならない状態がこの30年ほど続いていると言えるのでしょう。
そういった状況をうまく利用したのが石丸氏だったのかもしれません。
そもそも、石丸氏が今回この選挙に立候補したのは、反小池票を割るための役割であったとも言え、こちらでも書きましたが、小池候補に利するための動きをするために必死だったと言えます。小池氏は公務もありますから、自由に動けない。そこを反小池票を割るためにモヤモヤの中公約はハッキリしていないのにハッキリとしたキャッチフレーズを使って自由に動き回った。そういう役割だったのではないか?それも選挙戦を見ていく中で透けて見えてきたように思います。そしてその役割は見事にうまくいったわけです。ある意味、出来過ぎだったでしょう。
このあたりは彼の今回の選挙参謀が自民党に非常に近い、それも選挙の神様と呼ばれる人が就いたことがあると言われています。
このことから彼は「政治屋」を批判していましたが、「選挙屋」は批判しないのだろうと思います。
現に次の政治活動として次期衆議院選挙で岸田首相の地元広島1区で立候補する可能性に触れています。
また共同記者会見で国政を持ち込まれることに不快感を発言しつつも、選挙期間中は日本を変えていく旨の発言を繰り返してたようです。そして、最後に国政に出る選択肢を早速あげてしまう。
調子にのってその通りにできるのか?させてもらえるのか?その時も今回の参謀に同じように戦ってもらえるのか?わかりませんが、そうなればもちろん彼自身も「選挙屋」でしょう。
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以上のことをさらに冷静に分析する上でも、今回の選挙の各世代の投票率を知りたいですね。全体の投票率も結果的には少し低いことには変わりはないので、そういった中でさらに石丸氏が2位になった原因は知っておいたほうが良いでしょう。
そのようなデータってないのでしょうか???
そのようなデータってないのでしょうか???
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あと、立憲民主党の動きがどうなるか?
秋に自民党とほぼ同時期に代表選挙がありますがその争点として、この結果を承けて共産党との共闘をどうするのか?
党内で冷静な分析をされるでしょうが、実際どうなるか?どう判断するのか?次期衆議院選挙に向けての戦略として真剣に考えないといけなくなってくるでしょう。
実際に現実的状況的には今の世の中の流れを観ながら考えると、共産党よりは維新と組んだほうが政権を取るという意味では近道と言っても良いでしょう。
しかしそれは、毒まんじゅうを食べるようなことであり、維新に魂を売るような行為です。
で、実際にこれまでにも組んだことはあるわけです。その結果もどうであったか?それを思えば、もうその時点で愛想つかしますし、その影響をうけて野党の離合集散がまた起こるのであれば、それはそれで僕自身がもう日本の政治自体に愛想をつかしそうです。政治的無関心になりそうです。なりませんケド!
ただ、やっぱり以前に書いた記事のように、2020年9月の合流はやらなかったほうが良いんじゃないの?とはなりますが。(なるだけ。思うだけですが。)
まぁ、今回の選挙結果の分析は慎重にやってほしいですね。
僕も共産党には「どうか?」と思うところはありますが、それでもこれまでにどれだけ共産党が歩み寄っているのか?も含めて考えてほしい。
だからこそ今回の選挙の分析は冷静に真剣にやってほしいのです。
最後にもう一度書いておきますが、ここに書いたのはあくまでも個人的感想にすぎず、もっと確かなことを書かれる方もいらっしゃるでしょう。
今後の詳細な分析やいろいろな情報を得ることによって、ここに書いた感想などが変わる可能性があることを断っておきます。
(※注:7月7日の初出時、内容の一部である「報道の問題」についての言及についての記述を失念しておりましたので、一旦当ページを非公開にし大幅に加筆修正後、再公開いたしました。2024.7.8.)
関連リンク。========
追加リンク。(2024.7.9.)========
都知事選前、石丸氏が維新に支援を要請していたという報道が出ています。
維新的、新自由主義的な石丸氏が当選していたら東京は大阪のようになっていくかもしれませんでした。