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再び「非戦」について

2002年09月28日 00時00分00秒 | 「徒然随想。」

先日、あれから1年が経ちましたが、まだ、僕には鮮烈なインパクトとして心の中に残っています。まず、間違いなく会社の倒産の一件とともに、あの日の事は一生わすれないでしょう。そして、世間も多分忘れることはないと思います。
各メディアも1年が経ったということで、これまでの経過をリポートしていたりいろいろしていましたが、少し期待外れだったのは、去年の9月11日後から昨年の年末、今年の春ぐらいまで、あれだけTVなどに出ていた坂本さんが、これまでほど、今年の9月11日にあまり露出していなかったことです。NEWS23さえも出ていなかった。(間違ってたら、ごめんなさい。)単にテレビ局からお声がかからなかったのか、かけられても本人が断ったのか、僕には、その状況を知る由もないですが、もし、前者なら僕は日本のマスコミも相変わらずだなと思うのみです。(でも、かけないというのも少し腑に落ちないのだけれど。)

「非戦」についても、これまでいろいろな評価にさらされてきてましたが、一般的に僕も非常によく耳にするのは、「なぜ、アメリカで出さない(出版しない)のか?」といったことです。これについては、まず、それ以前に、前々回でも書きましたが、小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言・戦争論」などを出版しているのと同じ幻冬舎から「非戦」も出版されていることに注目してもらいたいのです。いわば、相対する2つの考え方が同じ出版社から、意図的に出版されているということです。これは、まさしく幻冬舎の社長、見城徹氏の方針、そのものでしょう。見城氏の力添えもあったからこそ、日本で出版されたのでしょうし、それは日本でなければならなかったはずです。アメリカ人の批判をさけたかったのであれば、ほとんどアメリカ向けともとれる坂本さんの公式サイト「sitesakamoto」に、昨年、朝日新聞のオピニオン面に掲載された彼の文章「報復しないのが真の勇気」の英訳が載せられることはなかったでしょう。(02年9月現在、今も掲載中。もちろん日本語文もあり。)
ただ、僕自身もこの「非戦」という試みに100%賛同する気はありません。正直言って、彼の去年からの活動内容は、一人のファンとしては非常に心中複雑。その理由は、坂本さんのデビューアルバム「千のナイフ」によせた本人の文章の中にあります。

だから音楽で人を救うなんて絶対できっこない。救われないと思っている奴らの嘆き節なんだから。かくいう私の音楽もまさにこれですね。立派に嘆きたいと思っていますよ。どうせ落っこってくるのだから。

これを出発点に音楽のジャンルを超えた曲作りをし、また多少は社会的なコンセプトを持った彼の「坂本ワールド」に興味を持ちファンになった方はたくさんいるはずです。そして、僕はこの文章に、この潔い割り切った感覚に好感を持っています。
しかし、去年の「地雷ゼロキャンペーン」の「zero landmine」から、社会的なコンセプトの部分を最前面に押し出し、経費を差し引いたCDの収益をすべて地雷撤去の費用に充てるという試みは、まさしく音楽で人を救おうとしている。もちろん、救おうとすること自体、間違ってはいないが、僕としては何かが違うのです。
また、前出の「報復しないのが真の勇気」では、

事件から最初の3日間、どこからも歌が聞こえてこなかった。唯一聞こえてきたのはワシントンで議員たちが合唱した「ゴッド・ブレス・アメリカ」だけだった。そして生存の可能性が少なくなった72時間を過ぎたころ、街に歌が聞こえ出した。ダウンタウンのユニオンスクエアで若者たちが「イエスタデイ」を歌っているのを聞いて、なぜかほんの少し心が緩んだ。しかし、ぼくの中で大きな葛藤(かっとう)が渦巻いていた。歌は諦(あきら)めとともにやってきたからだ。その経過をぼくは注視していた。断じて音楽は人を「癒(いや)す」ためだけにあるなどと思わない。同時に、傷ついた者を前にして、音楽は何もできないのかという疑問がぼくを苦しめる。

僕は、以前から、芸術は人間の慢性的な問題に対しては何かできるかもしれませんが、突発的な問題に対して、もちろんのことながら、早急に何かができるとは思っていません。それに、人は時間が経てば、考え方も変わるのは当然。ましてや、年をとると若いころの勢いはどっかへいっていまうが、あれほど口下手でシャイで表舞台に出ることを好まなかった彼がここまで大々的に露出してくるのは何故でしょう?

そして、あの潔さはどこへいってしまったのか?

その疑問についての答えを導き出すのに、いくつかのヒントが僕の頭に思い浮かぶのですが、それは彼にとっては、単なるゴシップでしかないのでしょう。なによりも答えになるのは、今後の彼の行動そのものだと思います。その意味で、冒頭での件は、今後の行動が見えてこないし、残念ではあります。なんらかの答えも出たかもしれません。しかし、ファンとしては、彼の行動を注視し、ひたすら待つしかないのだろうとも思います。複雑な心中は、しばらく続くようです。

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