ザ蓮舫さん、という感じですね。支持してもしなくても評論するのは自由でしょう、しかも共産べったりなんて事実じゃん。
— 今野忍 (@shinobukonno) July 15, 2024
確かに連合の組合組織率は下がっているけど、それは蓮舫さん支持しなかったかではないでしょう。自分を支持しない、批判したから衰退しているって、自分中心主義か本当に恐ろしい https://t.co/cCGqMNWSqh
先日から上の今野氏(朝日新聞の政治部の記者だそうです)のポストが炎上状態でした。
僕も個人的に書かせていただくと、このポストに対する批判はもっともだと思うものの、その一方で「いまさら…」とも思いました。
そもそも引用している蓮舫氏の文脈を理解していないし、かなり個人的に勝手なことを偏見も含めて書いているし、プロフィール欄に「個人の見解」と断っているものの、「政治記者」としてはダメな内容で個人の「見解」にもなっていない。ただの「記者」としてもあるまじき内容で、このような人がまだマスコミにはいるのか、と思いました。
「いまさら…」と思ったのは、このような「愚痴」のようなことしか書けない偏見を持った(おそらくご本人は気づいていらっしゃらない)記者というのは、僕がマスコミにいた30年以上前から既にいたという思いが強いからです。なので、今野氏個人だけ、朝日新聞だけの問題とは思いません。
もちろん、表に出す記事にはそのようなことは書きませんが、裏では、社内では、そのような偏見が横行していた記憶があります。しかもそれは、マスコミの人間だからこそ持ってしまう偏見という風にも思います。そういう意味において、僕自身にとってマスコミにいた時期は「黒歴史」と捉えることもできるだろうと思っています。
マスコミの記者というのは報道機関(会社)という組織に守られて取材活動を行い、それを記事にしていますが、そのことをいつからか勘違いして、自分は偉い人と言わんばかりに、現場で取材対象に対して非常に高圧的な態度で上から目線な質問を投げかける記者が多くなってきたのか。
あるいは、常に「高みの見物」状態で事件・事故を取材し記事にし続けることによって、どこか他人事で自分自身も身を置いている同じ社会の出来事と感じられず、そもそも報道機関としての大切な役割を見失っていないか。
僕の取材対象はほとんどのケースでプロスポーツ選手などでしたからマスコミ慣れしていることもあって、失礼なこともスルーしていただき、修羅場な場面は少なかったですが、それでもあるにはありました。
その時にやはり感じたのは、マスコミという組織に守られているがうえに一般世間から隔離された環境下でニュースになるような情報を先取りできる状態に常時いることによって、一般世間での常識というものがなくなってきてしまっていた、ということです。
それでも、人の道から外れない記者の人はいますし、そういう記者はやはり現場でも取材対象に人としてわきまえた対応をしていたと思います。
最終的にはそれぞれ個人の問題ではありますが、それでも、現場では人としてわきまえた対応を各記者に推し進めることは報道機関各社のあるべき姿だろうと思います。
そして、そのようなことはこの約30年間、報道機関各社で行われてこず、そのままの体質であったことが、インターネットでSNSが発達した今、明確に表に出てきたということでしょう。
今野氏はその後、形式的な謝罪ポストを出してはいますが、その謝罪に対する内容と原因、二度とそうならないどうするか?など示されておらず、正式な謝罪にはほど遠い状態です。
また所属されている朝日新聞は今野氏に口頭による厳重注意をしたようですが、あまり問題を深刻に受け止めているようには感じず、これも「一つの意見」として通したい態度が見え隠れします。
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ちょうど松本サリン事件から30年に際して、今月14日に共同通信社が下記記事を出していました。
未曽有の化学テロから30年、今も続く特定人物のつるし上げ 松本サリン事件「犯人視報道」の教訓 | 47NEWS(←共同通信社のオリジナルページ。写真数点と動画が追加で掲載されています。)
かなり警察(=国家権力)のせいにしているところはありますが、仕方ない部分はあるにしても、常に真実を見抜くために独自の視点を持つことは報道機関にとって大切なことと思います。
そのためにも偏見はもちろん、根拠のあやふやな情報、無理に内容を単純化された情報などに踊らされないことは言うまでもないはずです。いろいろな情報に細心な注意をしなければならない報道に携わる人間が、今野氏のような、この体たらくではいけないと思うのです。(もちろん過去の自分に自省も含めて)
共同通信社が事件から30年経って出した自省の記事ですが、共同通信社が報道機関各社に事件・事故などの情報を配信する役割を担っている会社として考えるならば、特に30年前の当時インターネットもなく今のように独自にニュースサイトも持っておらず、その役割に集中していたと言える当時の状況を踏まえれば、これは当時のマスコミ全体の自省であるとも言えなくもないですが、今野氏のポストによって帳消しになった感もぬぐえません。
おそらくこのようなことは今後も起きえるのでしょう。
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またネット上には、この今野氏のポストを問題視しない、なぜ彼が非難されなければならないのか?とする意見も散見されますが、その方たちは今までどれだけ自分の身を置いている日本の社会の長きにわたる問題をスルーでき、身に降りかからない場所で生きてこれたか、その無神経さに幸せを感じてください(褒めてない、バカにしてる)。
例えば、今でも共産党を支持する人たちがなぜいるのか?少しでも考えてみたこともないでしょうし、ここ数年、労働組合へ相談する人々が増え続けていることの原因も少しでも考えてみたことがないのでしょう。
もちろん研究者でもない人がそこまで考える必要性はないですが、だからといって、今は「自分には関係がない」ことと嘲笑するのはどうか?と思いますし、やがて自分の身に降りかかるかもしれない社会の問題を同じ社会に身を置く人間として触れてみようともしない、その感性のなさ、良識のなさには最大限非難します。
そして、このような嘲笑の考え方こそがこの30年間の日本を衰退させてきた原因と言っても良いでしょう。
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