junzirogoo!!!

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2021年末のご挨拶。

2021年12月31日 16時16分16秒 | Weblog
今年もありがとうございました。
あっという間に大晦日という感触です。

皆様、2021年の年末をどのようにお過ごしでしょうか。

今年もコロナ禍のまま年が過ぎようとしています。
そしてまだ終息も見えません。

来年をどのような年にするか?と問われても答えるのは結構難しいと思います。
僕もそうです。

しかし、これまでの約2年間やってきたように、どこかに希望を見出してやっていくよりほかありません。

僕も今年は、公私ともにショッキングなことが多かったように思います。
コロナ禍の中でのオリパラを背景にした政治のグダグダ。
たくさんの人が亡くなり、多くの後遺症が残る人がいらっしゃいます。
それでも秋の総選挙で国民は現政権を選び、大阪の人は維新を選ぶ。
そして母の2度の入院など、結構疲れました。

それでも、このブログの投稿数は走りました。
一種の巣籠効果か?ほぼ毎週土日更新を続けてこれました。まさに「日曜ブログ更新」的な。
ここ数カ月は、
土曜日に、時事ネタ中心な更新。
日曜日に、シリーズ「思い出す音楽」の更新。
と、なっています。

そのせいか?成果もあり(真面目に書いています)、「goo blog」サービス内でブログアクセス数・記事アクセス数でトップ3入りが2回、トップ100入りが数回の「快挙」とも言うべきこともありました。
アンチなアクセスもあるのかもしれないですが、どちらにしても感謝申し上げます。ありがとうございました。

来年もよろしくお願い申し上げたい次第ですが、
ひょっとすると来年は私用が忙しくなる予定があり今年ほど投稿数が走らない可能性があります。
それでも気長に更新をお待ちいただけるのであれば有り難い限りです。

大晦日、年が変わるまでまだ時間がありますが、今年はこれで最後の更新とします。
いろいろありがとうございました。
来年も「junzirogoo!!!」よろしくお願い申し上げます。

よいお年を!


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快なり!快なり!快なり!=大河ドラマ「青天を衝け」感想=

2021年12月30日 23時59分51秒 | テレビ番組
冒頭、けなしますが…、

実はこのドラマ、
「この世相に、ただの実業家ひとり勝ちの成功体験ドラマなのだろう。」
と、高を括っていて、まったくと言っていいほど期待していませんでした。

ぶっちゃけ、
小林薫さんも和久井映見さんも、どちらかといえばあまり好きではない俳優さんでしたし、「青天を衝け」の題字を書いている杉本博司さんもあまり好きではないアーティスト。

ただ、橋本愛さん、成海璃子さんは好きな俳優さんなので観ていた、というのが正直なところで、それがきっかけでしょうか。

しかし、観ていくほどに引き込まれていき、そして実際には「実業家ひとり勝ちの成功体験」とはまったく逆のストーリーが描かれており、むしろ、今の世の中を風刺する場面が多々多々あり、それこそ「快なり!快なり!快なり!」なドラマでした。

「あんたがうれしいだけじゃなくて、みんながうれしいのが一番なんだで。」
というかっさまからの言葉は、最終回にも栄一から出てきたセリフでしたが、これひとつ取っても今の世の中を風刺しているように思います。

そして、これを基にしている「合本」。
みんなでお金を儲けて幸せになる考え方、これも暗に今の格差社会を批判しているようにも思えます。
余談ですが、イッセー尾形さん演じる三野村利左衛門が栄一にお妾さんも家に住まわせていることを皮肉って「家でも合本」とか言っていたのは、すいません、ちょっと笑っちゃいました。

また、東京養育院が廃止を叫ばれ公的な支援を打ち切られる流れに関しても、廃止論を掲げる者たちの、自ら努力せずに貧困となった者たちに自分たちの税金を使うのはメリットがない旨の主張は、今のどこぞの政党が主張していることと似通っており、社会にそんな短絡的な主張がまかり通ることを風刺しているように感じました。

それと、やはり大河に出演されるだけあって、各俳優さんの演技がそれぞれうまい。
徳川慶喜を演じる草彅剛さんには演技への気迫を静かに感じました。
またお千代さんの最期のシーンや兼子さんが一度離縁を求めるシーンは今でも印象に残っています。
お千代さんの最期のシーンでのセリフが少ない中での死が近いという切迫感。
兼子さんが離縁を求めるシーンでは吉沢亮さんと大島優子さん2人のやり取りが絶妙。篤二さんのことを話に出された栄一が喉をゴクリとする、あのタイミング。何ともいえませんでした。

まぁ、普段あまりドラマを観るほうではありませんので詳しくないのですが、そんな僕でもNHKの大河ドラマと朝ドラはたまに観るほうで、今回の「青天を衝け」については始まる前の(僕の勝手な)印象と最後まで見終わった後の感想にこんなにもギャップができるとは思いませんでした。

とにかく、おもしろかったし勉強になったし、毎週楽しみでした。
やっぱり、「いだてん」もそうでしたが、僕は日本の近代を舞台にしたドラマが好きなようです。
その意味で特に今回感じたのは、この時の日本はアメリカではなくヨーロッパ諸国を手本にしていたということが好きな理由としてあるのではないか?と思いました。

※追記・加筆修正しました。
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PSY・S(サイズ) 「Parachute Limit 〜パラシュートの時間〜」 =思い出す音楽 その54=

2021年12月26日 22時02分22秒 | 音楽

まずはこの動画のアップ主様に感謝です。
この方はPSY・S(サイズ)の動画をかなりアップしてくれていて、以前この「思い出す音楽」シリーズでPSY・Sを取り上げた際にも何点か埋め込みリンクをさせていただいておりますが、この楽曲のPVに関しては画質の普通なのと良いものが2つ上がっており、どうもさらにできうるだけ画質を良くしたものを後で再アップしていただいたようで、その手間と努力に感謝申し上げたい次第です。
ということで、今回は画質の良いほうを採用させていただきました。


今回はPSY・S「PARACHUTE LIMIT(パラシュート・リミット)〜パラシュートの時間〜」です。
シングルのリリースは1988年10月。初出は8月にリリースされていたアルバム「NON-FICTION」の1曲目の楽曲です。
この楽曲も前回の「薔薇とノンフィクション」同様、当時その「NON-FICTION」をレンタルCD屋さんから借りてきてカセットテープに落としてよく聴いていました。やはり僕が高校生の頃ですね。
アルバム単位で音楽を聴く習慣があるとアルバム1曲目の楽曲というのは聴く機会が多くなるのでよく覚えてしまいます。それだけに思い出してしまうのかもしれないですね。
この楽曲はファミコン(任天堂ファミリーコンピュータ)の某ゲームソフトでBGMとして使用されていたようですが、現在、松浦雅也さんがゲームのお仕事をされているのも、このあたりがきっかけだったのかもしれないですね。

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電車内でのマナー・モラルは、まず乗務員・駅員にモラルがないと維持できない。

2021年12月25日 23時54分54秒 | 社会・経済

先日見つけたこちらの記事。
記事には触れられていないですが、
この車掌さん、そのマナーが悪い乗客に注意をしたのでしょうか?

それをやっていないのであれば、まず写真を撮る前に注意だと思います。
どちらにしても、車掌の立場で勝手に乗客を撮影するのは問題だと思いますので処分は当然でしょう。

ただ、最近思うのは、乗務員・駅員のマニュアルか何かで無駄に事件事故になるのを避けるために、マナーが悪い乗客に注意をしない取り決めでもあるのではないか?と思うことです。
もちろん、仮にそうだったとしてもこれは鉄道会社によると思います。

僕は普段から近鉄を利用していますが、昨年の今頃に、こちらの記事にも書いたようにマナー違反や危険につながりそうな行為をしている乗客に乗務員や駅員が直接注意しません。(あくまでも僕が見る範囲です)

実はこちらの件、数回ですが近鉄に数回問い合わせたことがあり、お返事はまだまともなものが届いていました。(厳密に言えば突っ込みどころがないわけではないです。)
しかし、それから改善された気配を感じることはできず、ついに先日(冒頭にリンクした記事が出た前日になると思います)決定的だった出来事が。
車掌が乗務員室から見える範囲の最後尾車両で飲食をしている乗客を注意しないのです。
また乗務外と思われますが近鉄の制服を着た人も同じ最後尾車内にいましたが同様に注意せず、しばらく車掌の様子を見ていましたがその乗客を確実に認識しているものの注意には動きませんでした。
そもそも、このコロナ禍でそのような行為をしている乗客がまず問題ですが、近鉄という会社が未だ改善に動いていないことを露骨に感じさせる出来事でした。
また昨年の記事の懸念を現実に見た瞬間でした。

コロナ禍もいつまで続くのかわかりません。
この先、長く続くこのコロナ禍によるストレスで電車内でなくとも社会風紀が乱れる可能性がある中で、そのうち近鉄の電車内で何か事件性の高い出来事が起こるかもしれません。もちろん、起こってほしくないですが、このまま近鉄が誠実に対応せず、この状態を放置し続けるのであれば、その可能性は高くなるでしょう。

さらに、近鉄だけでなく他の同じような状態の鉄道会社でも同じことが言えるでしょう。

まさに、ノイズキャンセリングイヤホンなどで音楽を聴きながら、スマホの画面に没入し、車内のまわりの状況を一切意識せずに電車に乗っている場合ではないのかもしれません。

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PSY・S(サイズ) 「薔薇とノンフィクション」 =思い出す音楽 その53=

2021年12月19日 22時07分07秒 | 音楽

画質が悪いのは仕方ありません。
おそらく当時の日本ではVHSが主流になりはじめていた頃だったように思いますから、そこから変換してYouTubeにアップしていただいているだけで感謝です。(ただアップ主は外国の方のようです)
それにしても、1980年代後半をおのずと思い出させる動画です。なつかしい…。


いつかまたPSY・S(サイズ)を取り上げたいと思いつつ、コメント欄にもその旨リクエストもございましたが、いろいろあり半年以上も間があいてしましました。申し訳ありません。
その半年以上ぶりのPSY・Sの楽曲の今回は「薔薇とノンフィクション」、リリースは1988年7月です。
アルバム「NON-FICTION」の先行シングルで、その「NON-FICTION」を当時高校生だった僕はレンタルCD屋さんから借りてきてカセットテープに落としてよく聴いていた記憶があります。
まぁ、とりあえず歌詞がつながっていないのは当時の流行りです。声音をひとつの楽器として捉えて…みたいなことを仰っていたのは小室哲哉さんでしたっけ?すいません、ハッキリ覚えていません。
それにしても、動画のパフォーマンスは当時から凄くて最先端。個人的にはこれも記憶が正しければですが、南流石さんの振り付けによるものだったと思いますが、それが際立っているように思います。
以前にも書いたかもですが、もっとPSY・Sは評価されていいと思っています。

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森友文書改ざん訴訟「認諾」の向こう見えること。

2021年12月18日 23時50分50秒 | 政治

いよいよ日本の国は、国家は本来の国家機能から逸脱し、国民の命を何とも思わない非道な方向へ舵を切った。

そう思いました。
私たちの国は、私たちの国家の民主主義は確実に私たちの見えないところで滅亡あるいは崩壊へ向かっていることを、この瞬間、見えるところで感じさせるには十分すぎるほどの出来事でした。

考えれば、財務省の中に国民のほうを向いて誠実に仕事をしている人がいたことを赤木さんの存在が証明したわけですが、残念ながらそういう人が死ななければならない現実。これは国民にとってとても不幸なことでした。

そして、また今回、「認諾」という手段に出て裁判を終わらせ、司法という公正な場で真実が公になることを阻止する隠蔽する暴挙に出た私たちの国家、日本。

これは司法の場や信義則をバカにしているという意味において、赤木さんだけではなく、国民にとっても非常に不幸なことです。

さらに言えば、請求されていた1億700万円は国民の税金から支払われるわけで、一個人にとって都合の悪い真実の隠蔽のためにそれほどの国民の血税が使われるのは異常です。
そのように考えると、国民はこの隠蔽に好む好まないに関わらず強制的に協力したことになると言わないといけません。

今回のことが明らかになって都合の悪い人間と言えば、間違いなくあの男で、14日に岸田総理から財務省に今回の方針転換の指示があったという話ですが、おそらくその向こうにあの男の指示があったのは言うまでもないのは多くの人が思っていることでしょう。
もしこの件を「(明らかに)違う。証拠を出せ」とか言う人がいれば、逆にそれはあまりにも社会を見る目がないことをご自身が自覚しなければならないでしょう。

どちらにしても、このまともな筋が通らないままではダメなことは明らかで、国民全体がいつかひどい目に遭う時がくるでしょう。
それまでの間に国民全体が声を上げることができるかどうかが鍵になってきます。
これを読んでいるあなたも見極めることできる国民になってください。

見極める国民になるためには、まずはテレビ・新聞の報道を見極める能力をつけることが重要でしょう。
今回の報道でも冒頭にリンクした記事のように、赤木俊夫さんの妻雅子さんと弁護士の会見で、雅子さんが「ふざけるな!」と言っていること自体を政府やあの男に忖度して報じていないマスコミがほとんどであることを知っておくことが必要です。
マスコミがおかれている状況とマスコミが報じていることの向こうを想像し見極める、それが重要です。
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郷ひろみ・樹木希林 「林檎殺人事件」 =思い出す音楽 その52=

2021年12月12日 22時02分22秒 | 音楽

今回の動画は阿久悠さんを取り上げたテレビ番組の中での昔のテレビ映像の動画のようですが、元のテレビ映像が何の番組のものなのか、僕はよくわかりません。
舞台かスタジオで大きなセットの前で郷ひろみさんと樹木希林さんが歌っているわけですが、そのセットもよく見てもどういうセットなのかわかりません。
もし、わかる方がいらっしゃればコメントいただければ幸いです。


今回はちょっと面白い楽曲を取り上げる順番のようなので、すぐに思いついた、郷ひろみ・樹木希林「林檎殺人事件」です。
リリースは1978年6月。僕はピカピカの小学校1年生です。
冒頭の「ア~ア、哀しいね~」のフレーズは子供の頃にガッツリと頭に刷り込まれて、哀しいことがあった時に今でも脱力的に歌ってしまうフレーズです。
昨今、本当に「哀しい」世の中になっていますが、今の僕にはどうも「林檎」が某パソコン・スマホメーカーを連想させてしまい、話として聞く立場であったのですが、世の中の事件にやはりこのメーカーの製品が絡むことがあるわけで、それに対するこのメーカーの対応にも残念ながら「哀しいね」と思ってしまう場合があり、それはそれで捜査する警察の方々のご苦労も察するに余りあるわけです。

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不備ループのほうが持続化していますね。

2021年12月11日 23時50分00秒 | 政治
今日のTBS「報道特集」を観ました。


どうも岸田政権になっても、この不備ループの問題は変わらず存在しているようです。
「報道特集」でも今年夏頃に取り上げていましたが今回あらためて取り上げているぐらいですから、本当に問題は深刻です。
そもそもコロナ禍の中、国民の生活を「持続化」させるためにやっている支援金制度が、申請する際に必要となる書類の「不備」を理由に突き返され、その不備理由も具体的に明確化されず、何十回も書類を送りなおしても突き返される「不備ループ」。むしろこちらのほうが「持続化」しているようです。
今回取り上げられていた実際に「不備ループ」に遭ったお二方は、16回と21回。そして、どちらの方にも最終的に「給付せず」との通知が。

いったい国は何をしているのか?
いったいの国民に何をさせているのか?
そして、何よりも、
本気で国民を救う気があるのか???

そもそも、決められた条件に合致する人は受給できるはずの支援金。
いろいろと不正受給があるのはわかりますが、基本的には前向きに給付すべきであり、書類不備を理由にありえないような量の追加書類の要求とその書類にマーカーなどの印を膨大につけさせるありえない手間など、普通に受け取れば「給付する気なんかないんじゃないの?」と思わせる状態、ある意味、こういう時のためにこれまで税金を払ってきているようなものなのに、言ってしまえば、国家による詐欺のようなものを感じます。

逆に、岸田総理も何よりもこのようなものから改善に着手していけば支持率があがりそうなものなのに、なぜかそうではありません。

また子育て支援の10万円にしても半分の5万円分を、なぜか膨大なコストがかかるクーポン券での支給にこだわっています。
おそらくこの部分に関しては何らかの「利権」が絡んでいるんだろうと推測していますが、同様にこの「不備ループ」のほうも何らかの「利権」が絡んでいるのかもしれません。

どちらにしても、まだ困っている人が多くいる「不備ループ」の問題。
そのほとんどが個人事業者主のようで中小の法人に比べればこれも弱い立場の皆さんが陥っている問題で、コロナ禍の中、この弱い立場の皆さんの問題がほかにもいろいろと散見される中、ひとつでも多く早く解決すること願ってやみません。
本当に、国・政府にはもっともっと柔軟に迅速に動いていただきたいです。

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佐野元春 「SOMEDAY」 =思い出す音楽 その51=

2021年12月05日 22時14分14秒 | 音楽

こちらの動画、調べてみると佐野さんがテレビ初出演時のもののようです。
別にアップされている元ネタが同じであろう動画ではこの楽曲を歌う前に徳光和夫さんがインタビューしているところをみると日本テレビ系列の音楽番組「歌のトップテン」でしょうか???
そのインタビューの中で「SOMEDAY」を「10年前」と仰っているところから1990年前後の動画と推測することができます。
今見ると佐野さんのメイクがフランケンシュタインみたいですが、当時はこれがカッコ良かったんです。そして、今も佐野さんはカッコ良いです。
(注:記事投稿当初の動画がYouTube上で削除されましたので、あらためて公式の動画に差し替えています。2024.5.26.)


前回までさだまさしさんを取り上げてきた中で高校時代のさだまさしファンの友達から情報を得ていた話がありましたが、実はその友達は佐野元春さんのファンでもありました。
その影響で佐野元春さんの音楽は高校時代から知っていて、その際に同時に知ったのがこの楽曲「SOMEDAY」です。
リリースは、冒頭でも書きましたが1990年前後で「10年前」という話ですから調べると、1981年6月。その後、1990年4月に再発されています。
ということは高校時代に知ったこの楽曲、リリースの1981年から数年経っており、この時期にすでにこのような品の良いカッコ良い楽曲を出していたと考えると凄いと思ってしまいます。
ほかにも佐野さんの楽曲には名曲がありますが、特にこの楽曲は僕個人の中では佐野元春さんの代名詞的な要素の強い楽曲であり、高校時代を思い出す音楽の中の一曲です。

追記。--------
どうでも良いことなんですが、Googleで「佐野元春 SOMEDAY」を検索すると、同時に出てくるMusixmatch社によるこの楽曲の歌詞が間違っていますね。
サビの部分、「誓うよ、SOMEDAY」が「違うよ、SOMEDAY」になっています。
それこそ、「違うよ」です(笑)

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立憲民主党は、すでにあまり期待していません。

2021年12月04日 23時39分00秒 | 政治
先月30日、立憲民主党代表選挙が行われ、泉健太氏が選出されました。

今回の代表選挙は特にこれといって注目していたわけではありませんでした。
そもそもタイトルにもしたように、すでに立憲民主党という政党にあまり期待をしていなかったということがあります。

理由は、以前にもこのブログで書いているかもしれないですが、
2017年に枝野幸男氏によって立ち上がった当初、民進党分裂の教訓もあってか、党の政策や理念に完全に同意していただける人しか入党を許可しない旨の発言があり、厳密にそれを守っていたと思います。

それが、いつからか、安倍政権の酷さもあって早急に政権交代するために手段を選ばないような方向に変わっていきました。
その延長線上に日本共産党との「共闘」の話も出てきたのだろうと思います。
もちろん、選挙戦略としての「共闘」の部分は否定しませんが、僕個人は以前から日本共産党には部分的に不信感をもっており、基本的には支持していません。

そんな流れの中で、2019年の大阪12区補欠選挙では、野党共闘候補であった宮本岳志氏は共産党所属でありながら他野党の推薦を得るために無所属で立候補されましたが、やはりそもそもは共産党の「看板政治家」であることは変わりはありません。そういった情勢もありマスコミにも大きく取り上げられる選挙戦でした。
しかしながら、立憲民主党の立ち回り方は非常に「どっちつかず」、「中途半端」でした。元民主党のベテラン政治家といえる樽床伸二氏も立候補している中で、枝野氏は宮本氏の事務所を訪問するのみで応援演説はせず、どうしても僕は違和感を感じざるを得ず、結果やはり惨敗。

先の衆議院議員選挙の結果を暗示していたのかもしれません。

この「どっちもつかず」でいえば、当時からリベラルではなく「保守」を自称していた枝野氏。
だからこそ、共産党へもガッツリではなく、また逆に樽床氏も希望の党の件や小沢一郎氏との関係の件もあってか?「スルー」のような状態で、結局この選挙の時間だけを過ぎるのを待っているような態度でした。

最終的には僕個人は、昨年の旧国民民主党や社民党の議員の多くと合流し、新しい現在の立憲民主党が発足した時点で、当初の、党の政策や理念に完全に同意していただける人しか入党を許可しない旨の発言から大きくかけ離れた状態となり、これがまた次の離散を必ず生むと考え、この時点で立憲民主党への期待感は完全に消え失せました。

その後も、
先の衆議院議員選挙も共産党との「共闘」は茶を濁すような雰囲気で、事前に取りざたされた東京8区での山本太郎氏の件も、立憲民主党の代表として明確に責任を負う発言はありませんでした。
それと最近聞いたものでも、2017年の立憲民主党の発足当時にいち早く手を挙げた某元議員を「排除」していた話など、党代表としての枝野氏自身の指導力の欠如を感じざるを得ない話が多いのです。

そんな枝野氏も今回党代表から退き泉健太新代表となって、今後立憲民主党が変わる可能性があるにはあり、一応、野党第一党ですので注視しつづけなければいけないですが、良くなれば期待も出てくるでしょうが、同じであったり悪くなったり、それでまた代表が代わり、それがまた枝野氏で「また『輪番制』ですか?」と思ってしまわざるを得ない状態になれば、それはそれでまた忌々しき事態です。
衆議院議員選挙前、こちらの記事でも書きましたが、本当は野党はそんなことをやっている場合ではなく、特に野党第一党の立憲民主党は早く成熟した政治勢力として政権を担えるだけの「政権担当能力」を持たないといけません。そのためには理念ばかりに固執したり先走るのではなく、現実の国民生活のための柔軟な立ち回りを身につけなければならないと思います。
ただ、それができるようになるのか?その能力があるのか?僕もわかりません。
それどころか、衆議院選挙後、その結果から「共闘」の意義の有無などについての意見の隔たりが言われ、「分党すればいい」などという声もチラホラ。
連合との関係も微妙です。(連合自体にも問題がありますが)

前述のこちらの記事にも書きましたが、本当に「その次はない」のかもしれません。

先日お亡くなりになった瀬戸内寂聴さんが、8年ほど前「FREEDOMMUNE 0<ZERO>」で行われた法話で、今の時代の雰囲気は昭和15~16年頃と同じという旨の発言をしておられました。
要は、昭和16年(1941年)12月8日の太平洋戦争直前であり、このままだとまた戦争の忌まわしい時代がやってくるかもしれないということです。
忌野清志郎さんも大地震(大災害)のあとには戦争がやってくると仰っていました。

今の野党がこのままだといずれ大政翼賛会を連想するわけで、そうなれば戦争も同時に連想されます。
日本が、国民が、戦争に巻き込まれたくないのであれば、それは立憲民主党がしっかりした政党にならなければならないわけで、それは立憲民主党次第のところもありながら、実は同時にそれは国民次第であることもすかさず言い及んでおかないといけません。
旧民主党政権を「悪夢」と言っていてはいけないのです。むしろ「悪夢」は今かもしれませんし、これから始まるのかもしれません。

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