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成田悠輔氏の発言には不適切にもほどがありますが、社会全体として深刻な問題があることも見逃してはなりません。

2024年03月20日 23時50分50秒 | 社会・経済
上の記事を拝見したので、少し書いてみます。
記事を追うと、れいわ新選組の山本太郎氏が3月15日の参院予算委員会の質問の中で成田氏の過去の「集団自決」発言についての見解を問い、岸田首相が「極めて不適切な発言」と答え、財務省の広報誌に登場していることについても「より慎重でなければならない」と述べたとのことです。

僕はこの発言について聞いてはいましたが事の詳細について、あまり知りえてないのでネット上を検索してみると、Wikipediaの彼の項目の中で「集団自決」発言の項目があり、結構詳細に説明されています。

簡単に言えば、長寿社会となり、また定年も60歳から引き上げられ、長く生き長く働けるようになった世の中で、「世代交代不全」と言えるようなことが起こっていて、「リーダー」が次の世代になかなか交代されず「過去の功績を使って居座り続け」、同時に伝承されるべきことが伝承されず、いろいろなところで社会にひずみが起こっていることへの過激な指摘、問題提起、発言なんだと思います。それだけではないようですがいずれにしても「自決」「切腹」などの言葉はこの際に使うべきではありませんし、彼の発言を擁護する気は一切ありません。
ただ、そういえば以前にナインティナインの岡村さんが明石家さんまさんに「引退してください」旨の話をされ、芸能界の世代交代に関する主旨の話をされたようなことも聞きます。

「言葉の過激派」という感じでしょうか。
確かにいろいろなところでされている過去の「集団自決」発言については、「高齢者全体を社会の負担と捉え、排除を促すような印象を与え、多くの人から批判され(Wikipediaより)」るべき発言であり、僕は擁護のしようもないと思います。
アメリカの大学の先生であり、40歳近い年齢なのですから、もっと言い方があるように思いますが、その一方で思うのは彼のこの発言が、もしかすると彼自身が10代や20代の頃から抱いていた「叫び」のような感情が混ざっているのではないか?ということです。

またこの発言を今の20代が聞いた中には同じような「叫び」の感情を持ち多少の共感をいだく方もおられるのかもしれません。
そう考え推察すると、どの20代の方も初めて社会に出る時は「弱者」であり、それは仕方のない状況であるのにもかかわらず、今の社会はそれを許さないかのように容赦なくプレッシャーをかける風潮があります。
伝統芸能などの厳しい芸事などに就職したわけでもないのに、仕事は「見ておぼえるものだ」などと単に教える方の怠慢でしかない訳の分からないことを言われ、やれ根性論だの死ぬ気で働けだの精神論だけをかざされ、日本はいつまでインパール作戦をやっているんだ?と嘆きたくなるぐらいでしょう。
そんなことを言う上司はだいたい「過去の功績を使って居座り続け」ているリーダーだったりします。

また逆に、高齢者の方々も、なぜいつまでも働かないといけなくなっているか?と言えば、それはもともと不安な老後の生活に、さらにいつぞやに麻生太郎氏が発言した「老後までに2000万円」というほとんどの人が宝くじでも当てない限り貯めることができないような金額の提示でさらに煽られたように、自分の残りの人生にさらなる「不安」しかなく、しかしそれは老後が安心して暮らせない社会の問題でもあり、その部分ではみんなで考えないといけない問題であるのにも関わらず、すべて個人の問題として仕立て上げ、「お金はいくらあっても邪魔にならない」考え方のもと、体が元気なうちに稼いでおかなければと、少しでも稼げるならその地位にとどまって、いつまでも後進に道を譲らない、譲れない状況もあるわけです。
これは、日本の社会保障の充実が足りない問題でもあるわけです。年金も今のような状態じゃ、まだまだ働かないと仕方ありません。

このような社会の状況・背景がある中で、一連の成田氏の発言が出てきていることを推察すれば一概に発言を批判するだけではいけないように考えます。社会全体として深刻な問題があることも見逃してはなりません。
もちろん、それでも彼の立場からすればもっと言い方があるべきで、一方的な過激な発言は批判されるべき発言で擁護されるべき発言ではないと考えます。念のため。

この社会の若者たちの問題や高齢者の問題も国民全体で直視するべき問題であり、制度設計に関わる部分においては国民の総意を反映した政治による制度変更などによって解決していかなければならない問題です。
だからこそ、過激な発言はその発言だけがセンセーショナルに取り上げられ、問題の主題をどこかにやってしまい、そのような問題であることをはぐらかしスルーさせてしまいます。政治は生活につながっているのです。


最後に言い及んでおかなければいけないと思ったのは、また日本のマスコミのことです。
この「集団自決」発言を最初に問題視したのは、Wikipediaによるとアメリカの「ニューヨークタイムズ」です。ジャニーズの一件と同様、外国のマスコミでした。(時期的にも近い)
なぜ、日本のマスコミははれ物に触ることを拒否するかのごとくスルーしてしまうのか?報道としての矜持がないのか?もっと仕事をしていただかなくてはなりません。

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