じゅんむし日記

心は急いでいる。それなのに、何も思い通りの形にはなっていかない。がまんがまん。とにかく、今できることから始めよう。

本の解説いらないーって思うとき

2015-11-11 | つぶやき
岡嶋二人の「クラインの壷」という本を読んでその感想を書こうと思ったのですが、
あまりにも「解説」に衝撃を受けたので、ちょっと気持ちがそがれてしまったわね。

若い頃…
そうね、20年以上くらい前までは、
文庫本を読んで何がしかの思いを抱き、
さらに解説を読んで、思いを深めたり、なるほどと思ったり、作者のことを深く知ったり…

解説って、そんなものだと思い、
確かにその役目を果たしてくれていました。

しかし、ここ最近…(と言っても十数年前くらいから)←年齢の重みが出ている(-.-)
この解説いらないなぁ、と思うものが少なからず出てきました。

たまたま今日は「クラインの壷」の解説について取り上げたのですが、
まぁ何が引っかかるのかと言うと、

・口調が軽すぎて違和感がある
(えとね、まず…)
(何が怖いって…あう。困った)など

・解説者がどれだけファンなのかを切々と訴えているが、ファンレターにもならない
(言い散らかしている感じで、読むものに伝わらない)

まったく得るものがなかったと言うわけではありませんが、
いらいら感はぬぐえません。

それでも、これはまだいい方でしょうか。
憤まんやる方ない、と思ったのが、あさのあつこさんの「バッテリー」でしたね。
もうずい分前ですけど。

才能ある野球少年と家族や友人たちとの心模様を書いた児童書なのですが、
その文庫版の解説で、
・野球はピッチャーとキャッチャーだけがいっしょうけんめいやっていて、外野にいる人は何が面白いのか
(↑こんなニュアンス。正しいコピーではないです^^;)
みたいなことを書いていて頭にきましたね。
野球はまさしくチームプレーですよ。
ベンチも含めて試合ですよ。
何もわかってなくて、解説などしないでほしい、と思いました。

こういう解説の原稿書かれて、断れないのかしら…。
作者のあさのさんがなんと思ったのかは知る由もないですが。
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