じゅんむし日記

心は急いでいる。それなのに、何も思い通りの形にはなっていかない。がまんがまん。とにかく、今できることから始めよう。

「森に眠る魚」角田光代

2017-08-19 | 


本を読み、「良かった」とか「感動した」ときにブログに感想を書いてみたくなりますが、
今回は「気になった」ので書いてみます。

実在した幼女殺害事件をモチーフにしているという情報から、興味を持って読みました。
犯罪に向かうときの心理を描いているのかなぁと勝手に想像して。

しかし実際の内容はそうではありませんでした。

この小説は、5人の母親とその子供たちを取り巻く偏狭な世界を描いています。

互いに好意を持って頼れる存在であったはずなのに、
様々なきっかけから歯車が噛み合わなくなっていきます。

富の格差、自身の格差、子供の個性、お受験の駆け引きなどを通し、平静でいられなくなっていく過程…
ちょっとの自慢、人を見下すような言葉…
嫉妬や憎悪から心が別の方向に動き、関係が壊れていく様子はなるほどと思いました。

一つ内容を抜粋すると…

「ああ、ごめんなさい、私ちょっと今日は用事があるの」
けれど千花は言い、容子にはわざとらしく見えるしぐさで腕時計まで確認している。
「どんな用事?」
容子がそう訊いたのに他意はなかった。どんな用事か詳細を知りたかったわけではなく、会話のつなぎ目として訊いただけなのだ。
・・・・

「どうしてどんな用事か言わなくちゃいけないの?」
容子がたじろぐほどの早口で言い、・・・・

「わざと答えないとか、隠してるとか、そういうんじゃないってこと。容子さんってすぐそういうふうに考えちゃう人でしょ?」
・・・・

容子はとたんに不安になった。そういう人、と思われて嫌われたんじゃないだろうか。
(文庫P200~201)


まぁ私自身、友人が豹変して突然怒り出した(子供がらみのことで)という経験があるので理解できるのですが、ほかの読者の方はどうなんでしょう。
いろいろなエピソードに対しても、まさかと思うのか、あるあるなのか、興味あるところです。

物語自体は、なんとなくバタバタしている感じを持ってしまいましたが、
一つひとつのエピソードは(コワいもの見たさで?)おもしろく読めました。
ただ登場人物の誰にも感情移入はできません。
誰一人として魅力ある人がいなくて非常識すぎますよ。

人物像に一貫性がなく、同一人物にしては違和感
があるのが気になり、
まぁそもそも人ってそんなものだと思うしかありません。

それに、3歳くらいの子供が自分のことを「おいら」と言うのはやめてくれ、という感じです。
(ものすごく気になった)

後半、“彼女”という5人の母親とは別の?存在が登場して実在の事件とダブるのですが、
何か唐突で物語に溶け込んでいない
ような気がしてしまうのです。
(文庫P377~)

それぞれの母親の心の闇を表現しているだけなのか、何か主張したいことがあるのか、私にはわかりませんでした。
事件を思い起こさせるような極端な内容が、物語の中で浮いているように思います。
(どなたか解説してほしい~)

最終章では、お受験後の5人の母たち、子供たちの結末…
それぞれ、世界の終わりのように追い込まれていたにもかかわらず、時が流れて何事もなかったような日常がただ在ります。
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