神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

呼子坂

2011-09-27 23:19:42 | 史跡・文化財
呼子坂(よびこさか)。
場所:「冨榮山 専修院 清岩寺」(静岡県富士市宇東川西町8-18、2011年9月23日記事参照)前。
「呼子坂」は、治承4年(1180年)、いわゆる「富士川の合戦」の際に源頼朝が率いる源氏の軍勢がこの付近の高台に布陣し、この坂で呼子笛を吹いて軍勢を集めたという伝承から、その名が付いたとされる。
ところが、一説によれば、この坂こそ万葉集にも歌われた「手児の呼坂」で、それが「呼子坂」に変わったものという。「手児の呼坂」は、坂を隔てて「手児」(可愛い女の子、恋人)を呼ぶロマンチックなイメージがあるので、静岡市駿河区など想定地がいくつかある(2011年5月10日記事参照)。富士市にも「手児の呼坂」の石碑が建てられているが、場所は「原田公園」(場所:静岡県富士市原田字飯森東704。石碑は公園の南端にあり、「今泉四丁目」交差点の東、約300m)にある(写真2)。「手児の呼坂」という文字を刻した大きな石碑の脇に「あづま路の 手児の呼坂 越えがねて 山にかねむも やどりは無しに」という万葉歌碑が添えられている。因みに、「原田公園」の西隣にある「飯森浅間神社」は、「富士川の合戦」の際に源頼朝軍が境内に兵糧を置き、兵に守らせたといわれ、元は「飯守明神」と呼ばれていたという。
ところで、富士市の「手児の呼坂」は「たごのよぶさか」と称し、「田子の浦」の「たご」も、本来は「手児」から名づけられたともいう。


富士市のHPから(ふるさとの昔話2:原田の手児の呼坂)


写真1:「呼子坂」の石碑


写真2:「手児の呼坂」の石碑
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 米すり石 | トップ | 田子の浦 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

史跡・文化財」カテゴリの最新記事