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神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

矢倉神社(静岡市清水区矢倉町)

2011-07-15 23:00:52 | 神社
矢倉神社(やぐらじんじゃ)。
場所:静岡市清水区矢倉町5-7。清水東高校の東、約300m。駐車場なし。
社伝によれば、創建は、仲哀天皇の時代(在位:192~200年)に廬原国造の意加部彦命(オカベヒコ)が日本武尊と景行天皇を祀ったことによるという。当地は日本武尊が東征の際、軍営を布き兵站部や武器庫を置いた旧跡であるという。
古代の伝路とも考えられる「北街道」は、駿河国府や安倍郡家との連絡路でもあって、中世には東海道となった。現在でも県道67号線(静岡清水線)の主要部分を占めているが、県道としては、「天王町」交差点から東南方向に向かい、途中で国道1号線(現・東海道)と合流し、正面はJR「清水」駅となる。旧「北街道」は東に直進して「秋葉山 秋葉寺」の前を通り、五差路(通称「矢倉の辻」)に至る。前項で書いたように、古代東海道(駅路)は現在の東海道新幹線ルートに近いところを通っていたと考えられるので、「矢倉の辻」付近で、古代東海道と北街道が交わっていた(あるいは、ここで分岐した)と思われる。
古代、安倍郡と有度郡の郡境は古代東海道であって、北側が安倍郡、南側が有度郡であった。東側は廬原郡になるのだが、一般に、安倍郡と廬原郡の郡境は長尾川、有度郡と廬原郡の郡境は巴川であったと考えられている。一説によれば、有度郡と廬原郡の郡境は愛染川だったともいう(多分、出典は「駿国雑志」だったと思う。)が、川筋も変わるし、はっきりとはわからない。ただ、巴川が郡境なら当神社は廬原郡にあったといえるが、愛染川が郡境なら有度郡にあったことになる。いずれにせよ、郡境付近にあったわけで、社伝にいうように日本武尊と関係があったかは疑問だが、当神社付近に軍団が置かれて駿河国府の東の守りを固めていたのかもしれない。軍団が郡家(郡司)の指揮下にあったかどうかについては論争があるようだが、国府の西を安倍軍団が、横田駅家付近を有度軍団が、国府の東を廬原軍団が守っていたと考えるとぴったりするような気がする。


静岡県神社庁のHPから(矢倉神社)


写真1:「矢倉神社」入口の鳥居


写真2:社殿


写真3:社殿横の日本武尊の石像。式内社「焼津神社」の日本武尊像とそっくり。


写真4:ご神木のクスノキ




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