神が宿るところ

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筑波山 大法源院 最勝王寺

2024-04-13 23:34:31 | 寺院
筑波山 大法源院 最勝王寺(つくばさん だいほうげんいん さいしょうおうじ)。
場所:茨城県桜川市真壁町東山田1644。茨城県道41号線(つくば益子線)と同148号線(東山田岩瀬線)の交差点(丁字路)から41号線を東に約950m(「筑波山 最勝王寺→」の案内板がある。)で右折(南へ)、直進約200m。駐車スペースあり。
寺伝によれば、天応元年(781年)、覚仙僧正が法相宗の寺院として開山、「四大寺」と称した。最澄(伝教大師。天台宗開祖)が第50代・桓武天皇に奏請し、延暦11年(792年)、鎮護国家の道場として「最勝王寺」の寺号を賜る。その後、衰退するも、寛文2(1662年)、第38世・本孝法印が再興した。本孝法印は「椎尾山 薬王院」(2020年12月26日記事)を兼務し、同寺の薬師堂等を再建したとされる。嘉永元年(1848年)に本堂・庫裏・書院が火災に遭い焼失、嘉永3年(1850年)に庫裏・書院を再建、本堂は安政5年(1858年)に再建されたという。なお、本堂等と少し離れて建てられていた経蔵に収められていた「宋版一切経」5535巻は火災を免れ、茨城県指定文化財となっている。一切経は大蔵経ともいい、中国の南宋(1127~1279年)時代の木版刷り折本が5195巻、残りの300余巻が江戸時代に開版された天海版一切経と呼ばれるもので、天海大僧正(慈眼大師)は当寺院の一切経を校合のために参照したという。現在は天台宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来。


茨城県教育委員会のHPより(宋版一切経)


写真1:「最勝王寺」入口、寺号標「桓武天皇勅賜寺號 筑波山 大法源院 最勝王寺」


写真2:本堂


写真3:本堂に掲げられた万葉歌額。「伎波都久の 岡のくくみら 我れ摘めど 籠にも満たなふ 背なと摘まさね」(作者不明。巻十四東歌3444)。現代語訳は、「伎波都久(きはつく)の岡に茎韮を摘みに来たが、籠に一杯にならない。では、愛しい人と一緒に摘みなさい。」。伎波都久の岡というのが具体的にどこかは不明だが、古くから現・桜川市(旧・真壁町)にあると言われてきたとのこと。


写真4:経蔵


写真5:境内奥の神社。詳細不明。


写真6:境内から少し下りたところにある「橘の井」碑。これも詳細不明。
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