神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

小物忌神社(山形県酒田市飛島)

2014-12-06 23:10:18 | 神社
小物忌神社(おものいみじんじゃ)。
場所:山形県酒田市飛島字中村甲178。酒田港から定期船「とびしま」に乗り75分、飛島(勝浦)港から山形県道354号線(勝浦法木線)を道なりに徒歩約1.2km、「進藤鉄工所」の裏辺りから北へ、山の上に300mほど登っていく。なお、酒田港の定期船乗り場前に駐車場あり。
当神社の創建時期は不明だが、口伝では延長元年(923年)。祭神は級長津彦尊(シナツヒコ)・級長戸辺尊(シナトベ)という風の神で、大和国「龍田大社」(式内社「龍田坐天御柱國御柱神社」)から勧請されたものと伝えられる。創祀の経緯が不明なのは残念だが、そもそも当神社が鎮座する「飛島」自体が「鳥海山」山頂が噴火により海に飛んで出来たという伝承がある。現在は山形県酒田市に属するが、位置的には秋田県にかほ市象潟の西の沖にあり、思わず頷いてしまいそうだ。何の根拠もないのだが、古代、沖に見える島に神秘を感じ、「鳥海山」(大物忌神)と対比する「小物忌神社」を創建したものの、本土側から巡拝するのは大変なので、「延喜式神名帳」編纂の頃には「出羽国府」(現・城輪柵跡)に近い場所に里宮として勧請されていたのではないだろうか(ただし、当神社を「小物忌神社」の元宮とするなら、里宮も海に近い場所に建てるのではないか、という問題もあるだろう。)。
さて、前項の「小物忌神社」と共通する「日本三代実録」・「延喜式神名帳」の記事以外には近世まで史料がなく、江戸時代には「大宮神社」と呼ばれていたという。なぜ「小物忌神社」ではなく、「大宮神社」と称するようになったのか、その事情については次項(「遠賀美神社」)で書く予定だが、そのことによって、各地で何の根拠もなく「小物忌神社」と称する神社が続出したとされる。これを嘆いた酒田市の「財団法人光丘文庫」(現・酒田市立光丘文庫)文庫長・白崎良彌氏が私費を投じて調査した結果、当神社こそが式内社「小物忌神社」であるとして陳情活動等を行い、昭和17年に「大宮神社」から「小物忌神社」に改称することが認められたという。

参考文献:白崎良彌編「延喜式小物忌神社考略説」(近代デジタルライブラリー)


玄松子さんのHPから(小物忌神社(飛島))

「庄内を遊ぼう!」のHPから(飛島で遊ぼう!)


写真1:定期船から見える「鳥海山」


写真2:「小物忌神社」参道入口。社号標は「延喜式内 小物忌神社」


写真3:鳥居


写真4:社殿正面


写真5:社殿。大きくはないが、屋根が特徴的で美しい。


写真6:県道沿いにある「テキ(狄?)穴」洞窟。全長約50m。


写真7:同上。少し奥に入ったところ。昭和39年に合計22体の平安時代の人骨や須恵器が地元の中学生によって発見されたという。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小物忌神社(山形県酒田市山... | トップ | 遠賀美神社 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

神社」カテゴリの最新記事