神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

石神社(茨城県東海村)

2019-11-23 23:19:38 | 神社
石神社(いしじんじゃ)。
場所:茨城県那珂郡東海村石神外宿1。国道6号線「榊橋南」交差点から東に入り、直ぐ左折(北へ)、約80mで鳥居前。駐車場はないが、久慈川の土手下に多少の駐車スペースがある。
創建年代は不明。「大甕神社」(前項)の「宿魂石」伝説において、その折られた巨石の上の部分が飛んできたところで、それを御神体として祀ったとされる(なので、創祀は神代ということになる。)。ただし、当神社では、天津神に反抗する香香背男(カガセオ)が巨石の上に住み悪事を為していたのを、天手力雄命(アメノタヂカラオ)が祈念を凝らして巨石を折った、ということになっている。このため、祭神は、(建葉槌命ではなく)天手力雄命。もっとも、これは本家の常陸国二宮「靜神社」(2018年2月24日記事)においても、近世には(水戸藩第2代藩主・徳川光圀により)主祭神が天手力雄命とされていたことに原因があるようである。
また、この伝説は当地の地名由来譚にもなっていて、往古は「石頭」と称したが、中世以降に「石上」と書くようになり、徳川光圀の命により「石神」に改めたという。ただし、鎌倉時代の「弘安大田文」という文書に「石神」との記載があるとのことで、ちょっと怪しいらしい。祭神といい、地名といい、常陸国では徳川光圀(水戸黄門)の権威は絶大である。
なお、「東海村史 民俗編」(平成4年)によれば、当神社の「神体石」は高さ六寸(約18cm)、周囲二尺一寸(約64cm)の大きさ(明治時代の「新編常陸誌」による。)であるとされ、かつては「神体石」そのものを祀り、社殿は設けなかった。また、「神体石」の根は地中に何m埋まっているかわからない(「数丈たるを知らず」)と言われていたようである。因みに、御神体が石だということで、「神体石」が本殿内に納められているのではないか? と書いているブログ等もあるが、社頭の由緒書によれば「神石は地中より突出し、鹿島の要石に似て」いるとのこと。下の写真5を見ると、本殿らしきものは小祠であり、その前の四角くなっているところに「神石」が埋まっているように思われる。「神石」は確認できないが、確かに「鹿島神宮」境内の「要石」のような祀り方のようだ。そうだとすると、「天手力雄命を祭神として祀るのに、(敗者の)香香背男の化身ともされる石を御神体とするのはおかしい」という人もあるが、香香背男の石を埋め込み、それを本殿の神が押さえつけているようにも見えるのだが、如何であろうか。


写真1:「石神社」正面鳥居


写真2:社号標。「石、神社」? 


写真3:社殿


写真4:同上、横から。拝殿の後ろにブロック塀で囲まれたところがある。


写真5:失礼して、中を覗いてみると、小祠がある。本殿? その前の地面に四角く区切られたところがあり、ここに「神石」が埋められているのではないだろうか。


写真6:久慈川に架かる国道6号線「榊橋」から見る。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大甕神社 | トップ | 風隼神社 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

神社」カテゴリの最新記事