神が宿るところ

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朝房山(常陸国式外社・その7?)

2019-04-13 23:32:22 | 伝説の地
朝房山(あさぼうやま)。浅房山とも書く。
場所:茨城県笠間市池野辺。登山ルートは複数あるが、もっとも簡単なのは、茨城県道61号線(日立笠間線)と同113号線(真端水戸線)の交差点から113号線を約150m進んで左手の側道に入り、道なりに直進(概ね東の方向)、約2kmで登山口。ここまで自動車で行けるが、駐車スペースが殆どないので、手前に止めてきた方がよい。登山口からは徒歩5~10分。
「朝房山」は茨城県笠間市、水戸市、城里町に跨る山(標高201m)で、「常陸国風土記」那賀郡の条にみえる「晡時臥山(くれふしやま)」のことであるというのが通説となっている。そして、「常陸国風土記」には「(かつて、この地に)努賀毘古(ヌカビコ)、努賀毘咩(ヌカビメ)という兄妹がいた。妹には通ってくる正体不明の男があり、一夜にして身ごもり、小さな蛇を生んだ。この蛇は夜になると話をするので、神の子であろうと思い、清らかな杯(つき)に入れて祭壇に置いたところ、どんどん大きくなって盆(ひらか)に取り換えたが、それも一杯になり、入れる器がなくなった。そこで、母親が、もうこれ以上養育できないので、父親(神)のところへ行きなさい、と告げた。蛇は承知したが、1人の童を従者として付けてくれるよう頼んだ。しかし、家には伯父と母親しか居ないので、断った。蛇はこれを恨んで、昇天しようとするとき、伯父を怒り殺してしまったので、母親が瓫(ひらか、又は、みか)を投げつけたところ、蛇は昇天できなくなって、この山に留まった。その蛇を入れた瓫甕(みか)は今も片岡村に残っており、ヌカビメらの子孫が社を建てて(蛇神を)代々祀っている。」という古老の話が記されている。
この話は、夜ごと、正体不明の男が通ってきて契り、神の子を産む、というところが、所謂「三輪山伝説」に似ている。「三輪山伝説」では、正体不明の男は大物主神であり、雷神・蛇神でもある。ただし、「常陸国風土記」の話では、結局、神の子は昇天できず、その後の消息が不明で、やや尻すぼみ感がある。ここで重要なのは、瓫(素焼きの平たい盆のような容器)などが神聖な力を持っていると考えられたこと、(昇天する力を失ったとはいえ)蛇を神の子として祀り、その祭祀が代々続いているというところだろう。この社が今もあるのか、どの神社に当たるのか、ということには諸説あるが、朝房山山頂に「朝房権現」と呼ばれる石祠が今もある。そして、「片岡の村」というのは、「朝房山」の西麓の現・笠間市大橋に「岡の宿」という地名があり、これが遺称地であるという説がある。あるいは、南方の現・水戸市谷津町付近とする説もある。
ところで、「晡時臥山」というのはどういう意味だろうか。「晡時」は申(さる)の刻で、日暮れ時(午後4時頃)のことだといい、その時に伏せている(寝ている?)山...と言われても、よくわからない。いろいろと解釈されているが、ここは昔話を紹介する。「昔、大足の村(現・水戸市大足町)にダイダラボウ(ダイダラボッチ)という大男が住んでいた。その村の南に大きな山があって、日が出るのが遅かった。村人はなかなか農作業が始められず、困っていた。これを聞いたダイダラボウは、その大きな山を持ち上げ、北の方へ担いでいった。これによって、大足の村は日当たりが良くなり、村人は大いに喜んだ。この山が朝房山で、この山が元の場所にあった頃は、村人が日暮れまで寝ているということで「朝寝坊山」と呼ばれていた、という。」(なお、ダイダラボウについては「大串貝塚」(2018年7月14日記事)、「だいだら坊の背負い石」(2018年9月8日記事)参照)。


茨城県のHPから(くれふし山”朝房山”)


写真1:「朝房山」登山道入口の鳥居。ここで標高約160m。


写真2:山上の「常陸名山 浅房山」石碑。裏面に「常陸国風土記」の話が刻されている。


写真3:木に囲まれた石祠


写真4:同上、「朝房権現」祠と思われる。扉が開いたままで、中にはなにもない。


写真5:三角点
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