神が宿るところ

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城輪神社(出羽国式外社・その4)

2016-01-02 23:22:57 | 神社
城輪神社(きのわじんじゃ)。
場所:山形県酒田市城輪字表物忌35。「城輪柵跡」(「城輪史跡公園」)の北、約250m。駐車スペースあり。
創祀年代は不明だが、平安時代の出羽国府とされる「城輪柵」(前項)の鎮守神とみられ、その創建時期(8世紀初め頃)と同じくすると推定されている。「日本三代実録」によれば、貞観7年(865年)に出羽国の「城輪神」と「高泉神」(「古四王神社」:2015年8月15日記事)が従五位下に叙され、元慶4年(880年)には「月山神」(「月山神社」:2015年1月17日記事)と「大物忌神」(「鳥海山大物忌神社」:2014年9月6日記事)が従二位、「袁物忌神」(「小物忌神社」:2014年11月29日記事)と「城柵神」が従五位上に進められた記録があり、この「城輪神」・「城柵神」が当神社に比定されるのが通説である。また、天徳4年(960年)銘の「勅額」とされる木片が伝わっていたが、明治6年の火災により、焼失してしまったという。このように由緒ある古社であるが、「日本三代実録」以降の消息は不明で、戦国時代の兵乱により著しく荒廃したという。江戸時代に入って庄内藩主・酒井氏によって再興され、旧社格は県社(昭和7年指定)であった(因みに、「城輪柵跡」が国指定史跡になったのも昭和7年)。
さて、当神社は「延喜式神名帳」には漏れているが、上記の通り「日本三代実録」に見える「国史現在社」である。また、祭神は稲倉魂神であるが、これは出羽国一宮「鳥海山大物忌神社」と同体とされ、その第2王子として出羽国二宮を称するようになったという。


玄松子さんのHPから(城輪神社)


写真1:山形県道59号線(酒田八幡線)沿いにある「縣社 城輪神社」社号標。神社は、この奥。


写真2:神社正面


写真3:境内にある社号標。正面に「國史現在 村社城輪神社」、側面に「羽州二宮」とある。なお、昭和7年に村社から県社に昇格している。


写真4:社殿
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