神が宿るところ

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湯殿山神社本宮

2016-04-06 23:49:14 | 神社
湯殿山神社本宮(ゆどのさんじんじゃほんぐう)。
場所:山形県鶴岡市田麦俣字六十里山7。国道112号線(「月山花笠ライン」または「六十里越街道」)から「湯殿山有料自動車道」に入り、「大鳥居」前の駐車場に着く。ここから先、徒歩(約30分。結構きつい。)か参拝用バス(有料、所要時間約5分)に乗って「本宮」入口まで。そこから、石段で梵字川のほうへ下りる。木戸のところで裸足となり、水で清めた後、御祓いを受けてから参拝する。なお、冬期間(ほぼ11月~4月)は閉鎖されており、参拝は「羽黒山」の「三神合祭殿」で行う。
伝承によれば、「出羽三山」(羽黒山・月山・湯殿山)は推古天皇元年(593年)、崇峻天皇の御子・蜂子皇子が先ず「羽黒山」(標高418m)に登って山頂に羽黒権現の祠を創建し、次いで「月山」(同1984m)、「湯殿山(」同1500m)を開いたとされる。しかし、「出羽三山」には元々、「湯殿山」は入っておらず、代わりに「鳥海山」または「(村山)葉山」が数えられていた。「湯殿山(神社)」の別当寺であった真言宗豊山派「湯殿山総本寺 瀧水寺 金剛院 大網大日坊」の寺伝によれば、大同2年(807年)に弘法大師(空海)が湯殿山を開山したという。大同2年という年号は、出羽国で古社寺の創建伝承によく出てくるもので信頼できないし、弘法大師が当地に来たとも思えない(因みに、空海が唐から帰国したのが大同元年で、その後約2年間は大宰府に居たらしい。)。こうした伝承の違いは、「出羽三山」のうち「羽黒山」と「月山」は別当寺が天台宗系、「湯殿山」は真言宗系だったことによるものだろう。それはさておき、「出羽三山」の修験を中心とする信仰として、「羽黒山」を観音菩薩(現在)、「月山」を阿弥陀如来(過去)、「鳥海山」または「葉山」を薬師如来(未来)に当て、現在・過去・未来の三関を超越して、「湯殿山」の大日如来と一体化する、ということがあった。即ち、本来は、「湯殿山」は「出羽三山」の「総奥之院」として別格のものとされたわけである。しかし、16世紀半ばに「瑞宝山 慈恩寺」(前項)が「葉山」から離れ、葉山修験が衰退していったことから、「湯殿山」が「出羽三山」に加えられることになったという。いずれにせよ、「羽黒山」(「出羽神社」)と「月山」(「月山神社」)の神は「延喜式神名帳」にあるが、「湯殿山」の神の名は無い。また、「六国史」にも記事はないようである。当時まだ発見されていなかったのか、神社として認識されていなかったのか、さして重要と思われていなかったのか、事情は不明である。
さて、「本宮」の入口からは写真撮影禁止となる。現在の祭神は大山祇命・大己貴命・少名彦名命の3神で、これを総称して「湯殿山権現」というが、当神社に社殿は無い。山自体に神霊が宿り、社殿などの人工物を造ることは禁じられているとのこと。拝礼は御神体に向かって行うのだが、「語るなかれ 聞くなかれ」とされた御神体は、温泉が湧き出ている茶褐色の巨岩で、裸足のまま参拝すると、足湯の効果に加えて足のツボも刺激され、確かに身体が活性化される気もする。この温泉の泉質は食塩含有炭酸鉄泉で湯温52度、御神体が茶褐色なのは温泉の鉄分の沈着による。
なお、「湯殿山」では上記の大日如来との一体化、即ち即身成仏の行が行われた。現在、全国に17体の即身仏が現存しているが、そのうち10体が湯殿山系とされる。これらの即身仏は当神社の別当寺であった「瀧水寺 大日坊」や「注連寺」などに現存しているが、「真如海上人」、「鉄門海上人」など法名に「海」の字が付いているのは弘法大師・空海に因むものという。


出羽三山神社のHPから(湯殿山神社)

玄松子さんのHPから(湯殿山神社)


写真1:「湯殿山神社(本宮)」大鳥居。左手に見えるのは参篭所。


写真2:「本宮」入口の「湯殿山本宮」の石碑。ここから先は写真撮影禁止。


写真3:大鳥居の向かって右側にある「仙人沢霊場」。正面の小堂には即身仏(模擬像)が祀られている。「仙人沢」は即身成仏の修行の場所であったとのこと。
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