神が宿るところ

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龍王山 釈迦院 般若寺

2022-04-02 23:34:56 | 寺院
龍王山 釈迦院 般若寺(りゅうおうさん しゃかいん はんにゃじ)。
場所:茨城県土浦市宍塚1461。茨城県道24号線(土浦学園線)「宍塚宿」交差点から北西へ約350m進んで左折(西へ)、約130m。駐車場有り。
寺伝によれば、天暦元年(974年)、平将門の次男・将氏の娘・安寿姫により尼寺として創建されたという。当初は現・茨城県道5号線(土浦学園線)沿いの台地上(現・宍塚大池の東側辺り)にあったが、 平安時代末期に現在地に移されたという。 鎌倉時代には、当地が執権・北条氏領となったことから、その保護を受け、五重塔など七堂伽藍が整備された(当寺院の東隣にある「鹿島神社」付近から「(般若)寺五重塔瓦也」と逆字で陽刻された平瓦が出土している。)。寺域もかつては46町歩(=約46h)余とされ、現在の旧・「宍塚小学校」(平成24年閉校)敷地一帯も当寺院の境内だった。本格的に大寺院として造営されたのは、鎌倉時代、民衆救済に尽くした僧・忍性菩薩(1217~1303年)が「三村山 清冷院 極楽寺」(現・茨城県つくば市小田。廃寺)に来住してからで、当寺院もその影響下で真言律宗の寺院として栄えたとみられる。しかし、 戦国時代になると、当寺院が小田城主・小田氏の陣地とされて戦乱に巻き込まれ、堂塔・寺宝等が焼失した。江戸時代初期、地元出身の安一法師が当寺院の釈迦如来に祈願して琵琶と鍼灸の修業に励み、後に三嶋安一として盲官組織(「当道座」)のトップである惣検校に上った。これに感謝して、江戸「護国寺」(真言宗豊山派「神齢山 悉地院 大聖護国寺」。現・東京都文京区)の観音堂を移築して「釈迦堂」を建立した(「釈迦堂」は老朽化により昭和52年に解体。)。現在の境内はかなり縮小されているが、銅鐘は建治元年(1275年)に僧・源海(忍性と同じく、奈良「西大寺」の叡尊(興正菩薩)の弟子)が大勧進となり、「鎌倉大仏」(浄土宗「大異山 高徳院 清浄泉寺」本尊の国宝・銅造阿弥陀如来坐像)の鋳造に関わった名工・丹治久友らが鋳造したとの銘があるもので、「日本三梵鐘」または「常陸三古鐘」の1つとされる。これは、鎌倉幕府第8代執権・北条時宗が元寇のときに戦勝祈願のために寄進したものという(国指定重要文化財)。そのほか、建長5年(1253年)銘の「結界石」や「石造五輪塔」(茨城県指定文化財)がある。また、仏像も、寄木造りの釈迦如来立像(インドの仏師・毘首竭磨作の首を弘安5年(1282年)に運慶作の身体像に嵌め込んだものとされる。)が県指定文化財、釈迦如来の脇侍の文殊菩薩・普賢菩薩立像、阿弥陀如来立像などが土浦市指定文化財となっており、文化財が多数ある。現在は真言宗豊山派に属し、本尊は大日如来。
蛇足1:当寺院のある土浦市宍塚(ししづか)には古墳が多く、全長約56m(推定)の前方後円墳「大日山古墳」(宍塚1号墳)など、44基の古墳があったために宍塚(四四塚)という地名になったという。ただし、現在確認されているのは25基で、現存するのは約20基とされる。
蛇足2:将門の次男は、一般には将国という名で、将門の乱の後、信太郡に逃れて信太氏を名乗ったとされる。この信太氏との養子関係により、後の相馬氏が将門の後裔を自称することになる。なお、当地の伝承では、乱の後に将門の次男・将氏は宍塚の台地辺りに隠れ潜んでいたとされており、その縁で安寿姫が当寺院を創建したということになる。


写真1:「般若寺」参道入口、寺号標(「真言宗豊山派 龍王山 般若寺」)。


写真2:「馬頭観世音」石碑。嘉永5年(1852年)建立。近世、移動や運送に使われた馬の供養のために建てられることが多かったので、当寺院門前も交通量が多かったのかもしれない。


写真3:山門


写真4:本堂


写真5:(向かって右)結界石。寺院の清浄な区域を標示するための標石で、「大界外相」と陰刻されている。茨城県指定文化財。(向かって左)石造大日如来坐像。嘉永5年(1628年)建立。


写真6:梵鐘。「願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成佛道」との願文が刻されている。


写真7:六地蔵石幢。石造燈籠であるが、火袋に当たる6面に地蔵像が彫られている。室町時代中期頃のものとされ、土浦市指定文化財。


写真8:当寺院正面から南に延びる道路。奥の台地上に「上高津貝塚ふるさと歴史の広場」(前項参照)がある。


写真9:当寺院の東側にある「鹿島神社」の鳥居。


写真10:同上、社殿


写真11:同上、境内の石仏・石祠。一番手前は、像容からして降三世明王と思うが、結構珍しいのではないだろうか。


写真12:「粕毛の弥陀堂」(場所:土浦市粕毛626。茨城県道24号線(土浦学園線)「粕毛町粕毛」交差点から南東へ約200mで左折(北西へ)、約50mで右折(北東へ)、約50m。駐車場なし。)。「般若寺」の東、約2km(直線距離)にある。阿弥陀堂だけがあるが、どの寺院のものだったのか不明。中に安置されている木造阿弥陀如来立像は平安時代のものとされる。阿弥陀堂は宝暦10年(1760年)建立で、土浦市指定文化財。 

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