権現山古墳(ごんげんやまこふん)。権現平古墳群第5号墳。
場所:茨城県小美玉市下玉里1820ほか。茨城県道144号線「高浜中央三叉路」交差点から東へ、約2.8kmのところで右折(南東へ)、「案内板」に従って「小美玉市 生涯学習センター コスモス」を目指す。その手前、「小美玉市立玉里民家園」の広い駐車場に入る。駐車場の右手奥(南西)、約150m。駐車場から先も自動車で行けないことはないが、未舗装なので、駐車場からは歩いて行く方を勧める。
権現平古墳群は、前方後円墳1基のほか、方形周溝墓2基、円墳6基(または円墳5基、方墳1基)で構成され(一部湮滅)、霞ヶ浦を見下ろす台地上にある。霞ヶ浦沿岸には古墳が多いが、「権現山古墳」(権現平古墳群第5号墳)は小美玉市最大の前方後円墳で、墳丘長89.5m、後円部径44.7m、前方部長44.8mm、同幅59.5mという大きな古墳である。盾形の周濠も残っており、これを加えると全長は約123mに達する。比較的保存状態が良く、観察もしやすい古墳である。平成8年の発掘調査によれば、後円部に箱式石棺、前方部に木棺が発見されており、ほかに直刀、鉄鏃、土師器、須恵器、円筒埴輪、形象埴輪などが出土している。特に、須恵器の筒型器台は東日本での出土は珍しいとされ、当地域の有力首長の墳墓とみられる。築造時期は5世紀末~6世紀初頭と推定されている。
小美玉観光協会のHPから(権現山古墳)
写真1:「権現山古墳」入口。道路から一段上がったところに説明板がある。
写真2:古墳前の測量図。うまく古墳全景が撮れていなかったので、かわりに。
写真3:後円部(北西から)
写真4:前方部から後円部を見る。
写真5:後円部から前方部を見る。その先は霞ヶ浦。
写真6:古墳上の石祠
写真7:前方部(南西から)
写真8:「小美玉市立玉里民家園」前から霞ヶ浦を見下ろす切通し道路。台地の端にあることがよくわかる。
場所:茨城県小美玉市下玉里1820ほか。茨城県道144号線「高浜中央三叉路」交差点から東へ、約2.8kmのところで右折(南東へ)、「案内板」に従って「小美玉市 生涯学習センター コスモス」を目指す。その手前、「小美玉市立玉里民家園」の広い駐車場に入る。駐車場の右手奥(南西)、約150m。駐車場から先も自動車で行けないことはないが、未舗装なので、駐車場からは歩いて行く方を勧める。
権現平古墳群は、前方後円墳1基のほか、方形周溝墓2基、円墳6基(または円墳5基、方墳1基)で構成され(一部湮滅)、霞ヶ浦を見下ろす台地上にある。霞ヶ浦沿岸には古墳が多いが、「権現山古墳」(権現平古墳群第5号墳)は小美玉市最大の前方後円墳で、墳丘長89.5m、後円部径44.7m、前方部長44.8mm、同幅59.5mという大きな古墳である。盾形の周濠も残っており、これを加えると全長は約123mに達する。比較的保存状態が良く、観察もしやすい古墳である。平成8年の発掘調査によれば、後円部に箱式石棺、前方部に木棺が発見されており、ほかに直刀、鉄鏃、土師器、須恵器、円筒埴輪、形象埴輪などが出土している。特に、須恵器の筒型器台は東日本での出土は珍しいとされ、当地域の有力首長の墳墓とみられる。築造時期は5世紀末~6世紀初頭と推定されている。
小美玉観光協会のHPから(権現山古墳)
写真1:「権現山古墳」入口。道路から一段上がったところに説明板がある。
写真2:古墳前の測量図。うまく古墳全景が撮れていなかったので、かわりに。
写真3:後円部(北西から)
写真4:前方部から後円部を見る。
写真5:後円部から前方部を見る。その先は霞ヶ浦。
写真6:古墳上の石祠
写真7:前方部(南西から)
写真8:「小美玉市立玉里民家園」前から霞ヶ浦を見下ろす切通し道路。台地の端にあることがよくわかる。