備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム179.備前美作国境(その2・建部上)

2009-05-23 22:11:04 | Weblog
「福渡」(岡山市北区建部町福渡)は津山往来の宿場町として栄えたが、備前国側は岡山池田藩が北を警戒し、福渡から南に約3kmのところに陣屋を置き、今もその古い町並みの一部が残る(建部町中田)。福渡の対岸(建部町建部上)はやや寂しいが、こちらにも八幡宮がある。今は「八幡橋」で渡るが、かつては舟の「八幡の渡し」(渡し場はJR津山線鉄橋付近)があった。

七社八幡宮(しちしゃはちまんぐう)。
場所:岡山市北区建部町建部上8。JR津山線「福渡」駅の西、旭川の東岸(国道53号線)と西岸(国道484号線)を渡す「八幡橋」の西詰の南約500m。駐車場あり。
「福渡八幡宮」の対岸に、「七社八幡宮」という八幡神社がある(写真上)。正面に向き合っているわけではないが、ともに旭川を見下ろす形で建てられている。「七社」というのは応神天皇のほか、建部町に縁の深い日本武尊など全部で7柱の神を祀っているかららしい。それよりも、この神社は、中世以来、郷の総社格にあり、その秋季例大祭として行われる「建部祭」(岡山県指定重要無形民俗文化財)で有名である。郷内の7社の神輿が当神社に集まり、当神社を合わせた寄宮祭を行う。因みに、この7社の中に古社「多自枯鴨神社」が含まれているが、「多自枯布勢神社」の名はない。中世まで遡るかはわからないが、かなり前から「多自枯布勢神社」は実質的に消滅していた可能性がある。
さて、当神社に行ってみると、威厳と親しみやすさのバランスが取れた、良い雰囲気である。本殿の後ろには、磐座と思われるような四角い巨岩があった(写真下)。岩の前に賽銭箱?が置かれていたので、信仰の対象になっているはずである。ところで、当神社には宝物として能の翁面(白色尉)が伝えられている。室町時代後期の様式とのことだが、伝承によれば、この面を水で洗うと雨が降るというので、雨乞い神事にも使われたという。あるいは、もともと、巨岩に雨乞いの祭祀があったのかもしれない(妄想)。
余談だが、当神社の東南、旭川河畔に「八幡温泉郷」がある。この温泉は、寛文年間(1661~1672年)に、「仏住山蓮昌寺」第23世日船聖人が発見したことを起源とすると伝えられている。


七ちょめさんの「古い町並みを歩く」HPから(建部町):http://takahira.cool.ne.jp/furuimatiB/tyuugoku1/takebe.htm

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=07033


写真上:「七社八幡宮」正面。


写真中:社殿は「法寿山」の緩やかな斜面に建てられている。この奥に磐座?


写真下:社殿後ろ、やや右手に少し登ったところに磐座?がある。