備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム162.備前国の磐座拾遺(その1・聖ヤコボの墓)

2009-05-05 22:52:57 | Weblog
聖ヤコボの墓(せいやこぼのはか)。正式には、聖ディエゴ喜斎記念公園か。
場所:岡山市北区芳賀。県道239号線(上芳賀大窪線)の1本西にある旧道の、日蓮宗「顕本寺」入口のところから南西に約500m進むと、「聖ヤコボの墓 0.4km」の案内看板がある。狭い道路だが、自動車でも行ける。なお、「顕本寺」の南隣に「素盞嗚神社」があるが、その前を通り過ぎた先に墓地があり、その奥から登る山道もある。地図で見ると、「素盞嗚神社」のすぐ西側にあることになる。
聖人ヤコボ(本名:市川喜佐衛門。岡山カトリック教会では「聖ディエゴ喜斎」。岡山市北区天神町の同教会には聖人の像もある。)は、豊臣秀吉に迫害されて我が国で最初に(1597年)26名が殉教した際の1人で最年長者(64才)。1862年に「日本26聖人」として列聖されたが、その出身地が芳賀であるとされる。
さて、この芳賀の丘の上にある墓(記念塔)の台石(写真上)が磐座であるとされる(佐藤光範著「古代祭祀跡 吉備の「磐座」」による。)。墓の台石よりも、その背後にある長方形の平らな石(写真中)が、いかにも磐座のようである。そして、そこから南をみると、ちょうど「吉備の中山」が見える(写真下)。これは偶然だろうか。この「聖ヤコボの墓」の近く、東に「顕本寺」(備前48ヵ寺開基伝説の報恩大師「産湯の井戸」がある。)、南西に古社「靭負神社」(岡山市)がある。これも偶然だろうか。

「桃丘学区連合町内会紹介」のHPから(ヤコボ喜佐衛門の墓):http://townweb.e-okayamacity.jp/rengou/momogaoka/shoukai.html


写真上:市川喜衛佐門(聖ヤコボ)墓


写真中:墓の後ろにある平らな岩


写真下:墓のほぼ真南に吉備の中山(「吉備津彦神社」の辺り)が見える。