備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム158.続・稲都神社(その5・加茂神社)

2009-05-01 22:20:18 | Weblog
加茂神社(かもじんじゃ)。
古社「稲都神社」が5ヵ所に分社した際、邑久村字天皇山に遷座したとされるのが「加茂大明神」だが、「改訂邑久郡史」(昭和29年10月)・「邑久郡誌第二編」(昭和48年10月)のいずれも、現存神社のなかに「加茂神社」の名がない。「大垣八幡宮」の項(2009年4月28日記事)で書いたが、瀬戸内市邑久町山手の「山手林道」を上って行くと、100m程の間隔で「祇園宮」、「加茂神社」、「大垣八幡宮」を通る。「祇園宮」と「加茂神社」は専用の鳥居もないようで、どうやら「大垣八幡宮」の境外(境内?)末社ではなかろうかと思われる。「祇園宮」、「加茂神社」というのも、地図にそのように記されているからで、社殿には扁額等もなく、何社か判別はつかない。
さて、この「加茂神社」(写真)が「稲都神社」の分社だとして、どのような関係があったのだろう。上記「邑久郡史」では、「貴船神社」(瀬戸内市)の項で、同神社境内末社の「東神社」と「西神社」がそれぞれ古社「殿上東神社」と「殿上西神社」であろうとし、それらのほうが「貴船神社」の勧請より古いだろうとしている。つまり、地名に残るように、もともと当地は尾張氏の土地(干拓地)であり、「貴船神社」が勧請されたのは、その後、当地が山城国一宮「賀茂神社」の社領になったことによるもの(山城国「貴船神社」は長らく「賀茂別雷神社(上加茂神社)」の摂社とされていた。)ということだろう。「東神社」・「西神社」のことはさておき、「貴船神社」の勧請の理由がそうであれば、「賀茂神社」そのものを勧請してもおかしくはない。あるいは、「貴船神社」と「賀茂(加茂)神社」はセットで勧請されたのかもしれない。