備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム167.備前国の磐座拾遺(その6・天神山(岡山市北区))

2009-05-10 10:54:17 | Weblog
天神山(てんじんやま)。
場所:岡山市北区天神町8-54。岡山県天神山文化プラザの敷地内で、北側の庭園のようになっている。路面電車「城下」電停の北、徒歩約3分。
岡山市街地の旭川右岸(西岸)に「天神山」「石山」「岡山」という3つの丘陵が連なっていた。戦国時代、まず「石山」に城が築かれ、その後、本格的な城は「岡山」に築かれた。「石山」には「石山明神」、「岡山」には「下宮明神」(現「岡山神社」)や「岡山寺」があった(ほかに「今村宮」や「連昌寺」もあったとする伝承がある。)。<「岡山」の地名についての項:2008年7月19日記事も参照>
「石山」と「岡山」には城が築かれたため、仮に磐座があったとして破壊されてしまっただろうが、「天神山」には磐座と思われるものが残っている(写真上)。岡山市街地はかつて海であったため殆ど平坦であるが、これらの3つの山(丘)はかつて島で、海面が陸地になったときに小高い場所になったと思われる。なかでも、「天神山」は、磐座?の北側の「土光敏夫記念公園」との高低差が大きく、崖というと大げさだが、市街地ながら「山」であることを実感させる。
「岡山」に(後の)「岡山神社」、「石山」に「石山明神」(式内社「石門別神社」だったという説もある。)、「天神山」に「天満天神」が祀られていたというのだが、このうち「天満天神」は現在「岡山神社」境内にある「天満宮」がそれだ、という(写真下)。もし、「天神山」の岩が磐座なら、菅原道真公以前からの古代祭祀跡であり、「天神」は天津神だったかもしれない(雨乞い→雷信仰→天満宮という流れで、天津神の神社が天満宮になった例は多い。)。その場合、これが式内社「天神社」だったかも?


写真上:磐座?平らな巨岩の上に、いくつかの岩が置かれている。


写真中:地名由来碑


写真下:岡山神社境内の天満宮