美作国の式内社は10社11座であるが、美作国には一宮から十宮まであるという。ただし、その数え方はやや複雑で、一宮「中山神社」、二宮「高野神社」には異論ないとして(ただし、式内社「高野神社」には論社がある。前項参照。)、その次には、「天石門別神社」(美作市)が三宮を主張される。一方、これら3社以外の7社8座が真庭市社というところにあり、それが三宮~十宮とするのが通説?である(例えば、式内社研究会編纂「式内社調査報告第22巻(山陽道)」(昭和55年2月))。
「天石門別神社」(美作市)は、別名「滝の宮」というように、もともとは滝(「琴弾の滝」)を神格化したものとも考えられ、境内に磐座とされる石組みもある。鎮座地の移動の記録はなく、神社名も古来から変更がないとされる。創建時期は不明だが、社伝によれば、崇神天皇の時代、四道将軍大吉備津彦命が中国地方鎮撫のため西下した際、天手力男神の神助により目的を達したため、自ら祭主となって当神社を創建したという。この説話は、当神社社家の財田氏系図の端文によるものだが、財田氏は吉備氏の一族であることから創造されたものともいわれる。この沿革は伝説に過ぎないとしても、古社であることは間違いない。
ただ、当神社が三宮であるということは必ずしも古来から言われていたことなのかは疑問。例えば、上記の「式内社調査報告」のほか、「英田郡誌」(大正12年3月)、「岡山県神社誌」(昭和56年4月)には三宮であることについて特に記載はない。一方、「英田町史」(平成8年7月)やWikipediaの「美作国」の項などでは当神社が美作国三宮であるとしている。どうやら、当神社側は三宮であることについてさして興味はなく、美作市(旧・英田町)行政側の観光資源としての宣伝材料の1つという意味合いが強そうな気がする。
長くなってしまったので、真庭市社の7社8座については次項で。
岡山県神社庁のHP(天石門別神社(美作市)):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=25021
「Web魁」さんのHPから(天石門別神社(美作市)):http://websakigake.sakura.ne.jp/07-067.html
写真上:「天石門別神社」(美作市)の参道入口の鳥居
写真中:「琴弾の滝」。当神社社殿の背後にある。
写真下:磐座。何となく異様な姿だが、本来の磐座の岩は、この石組みの中にあるともいわれる。「猟師塚」とも称され、天手力男神を当地に案内した猟師の塚(墓)であるともいう。
「天石門別神社」(美作市)は、別名「滝の宮」というように、もともとは滝(「琴弾の滝」)を神格化したものとも考えられ、境内に磐座とされる石組みもある。鎮座地の移動の記録はなく、神社名も古来から変更がないとされる。創建時期は不明だが、社伝によれば、崇神天皇の時代、四道将軍大吉備津彦命が中国地方鎮撫のため西下した際、天手力男神の神助により目的を達したため、自ら祭主となって当神社を創建したという。この説話は、当神社社家の財田氏系図の端文によるものだが、財田氏は吉備氏の一族であることから創造されたものともいわれる。この沿革は伝説に過ぎないとしても、古社であることは間違いない。
ただ、当神社が三宮であるということは必ずしも古来から言われていたことなのかは疑問。例えば、上記の「式内社調査報告」のほか、「英田郡誌」(大正12年3月)、「岡山県神社誌」(昭和56年4月)には三宮であることについて特に記載はない。一方、「英田町史」(平成8年7月)やWikipediaの「美作国」の項などでは当神社が美作国三宮であるとしている。どうやら、当神社側は三宮であることについてさして興味はなく、美作市(旧・英田町)行政側の観光資源としての宣伝材料の1つという意味合いが強そうな気がする。
長くなってしまったので、真庭市社の7社8座については次項で。
岡山県神社庁のHP(天石門別神社(美作市)):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=25021
「Web魁」さんのHPから(天石門別神社(美作市)):http://websakigake.sakura.ne.jp/07-067.html
写真上:「天石門別神社」(美作市)の参道入口の鳥居
写真中:「琴弾の滝」。当神社社殿の背後にある。
写真下:磐座。何となく異様な姿だが、本来の磐座の岩は、この石組みの中にあるともいわれる。「猟師塚」とも称され、天手力男神を当地に案内した猟師の塚(墓)であるともいう。