備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム136.佐伯天神山(その2)

2009-03-03 23:03:46 | Weblog
「天石門別神社」(和気町)の項(2008年5月29日記事)で、佐伯天神山自体が石の壁のようだ、と書いた。「天石門別神社」裏から登ると、正にその通りで、狭い尾根に細長く山城の跡が続いており、塀の上を歩いているような気分になる。「天石門別神社」のところが北西の端で、東南の方に歩いていくのだが、浦上宗景の「天神山城」の本丸は山頂(409m)より北西側にある。山頂近くには、室町時代から「前期天神山城(太鼓丸城)」があったという。
「天石門別神社」の旧社といわれる「天津神社」は、「天神山城」本丸の脇にあり、ちょうど天瀬登山道を登り切ったところにある(登山にあまり興味がなければ、こちらから登ったほうが楽。)。ただし、今の小祠からは、往時の神社の姿は何とも想像できない。
一方、「太鼓の丸」とも呼ばれる「前期天神山城」側に「下の石門」、「上の石門」(写真上)、「石門」(写真下)というものがある。現地の説明板では、敵の侵入を防ぐためのもの、といった感じで書かれており、人工物のようなニュアンスになっている。これらの「石門」が天然物か人工物かは不明だが、「太鼓の丸」の辺りは眺めがよく、上が平らな岩も多く露出している(写真中)。元々は、この辺りに古代祭祀跡があったのではないだろうか(妄想)。
古代祭祀跡のある山に、後世、山城が築かれるケースが多いとされる。もちろん、自然の要害を利用したのだろうが、一つには神仏の加護を背にして戦うという意味もあっただろう。そうすると、古代は素朴な天津神信仰であったのが、敵を防ぐ石門の神を祀るようになるのもあり得ることと思われる。
なお、「天石門別神社」(和気町)から北東に直線距離で約12kmのところに、美作国三ノ宮・式内社「天石門別神社(通称:滝の宮)」(美作市)がある。これは強ち偶然ではないと思われる。


写真上:「上の石門」という名の石の積み重ね


写真中:「太鼓の丸」跡(山頂近く)


写真下:「石門」という名の四角い大石