備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム138.一宮(その1・吉備津彦神社)

2009-03-20 21:00:40 | Weblog
備前国には「一宮」を称する神社が3つある。「吉備津彦神社」、「安仁神社」、「石上布都魂神社」である。それぞれの項でも少し触れたが、「一宮」ということについて整理しておきたい。参考文献は多数あるが、齋藤盛之著「一宮ノオト」(平成14年12月)が分かりやすく、要点を衝いている。
「一宮」とは一般に、ある地域の中で第一とされた神社で、郡や郷の「一宮」もあるが、通常は令制国(68国)のそれをいう。そして、通説によれば、国司が赴任後にまず参拝するのが「一宮」で、続いて「二宮」、「三宮」・・・となる。「一宮」は、平安時代後期から鎌倉時代初期に成立した一種の社格とされるが、これが(官製の、あるいは公認の)制度であったかどうかは争いがある。制度として定めた文書は見つかっておらず、多分、その神社の由緒や地域の実情に応じて自然に決まってきたのだろうと思われる。国司が最初に参るから「一宮」ではなく、「一宮」だから最初に参ることになったのだろう。制度ではなかったから、厳密に決まった基準はなく、国によっては「一宮」が複数あったり、時代によって変遷があったりしているようだ。
さて、備前国だが、メジャーなのは「吉備津彦神社」(写真:参道前の鳥居の横の石柱に「備前一宮」とある。)。最寄駅もJR「備前一宮」駅である。吉備国が備前・備中・備後の3国に分国されたとき(7世紀後半、天武帝の頃?)に備中国「吉備津神社」から分祀されたといわれるが、「吉備津彦神社」の伝承によれば創建は推古帝の時代とされるので、もともと神社(あるいは祭祀場所)があったところに「吉備津神社」を勧請したのかもしれない。問題は、「吉備津彦神社」が式内社でないことである。これは、備後国の「吉備津神社」とともに、「一宮」のたった2つの例外とされる。そのため、式内社であるだけでなく、備前国唯一の名神大社である「安仁神社」が本来の「一宮」であったとされる根拠にもなっている(以下、次項)。


「全国一の宮会」さんのHP:http://www.ichinomiya.gr.jp/